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『申し訳ない、御社をつぶしたのは私です。 ――コンサルタントはこうして組織をぐちゃぐちゃにする』(Karen Phelan[著] 神崎朗子[訳] だいわ文庫 2018//2014//2013)

原題:I'm Sorry I Broke Your Company: When Management Consultants Are the Problem, Not the Solution.
著者:Karen Phelan 経営コンサルタント
訳者:神崎 朗子[かんざき・あきこ] 翻訳家。
装幀:水戸部 功[みとべ・いさお] 装幀家
解説:成毛 真[なるけ・まこと] 実業家。
NDC:336.83 経営比較、経営分析


申し訳ない、御社をつぶしたのは私です。 - 株式会社 大和書房 生活実用書を中心に発行。新刊案内、書籍目録、連載エッセイ、読者の広場。


【目次】
はじめに 御社をつぶしたのは私です [003-005]
目次 [006-014]


Introduction 大手ファームは無意味なことばかりさせている 015
「ビールゲーム」を解く簡単な方法
コンサルは「芝居」で商売している
ビジネスは「数字」では管理できない
「数人のコンサル」が歪んだ流れをつくった
「確実にまちがっている」理論の数々


第1章 「戦略計画」は何の役にも立たない――「画期的な戦略」でガタガタになる 029
マイケル・ポーターが「武器」を生む
外から集める情報は中途半端
「正しい理論」でチャンスを逃す
ジャック・ウェルチの怒濤の人員整理
分析を「グラフ」にするだけで感心される
「分析」に従わなかったから成功した
ポーターと「真逆」の理論
数字で「管理」できるのは数字だけ
「手本」だった企業の半数は凋落している
お得意の「人員削減」を自社で行うはめになる
大企業が「正しい経営」のせいで消える
ダメな戦略を生む「5つのステップ」
コンサルが去ったあとに残るのは「大量の資料」
アップルやグーグルは「何」をしたか? 


第2章 「最適化プロセス」は机上の空論――データより「ふせん」のほうが役に立つ 063
「入社1年」で押しつけられたプロジェクト
謎の「促進係」の仕事
誰もが「問題」を自覚しながら働いていた
一部にメスを入れても意味がない
流行のメソッドを次々と使う
「ブラウンペーパー」というアナログな方法
単純な「話し合い」が効果を発揮する
必ずうまくいった「シンプル」な手法
なぜ「スケジュールどおり」に動けないのか?
ビジネスモデル自体に「問題」があったら?
泥臭い「ブレインストーミング」の効果的
頑迷なコンサルの「ツール」信仰
「ツール」が機能しない決定的な理由
「バカだと思われたくない」という問題
データ、フローチャート、報告書……何の意味がある?


第3章 「数値目標」が組織を振り回す 101
何もかもつねに「数値化」される
「実行」するのはコンサルではないの
人事評価も「ダッシュボード」で簡単に処理
なぜ目標を達成して「赤字」になるのか?
目標はこうして「障害」になる ル
達成のために「評価基準」を変えてしまう店
「会計」や「財務報告」は細工しほうだい
評価項目が無限に増えていく
問題は「最適化」ではなかった
組織が機能しない本当の理由
正しく動くと評価されない
指標の導入で「無意味な仕事」が増えるか
その目標が「判断力」を奪う
「測定可能な目標」が弊害を起こす
「革新的な製品」が生まれない仕組み」


第4章 「業績管理システム」で士気はガタ落ち 137
マッキンゼーコンサルタントの(大外れの)大予言
育児雑誌のように恐怖をあおる
自らつくった「業績管理システム」で大混乱
あけてもくれても「書類」をつくる
面倒なうえ「能率」も落ちていくばかり 田
公正に見える「不公正」なシステム
「評価」されることでがっかりする
「客観的な評価」なんて存在しない」
8%の社員が「自分は真ん中より上」と思っている
なぜ「考課」で業績が落ちるのか?
インセンティブ報酬」は逆効果を生む
BSCで報酬を出した企業の業績は平均以下だった
業界平均を「少し上回る」給与がベスト


