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『哲学ファンタジー ――パズル・パラドックス・ロジック』(Raymond Smullyan[著] 高橋昌一郎[訳] ちくま学芸文庫 2013//1995//1984)

原題:5000 B.C. and Other Philosophical Fantasies (1984)
著者:Raymond M. Smullyan(1919-2017) 論理学。
訳者:高橋 昌一郎[たかはし・しょういちろう](1959-) 論理学、哲学。
装幀:安野 光雅
カバー写真:桑野 桂
カバーデザイン:アルビレオ


筑摩書房 哲学ファンタジー ─パズル・パラドックス・ロジック / レイモンド・スマリヤン 著, 高橋 昌一郎 著


【目次】
目次 [003-005]
はじめに [009-012]


第1部 あなたはなぜ正直なのか

第1章 あなたはなぜ正直なのか 014

第2章 あるパズル 034


第2部  一般的な概念

第3章 さまざまな断片 038

第4章 ある論争 097


第3部 三つのファンタジー

第5章 シンプリカスと木――郊外でのシンポジウム 104

第6章 認識論的な悪夢 120
  第一幕
  第二幕(数週間後)
  第三幕
  第四幕(同日、精神分析医の診察室にて) 
  第五幕(六ヶ月後、精神分析医の診察室にて)

第7章 心身問題のファンタジー 146


第4部 生きるべきか死すべきか

第8章 生きるべきか死すべきか 156

第9章 生と死の禅 163
  啓示と権威
  分析、科学、そして生存の種類
  希望的観測
  個人的な見解
  東洋的な見解
  この問題に関する中国の思想

第10章 そこに何があるのか 204
  存在論
  1
  2
  3
  悪魔について
  4
  5
  中世の存在論と唯我論
  チャンドラの存在論
  【付録】 221


第5部 結末のファンタジー 

第11章 夢か現実か 226

第12章 悟りを開いた唯我論 257

第13章 紀元前五千年 291
  第一部
  第二部


おわりに 312
  いくつかのコメント 
  人は哲学に何を望むことができるか 


訳者あとがき(一九九五年二月二三日 高橋昌一郎) [321-325]
文庫版への訳者あとがき(二〇一三年五月一一日 高橋昌一郎) [321-329]
スマリヤンの著作 [330-333]





【抜き書き】


□まず凡例。(p. 5)

▼ は訳注、▽ は原注である。
本文中の[ ]は訳者による補足である。


□緒言。本書で唯一心安らかに読める箇所。(pp. 10-11)

   はじめに

 本書にまとめたさまざまな作品(少なくともその大部分)は、タイトルが示しているとおり、哲学ファンタジーである。これらの作品の多くは、サイエンス・フィクションの趣もあるが、それよりも新しい表現方法として広がりつつあるフィロソフィカル・フィクションと呼ばれる方が適切かもしれない。この新しい表現方法として私が想定しているのは、ホフスタッターの『ゲーデルエッシャー・バッハ』や『マインズ・アイ』のような作品である。これらの作品は、一般読者が、楽しみながら重要な哲学問題を完璧に理解できるように構成されている。本書もその一例だが、これらの作品は、完全に自己充足的である。つまり、読者は哲学に関する予備知識をまったく必要とせずに、本書を容易に理解することができる。

▼ 1 ホフスタッター(Douglas Hofstadter, 1945-)は、アメリカのコンピューター科学者。インディアナ大学教授。
▼ 2 Godel, Escher, Bach, New York: Basic Books, 1979. [野崎昭弘・はやしはじめ・柳瀬尚紀『ゲーデル・エッシャー・バッハ』白揚社。]
▼ 3 The Mind's I, New York: Basic Books, 1981. [坂本百大 監訳『マインズ・アイ』、TBSブリタニカ。]


