著者:庵 功雄[いおり・いさお] (1967-) 日本語教育、日本語学。
NDC:810.7 日本語 >> 国語教育、日本語教育(対外国人)
【目次】
まえがき [i-iv]
目次 [v-viii]
第1章 移⺠と⽇本 001
「移民」「難民」が世界的なニュースに
日本は移民を受け入れるべきか
日本は既に外国人抜きでは成り立たない社会になっている
移民を受け入れるとはどのようなことであるべきか
「ことば」から考えてみる
日本における言語的マイノリティーが直面する困難
「多文化共生社会」に必要なこと
国際語としての英語、そして、日本語
本章のまとめ
注 020
第2章 〈やさしい⽇本語〉の誕⽣ 023
外国人に対する情報提供――対象者は誰か
英語は共通言語になり得ない
多言語対応の必要性と問題点
阪神・淡路大震災の教訓――災害時の情報提供
災害時から平時へ――〈やさしい日本語〉の誕生
初期日本語教育の公的保障の対象としての〈やさしい日本語〉
地域社会の共通言語としての〈やさしい日本語〉
地域型初級としての〈やさしい日本語〉
〈やさしい日本語〉の実践例
NHKの News Web Easy
公的文書の書き換えと横浜市との協働事業
居場所作りのための〈やさしい日本語〉
本章のまとめ
注 061
第3章 〈やさしい⽇本語〉の形 065
〈やさしい日本語〉が満たすべき条件
学校型日本語教育と地域型日本語教育
〈やさしい日本語〉の実相
日本語文の構造(単文)
1機能1形式
本章のまとめ
注 087
第4章 外国にルーツを持つ⼦どもたちと〈やさしい⽇本語〉 093
「移民の受け入れと外国にルーツを持つ子どもたち
タックスペイヤーとセーフティーネット
外国籍の子どもの高校進学率は3割
日常言語だけでは十分ではない
バイパスとしての〈やさしい日本語〉
漢字の問題
多様性を持つ人材として
本章のまとめ
注 126
第5章 障害をもつ⼈と〈やさしい⽇本語〉 129
「普通」のものには名前がない
だれでも参加できるじゃんけん
ろう児と日本語
ろう児にとっての「母語」の習得
自然言語としての日本手話
音声がなくても言語は習得できるか?
第二言語としての書記日本語の習得
ろう児の日本語教育と〈やさしい日本語〉
同情を超え、競争できる社会を
本章のまとめ
注 165
第6章 ⽇本語⺟語話者と〈やさしい⽇本語〉 169
接触場面と〈やさしい日本語〉
話しことばの場合
書きことばの場合
日本語母語話者に求められる日本語能力とは何か?
有標なものが隠れた真実をあぶり出す
有標な存在としての「外国人の日本語」
日本語表現の鏡としての〈やさしい日本語〉
本章のまとめ
注 191
第7章 多⽂化共⽣社会に必要なこと 193
「外国人が増えると犯罪が増える」は本当か?