第5章 「マネジメントモデル」なんていらない 169
「よきマネジメント」とはいったい何のことか?
609ページ、433の項目を使いこなせ
手取り足取りのリーダー用教材は
まだまだあるリーダーシップモデル
グーグルが導き出した画期的な「8つの習慣」
マネジメントに「効果的なテクニック」はない
データ主義のプレゼンテーションの結果
「最大の問題」は何だったか
実践の「指導」が劇的に効く
コーチング」と「フィードバック」だけでは育たない
データマイニング」なしでもわかる4つの原理
グーグル VS スティーブン・コヴィー
要は「何」を言っているのか?
「マネジメント本」はまじめに読むとばかばかしい


第6章 「人材開発プログラム」には絶対に参加するな 203
コンサルタントエンロンをつぶした
社員は「ランク付け」できるのか?
評価は状況によって左右される
評価は低くても能力を発揮する
一度の失敗が「致命的」になるシステム
レッテルはなかなか剥がれない。
スターはダメな部分も「魅力」に見えてしまう
レッテルを貼られるとよりダメになる
研修を受けると「出世コース」から外れる
Aクラスの社員を「開発」しようとして失っている
ピーターの法則」はジョークではない
昇進すればクビになる
誰もが「Bクラス」になってしまう
業績が悪い理由は「能力」より「環境」が大きい
直接聞けばいいことを「スコア」で判断する
人事のあらゆる問題を解決する方法


第7章 「リーダーシップ開発」で食べている人たち 241
「リーダーシッププログラム」はどれが正しい?
カリスマはなくても「優れたリーダー」になれる
ベニスとガードナーのあげるバラバラの「条件」
リーダーシップの「本質」がさっぱりわからない
アセスメントで出た私の「長所」と「短所」とは?
こんなにマスターできる人間はいるのか?
なぜ「精神病質者」は偉大なCEOになれるのか?
人格者は成功しないのか?
ジョブズだけではアップルの成功はなかった
「やる気」をはかれば適性が見える
謝罪したい「スキル開発」研修の実態
「お勉強」している間に状況が変わる
何でも得意になろうとして「凡庸」になるか
ナルシシストだけが昇進していく組織
受けたくなる研修しか意味がない


第8章 「ベストプラクティス」は“奇跡"のダイエット食品――「コンサル頼み」から抜け出す方法 275
「科学的管理法の父」のまちがい
「お手軽なステップ」をいつまでも繰り返す
頭を使いたくないからコンサルに決めさせる
人間性を向上させる」ことを考える
「私生活ならどうか」と考える
「まやかしの専門用語」をやめる
コンサルタントの「使い方」


おわりに [308-309]
付録1 正しい方法を見分ける「真偽判断表」 加 [310-311]
付録2 「科学的方法」を生かす4つのステップ [312-319]
訳者あとがき [320-323]
解説 成毛真 [324-327]
原注 [328-335]




【抜き書き】


□p. 4 

 統計的には正確でよくまとまった研究でも、残念ながら経営理論の正しさを証明できるものはほとんどない。多くの場合、経営理論は論文の査読やピアレビュー(同分野の専門家同士による評価)、第三者による検証すら行われずに、従来の知識体系に組み込まれてしまう。
 理論の正しさを示す証拠があっても、ほとんどは個々の事例に当てはまるにすぎないし、既存の研究の多くには企業の利害が絡んでくる(何百万ドルも投じた再建策にほとんどメリットがなかった、などと認めたがる企業がいったい何社あることか)。