 本書のすべての作品がファンタジーというわけでもない。たとえば第3章は、気ままで軽く楽しい雑多な所見・逸話(いくつかは自伝的なもの)・冗談・パズル・パラドックスの寄せ集めである。第4章は、読者に歴史上の驚きを与えることだろう。ファンタジーそのものは、主として第3部と第5部におさめられているが、第10章も風変わりな効果を発揮していることと思う。 
 このような表現方法は、いわゆる哲学の教科書の表現からはほど遠いものである。しかし、本書の内容は、私が大学の哲学入門コースで用いて好評を博したものばかりである。
 本書の登場人物は、多くの伝統的な哲学問題について、さまざまな見解を提示する。彼らが種々雑多な見解を議論する状況を大切にしたいので、私自身の見解はほとんど示さなかった。もちろん、私の主張が表れざるをえない場面があるかもしれないが、私と異なる見解を主張する登場人物に対しても、可能な限り公平であるように努力したつもりである。
 私は、哲学的な観点と同じように、心理的および演劇的な観点にも関心をもって作品を書いた。実際、本書の作品の多くは、哲学問題の分析であるばかりでなく、哲学問題の演劇化でもある。つまり、これらは演劇作品なのである。

 




 以下、「第3章 さまざまな断片」から幾つか抜粋する。

□意味論? 語用論? (pp. 44-45)

   10

 意味論の問題。哲学者のアラン・ロス・アンダーソン(▼1)が、あるセミナーで、次のようなおもしろい出来事を話したことがある。アンダーソンは、第二次世界大戦中に合衆国海軍に所属し、日本軍の暗号を解く部門に勤務していた。暗号文書に何度も出てくる一語(数字で表されている)があったが、その意味を解読するのに全員が必死になっていた。苦労の末、その単語は、国や国民を形容する単語(「この国は〜である」・「あの国は~でない」)であることが判明し、その後、多量のデータを収集した結果、それは親日派と解読されるに至った。終戦になって、極秘暗号表が押収された。その言葉の本当の意味は、誠実であった。

▼ 1 アンダーソン(Alan Ross Anderson, 1925-1973)。


□ Rudolf Carnap(1891-1970)が登場。(p. 48 )

  16

 そのころの私は、哲学者のルドルフ・カルナップの前で手品を演じることに、とくに喜びを感じていた。彼は、最高の観客だった!(多くの数学者や科学者もそうである。彼らは、自分たちがあまりに正直なために、他人のトリックを見破ることが苦手なのだ。)ある手品を見せられたカルナップは言った。「参った! そんなことが、どんな可能世界でも起こりうるとは思わなかった。この現実世界だけのことにしてくれ!」

▼1 カルナップ (Rudolf Carnap, 1891-1970)は、ドイツ出身のアメリカの論理学・哲学者。シカゴ大学・カリフォルニア大学教授。代表的な論理実証主義者。
▼2 「可能世界」は、必然性・可能性の概念を扱う様相論理学において、現実世界の他に想定されるモデルで用いられる。カルナップは、様相論理学の研究によっても知られている。



□ 本書にあまたある独我論の断片のうち、2つだけ採り上げてみる。(pp. 58-59)

   28

 私は、実際に多くの唯我論者に会ったことがある。そのなかの一人が、私に言った。
スマリヤン、君は存在しないんだ!」
「君が存在しないと言っているのは、いったいどこの誰のことだい?」と、私は答えた。


   29

 別の唯我論者が言った。「私しか存在しない。」
「そうだ」と私は答えた。「私しか存在しない。」
「違う、違う!」と彼は言った。「私は、私しか存在しない、と言っているんだ。」
「それは私が言っていることだよ。私しか存在しない。」
「違う、違う、違う!」と彼は興奮して叫んだ。「存在してるのは、君じゃなくて私だ!」
「そのとおり。」私は繰り返した。「存在しているのは、君じゃなくて私だ。完全に意見が合いますね!」
 この時点で、彼は完全に混乱したようだ。




高橋昌一郎による「訳者あとがき」(p. 324)

 さて、本書の最大の特徴は、明晰な論理学者スマリヤンが、彼の奇抜な演出能力を駆使して、論理学では割り切れない哲学に取り組んだことであろう。本書では、善悪や生死に関する倫理学、知覚や自意識に関する認識論、存在論や唯我論に関する形而上学といった、哲学が発生して以来の基礎的諸問題が、縦横無尽に議論されている。


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