〈やさしい日本語〉でできること
「ヒューマニズム」だけでなく
「外国人に譲歩する」のではなく
「機能」から考える
〈やさしい日本語〉は国語教育の問題である
〈やさしい日本語〉は日本語教育の問題でもある
重要なのは「お互いさま」の気持ち
〈やさしい日本語〉と情報のバリアフリー
本章のまとめ
注 219
あとがき(2016年8月 庵功雄) [223-225]
参考⽂献 [5-12]
付録 〈やさしい⽇本語〉マニュアル [1-3]
【図表一覧】
表1-1 移民受け入れのメリットとデメリット(一般論) 003
図1-1 2060年までの人工推移の試算 005
図1-2 農業人口の推移 007
図1-3 英語の使用場面 015
表1-2 「ら抜きことば」は日本語の体系的変化の一例 018
図2-1 駅名標識における長音表記 026
図2-2 アイドリングストップの掲示 028
図2-3 緊急交通路の標識 028
表2-1 日本の定住外国人とその公用語 033
図2-4 地域社会の共通言語と〈やさしい日本語〉 042
表2-2 学校型日本語教育と地域型日本語教育 044
図2-5 NHK News Web Easy の記事の例 047
図3-1 文の階層構造(命題の中の述語部分) 077
図3-2 文の階層構造(命題とモダリティ) 077
図3-3 単文の階層構造 077
表3-1 「と」「ば」「たら」使用の地域差 079
表3-2 地域型初級の文法シラバス 082-083
表4-1 中学校教科書における二字熟語 119
図5-1 点字 131
図5-2 148
表5-1 メディアとレベルから見た4技能 150
図5-3 151
図5-4 157
図6-1 地域社会での共通言語と〈やさしい日本語〉 171
図6-2 母語話者におけるジレンマ 179
表7-1 日本人と外国人の犯罪検挙率(2012年) 195
【抜き書き】
◆「まえがき」(p. iv )から。
日本語教育は、前述のように、日本語を母語としない学習者を対象に日本語の教育を行うものとして発展してきました。したがって、そこで培われてきた知識や教授技術はこうした問題を解決する上で最適のものと言えます。
さらに、第5章で詳述するように、ろう児にとっても、書記日本語は「母語」ではなく第二言語です。したがって、彼/彼女たちに対する日本語の教育においても、日本語教育のこれまでの知見や教授技術は大いに役に立つのです。
本書では、筆者が専門とする、日本語学と日本語教育が蓄積してきたさまざまな知見に、筆者たちの研究グループが取り組んできた〈やさしい日本語〉の考え方を取り入れた形で、多文化共生社会実現のために言語(ことば)を通して貢献できる問題について、可能な限り包括的に考えていきたいと思います。
■1章■
◆p. 11
こうしたことを踏まえて考えると、移民を認めると言うときに重要なのは、外国人を対等な市民として受け入れることであると言えます。言い換えると、移民を認めるとは、移民も、日本人と同様に努力すれば報いられる社会を作ることだということです。本書では、そのことが「多文化共生」の真の意味であると考え、その意味での「多文化共生社会」を作るために何ができるのかを考えていきたいと思います。
◆pp. 16-17
例えば、現代英語には、動詞の活用がほとんどありませんし、ヨーロッパの言語に広く見られる「文法上の性(gender)」もほぼ見られません(文法上の性については、第5章も参照)。また、フランス語やドイツ語、ロシア語などに広く見られるように、親しい間柄かそうでないか(親疎)によって人称の代名詞を使い分けるといったこともありませんが、これらは全て、それまでの英語には存在していたものばかりです。こうしたさまざまな形態論上の変化を捨てたことが英語が、国際語になる上で有利だったと考えられます。[※10]。
[※10] やや余談になりますが、こうした点で、現代英語は、他の言語と比べてかなり「特殊な」ものとなっています。このことを、世界の言語をさまざまな特徴から分析する「類型論(typology)」の代表的な研究者である角田太作氏は「日本語は特殊な言語ではない。しかし、英語は特殊だ」と述べています(角田太作『世界の言語と日本語 改訂版』(くろしお出版 2009)の第9章)。それぞれの言語にはそれぞれの世界の切り取り方があります(例えば、日本語ではスープは「飲む」ものですが、フランス語では「食べる」ものです。また、ヨーロッパの言語では、数えられる名詞は常に単数か複数かを区別しなければなりませんが、日本語を初めとする東アジアの言語ではそうしたことはほとんどありません)。現在、「グローバリズム」とともに、英語への一極集中(「英語帝国主義」と呼ばれることもあります)が進んでいますが、多くの言語を保持することはその言語の使用者の世界観を後世に伝えるという意味でも重要です。こうした観点から、現在、言語学において、消滅の危機にある言語や方言(「危機言語/危機方言」)の保存(アーカイブ化)が進められています。一例として、沖縄の言語に関するこうした取り組みについては田窪行則[編]『琉球列島の言語と文化――その継承と記録』(くろしお出版 2013) を参照してください。
【関連記事】
『街の公共サインを点検する――外国人にはどう見えるか』(本田弘之,岩田一成,倉林秀男 大修館書店 2017)
https://contents-memo.hatenablog.com/entry/20180101/1515154450