□pp. 19-20 著者がコンサルティング業を批判する大きな理由は、それが“人間性”を損ないうるから。

 私がこの本を書いたのは、経営コンサルタントとして30年も働いてきて、いい加減、芝居を続けるのにうんざりしてしまったからだ。 
 まったくどれだけ芝居を打ってきたことか――「この在庫管理システムを導入すれば、問題は解決します」とクライアント企業に断言しながら、肝心なのはサプライチェーンの部門間の信頼関係を構築することだったり、「商品開発プロセスリエンジニアリング」と銘打ったプロジェクトを立ち上げていても、実際にやっているのは、営業、マーケティング、研究開発(R&D)の各部門の連携強化だったり、コンピューター並みの明晰な思考力で問題を解決したように見せながら、本当はクライアントの関係者の思惑を読み取るのがうまいだけだったり。
 何よりいたたまれないのは、クライアント企業の従業員を「資産」として扱い、監視、評価、標準化、最適化すべきであると唱えてきたことだ。
 私が自分のやっている仕事をありのままに話せないのは、「貴社の関係者の連携を強化するお手伝いをします」なんて言っても、誰もコンサルティングの仕事を頼んでくれないからだ。
 仕方がないから、方法論やモデルや指標やプロセスやシステムといったコンサルティングの商品の看板を引っ提げる。
 若手のコンサルタントだった頃は、私自身も数々のモデルやプロセスやプログラムを作り上げた。すべてはコンサルティングの作業にばらつきが出ないように、クライアントの意思決定に感情が絡まないように、またその経営層から余計な意見が差し挟まれないようにするため。つまりはそうやって、ビジネスの経営から人間的な要素を取り除こうとしていたわけだ。
 もちろん、私だけではなかった。
 この20年で企業経営の手法は急激に増え、「効率化」や「スキルの標準化」、「パフォーマンスの最適化」などの目標のもとに、企業のベストプラクティスとして定着した。「バランススコアカード」「業績給」「コア・コンピタンス開発」「プロセスリエンジニアリング」「リーダーシップアセスメント」「マネジメントモデル」「競争戦略」「カスケード式業績評価」などは、企業経営の確立したモデルとなっているが、それらが能書きどおりの効果を発揮する証拠はほとんどない。
 このようなモデルや理論はいずれも職場から人間性を奪うものであり、そういう意味では図らずも効果を発揮したと言えるだろう。従業員は使い捨ての機械よろしく最大限まで酷使され、一人ひとりの個性も才能も埋もれたまま終わってしまう。


□pp. 25-26  本書の構成と目的。

◆「確実にまちがっている」理論の数々
 本書は独自の研究成果や私の考え方の確証を示す学術書ではない。ビジネスについて私が信じていたことは何もかもまちがっていた――そう気づくまでの道のりを描いたストーリーだ。
 みずから企業に売り込んだ多くの経営手法が、流行っては廃れていったその過程を描いていく。どの事例も、仕事に対する私自身の考え方が大きく変わるきっかけとなったものを選んだつもりだ。
 最初の3つの章では、「戦略開発」や「業務プロセス改善」「業務管理指標の導入」等の経験について詳しく述べる。前半に出てくる事例の多くは、私が若手コンサルタントとして大手のコンサルティングファームで働いていた当時のものだ。
 続く4つの章では、いわゆる「タレントマネジメント」と呼ばれるメソッドについて述べ、「業績管理システム」「マネジメントモデル」「人材開発プログラム」「リーダーシップコンピテンシー」などを取り上げる。後半の事例のほとんどは、事業会社で働くようになった私が、コンサルタントだった頃に自分も導入にたずさわった数々の経営手法のせいで四苦八苦した経験を語ったものだ。
 さて、ここで目的をはっきりさせておきたい。本書の要点は従来のビジネスの常識の誤りを暴くことであり、まちがっても与するものではない。私の提案は、役に立たない経営理論に頼るのはもうやめて、代わりにどうするかということだ。ともかく大事なのは、モデルや理論などは捨て置いて、みんなで腹を割って話し合うことに尽きる。対話や人間関係の改善がビジネスに利益をもたらすことを研究によって証明したわけではないが、真偽の判断は読者に委ねよう。


□p. 243 7章 “「リーダーシップ開発」で食べている人たち”の冒頭から。

 この章では「リーダーシップ開発」の名のもとに現在どのようなサービスが提供されているかについて述べたいと思う。
 リーダーシップ開発プログラムの前提は、優れたリーダーシップは習得可能ないくつかの「能力」によって構成されるという考えだ。ここで「能力」という言葉を使うのは、そのうちのいくつかは、「物事を明確に伝える」といったいわゆるスキルではなく、むしろ「自己認識」などの個人の資質に関わるものだからだ。
 すなわち、リーダーシップ開発プログラムの前提は、次のような考え方のもとに成り立っている。第一に、リーダーシップのスキルはいくつかの要素に分けることができる。逆に考えれば、優れたリーダーはみな同じスキルや特性を備えていることになる。第二に、それらのスキルや特性は必ずしも生来のものではなく、努力によって習得が可能であるという考え方だ。


□pp. 243-245  挙げられた例は、主にアメリカの歴史的有名人。そこにもリーダーの共通点は無い。

 ◆カリスマはなくても「優れたリーダー」になれる
 
 では、優れたリーダーの特性とはいったい何だろうか?
 ウィンストン・チャーチルマハトマ・ガンジーマーティン・ルーサー・キング・ジュニアエイブラハム・リンカーンユリシーズ・グラントセオドア・ルーズベルトダグラス・マッカーサードワイト・アイゼンハワートマス・ジェファーソンらは、偉大なリーダーとされている。
 彼らに共通しているのは何だろうか? カリスマや魅力? しかし、グラントにもジェファーソンにもカリスマ性はなかった。それどころかジェファーソンは演説が大の苦手で、アメリ連邦議会での一般教書演説を代読させたほどだ。
 ガンジーやキングやリンカーンは謙虚な人柄で人びとの尊敬を集めたが、チャーチルルーズベルトマッカーサーには謙虚さなど微塵も見られなかった。マッカーサーが激しやすい性格で知られるいっぽう、チャーチルやグラントはおおらかな性格だった。チャーチルとグラントはアルコール依存症で苦しんだが、ジェファーソンにも浪費という悪癖があった。彼は死ぬまで借金まみれで、経済的困窮により自分の奴隷たちを解放できなかったくらいだ。それとは対照的に、リンカーンガンジーは実直で品行方正な人物だった。
 彼らの育ちはどうだろうか? 裕福な者もいれば、貧しい者もいた。ビジョンはどうか? キングは確かにビジョンを持っていたし、ジェファーソンもしかり。では、アイゼンハワーやグラントも同じように先見の明を持っていただろうか? そうとは言えないだろう。そう考えると、リーダーたちに共通する特性というのはどうも見えてこない。
 幸い、リーダーシップの研究はマネジメントの研究よりも歴史が古く、何世紀も前から行われている。マキャヴェッリに始まり、人びとは歴史を超えてリーダーの資質とは何かを考え続けてきた。いまやビジネスの世界でも注目の話題である。
 リーダーシップの専門家や本やモデルは多数存在するので、専門家はリーダーシップの特性について何と言っているか調べてみよう。さすがにルネッサンスの頃からは、人びとの考え方もかなり変化しているはずだから、マキャヴェッリよりもっと最近の専門家の意見を参照したい。


□p. 250  ベストセラー本(『ビジョナリー・カンパニー』等)の主張を何冊か要約したのちに、この嘆息。

 ……そろそろ頭痛がしてきた。ピーター・ドラッカー、スティーブン・コヴィー、ピーター・センゲなど、まだネタは山ほどあるのだが。しかしものを書くときには、私なりのルールがある。書いていて退屈なものは、読むのはもっと退屈と心得るべし。というわけで、この辺でやめておこう。 
 つまりはこれほど多くの専門家が、リーダーシップについておびただしい数の研究を行い、リーダーに求められる資質や行動に関するモデルを立ち上げてきたのである。なかには似たような特徴も見られるが、リーダーの特徴はこれだ、というはっきりとした結論は見えてこない。しかし、「リーダーは育てることができる」という点では、すべての専門家の意見が一致している。そうなると、リーダーシップ開発はもっともらしいコンセプトに思えてくるが、そういった専門家のほとんどはリーダーシップ開発で生計を立てているわけだから、少々、利害も絡んでいるだろう。

□p. 262  著者のリーダー観

 偉大な企業や偉大なリーダーのストーリーを読むたびに共通して言えることは、リーダーがたったひとりで偉業を成し遂げたわけではない、ということだ。これらのCEOはみな、さまざまなスキルを持つ人が集まったチームを率いていた。
 実際のところ、万人に有効なリーダーシップの手法やモデルなどありはしない。人はそれぞれ異なるスキルや長所を持っている。大事なのは、スキルや長所を最大限に生かしつつ、訓練したり欠点を補ったり、あるいはチームをつくることによって、弱点を補うことだ。


□pp. 263-264

 人には適応能力がある。それこそ人間ならではの優れた能力のひとつだ。私たちは周囲の環境や人に慣れる。たとえ欠点のある人でも、その人がほかの部分で頼りになるなら、欠点には眼をつぶることもできる。そこが肝心で、やはり何らかの才能は持っていなければならない。しかし、才能はあってもリーダーと呼べない人はたくさんいる。【リーダーをトップに押し上げるのは、何が何でも成功してやる、というやる気や意志だ】。
 ナルシシスト型のリーダーは、他人からの賞賛を求める気持ちがやる気に火をつける。自己実現型は、世の中を少しでもよい場所にしたいという情熱や強い思いに動かされる。ビジョナリー型は、自分のビジョンを実現したいという思いに動かされる。何らかの原動力があるからこそ、苦労をものともせず、目標に向かってたゆまぬ努力を続け、周囲の人びとをインスパイアしてついてこさせることができる。そのような原動力が内的なものか外的なものか、利他的か利己的なものかは関係ない。
 ただし、原動力はあっても必要な才能が伴わなければ、たいした成果は出せない。しかし、どんなものであれ才能があれば、いろんな才能を持った人たちとチームをつくってやっていける。それなのにいったい何のために、実際にはリーダーシップ能力とはほとんど関係のない、おびただしい数のスキルを社員に身につけさせる必要があるのだろうか? リーダーシップ研修への参加者を選ぶにしても、「やる気」を試すのはじつに簡単だ。誰でも参加可能にしつつも、申し込み手続きをうんと厳しく大変にすればいい。そうすれば、本当にやる気のある者だけが応募資格を満たすことになる。


□pp. 276-277 8章前半では、現場においてF. Taylorの思想が未だしぶとく残っている点をテーマにしている。ただし、著者が共鳴しそうなG. E. MayoとF. J. Roethlisbergerは何故か登場しない。

◆「科学的管理法の父」のまちがい
 「科学的管理法の父」として知られるフレデリック・テイラー(1856年〜1915年)は、経営コンサルタントの先駆けであり、本格的な経営学の専門家としても最初の人だろう。1911年の著書『科学的管理法』(ダイヤモンド社)は数十年にわたるべストセラーとなり、テイラーの思想はアメリカの大企業の経営に影響を与えた。
 テイラーは講演活動を活発に行い、有名企業のコンサルティングや政府へのアドバイスも行っていた。おそらく最大の功績は、自身も教鞭を執っていたハーバードビジネススクールのカリキュラム開発に協力したことだろう。モニタリングや計測、唯一最善の作業方法の確立など「テイラー主義」の考え方は、彼の死後百年経った現在でも生き残っている。
 マシュー・スチュアートは著書『経営神話 (The Management Myth)』(未邦訳)において、テイラーを評してこう述べている。「立証可能なデータや再現可能な方法論の代わりに、もっともらしい数字や、出所の不明な難解な公式で飾り立てたエピソードを並べ立てたにすぎない」 
 たしかにテイラーにはいい加減なところがあったようだ。実際には何の関連性もないような大ざっぱな計算を行って、その効果を過大に見積り、クライアントには過大な料金を請求し、データをごまかして見事に成功しましたと宣言する――【まさに現代の経営コンサルタントの先駆けである】。
 テイラーの没後すでに約一世紀が経ち、さまざまな洞察が得られた結果、我々は彼の思想をしっかりと検討し、評価することができる。科学的管理法は工業化の時代に盛んに用いられたが、こんにちでは「テイラー主義」といえば軽蔑的なニュアンスが強くなっている。だが偉大な思想家の例にもれず、テイラーの思想にも有益なものと有害なものがあった。有益なものとしては、たとえば次の例がある。

・より効率的な作業方法を確立するために作業内容を分析する。
・従業員を放任せず、訓練する。
・作業を適当に割り振らず、従業員の能力に見合った作業を与える。
・心身の疲労を防ぐため、十分な休息を与える。
・従業員をやる気にさせて生産力を上げるため、インセンティブを与える。


□pp. 279-281  テイラー主義と経営理論への批判。

◆「お手軽なステップ」をいつまでも繰り返す
 現在ではテイラー主義は大部分において否定されているとはいえ、企業は事業をモニタリングや計測や最適化することによって成功できるという考え方は、現代の経営手法にもいまだに残っている。
 我々はテイラーの効率化運動のお題目をいまだに唱えているのだ――「がむしゃらに働くより、効率よく働け」「少ない労力で、多くの成果を」。いまもなお業務を測定することが企業経営のカギだと信じ、「経営科学」などと呼んでいる。しかし、テイラーや多くの経営コンサルタントは履きちがえていたようだが、企業経営は科学ではない。
 科学における物体には意思がないため、自然の法則に従って動く。物体には意識もなければ、エゴも、感情も、ユーモアのセンスもない。
 それとは対照的に、私たち人間の属する動物界では、ビックリするようなことが次々と起こる。ペンギンにはゲイがいるとか、バクテリアは複雑な言語を「話す」とか、ハトは迷路を抜け出せるとか、いったい誰がそんなことを想像しただろうか? それなのに経営科学は、人間は定められたルールに則って行動する理性的な存在である、という前提に立っている。
 個々人のことを考えれば、人間は必ずしも理性に従って行動するわけではないとわかっているのに、人間を集団としてとらえると、なぜか非理性的な部分は見えなくなり、理性的に行動するものと考えてしまうのだ(いったい何人くらい集まると、非理性的なはずの人間が理性的な存在にされてしまうのだろうか?)。
 実際、企業経営は科学ではないから「答え」などないし、ましてやビジネスの「ソリューション(正解)」など存在しない。にもかかわらず経営理論は、多数の方法論やあらかじめ用意されたソリューションでできており、成功への手順を指示するのだ。


[メモ]人間が「必ずしも理性的ではない」のは確かだが、「非理性的」とまでいくと言い過ぎだろう。また集団として見る場合であれば、なおさらこの表現は当たらない。この文脈は経営理論への批判だが、経済学の人間観へのありきたりな批判と同型で、筋の良い批判には思えない。




□pp. 280-281  8章のタイトルのもと。上記引用箇所から連続する部分。

 ビジネスの世界には、ベストプラクティスに従えば成功できるという考え方が浸み込んでおり、その前提を疑う人はほとんどいない。だから、「プロセスリエンジニアリングは、ほとんどの場合、期待した成果は得られない」「合併買収はほとんど失敗する」「幹部にインセンティブ報酬を支給する企業は、支給しない企業よりも業績が低い」といった事実が実際にデータで示されても、企業の幹部はベストプラクティスの理論がまちがっているのではないかとは考えず、自分たちがどこでやり方をまちがえたのかを突きとめ、もう一度やってみようとする。
 こうしたメソッドやソリューションは、ビジネス界における流行りのダイエット法や奇跡のダイエット食品みたいなものだ。企業の幹部が魔法のような解決法や「これさえやれば大丈夫」というステップ式アプローチを探し求める限り、企業経営の健全なアプローチを策定することはできない。
 ビジネスも生活と何ら変わらない。それどころか生活そのものだ。健全なビジネスを営むために必要なものは、健康的な生活を送るために必要なものと同じなのだ。流行りの方法や「これさえやれば」の簡単なステップは、どちらに対しても効き目はない。



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