原題:The Economics of Excess: Addiction, Indulgence, and Social Policy
著者:Harold M. Winter 経済学。
訳者:河越 正明[かわごえ・まさあき] 日本経済論、医療経済学、マクロ経済。
装幀:遠藤 正二郎[えんどう・しょうじろう]
NDC:498 衛生学.公衆衛生.予防医学
【目次】
献辞 [iii]
目次 [v]
序文 001
謝辞
文献案内
第1章 中毒の経済学 011
主観的な時間選好率 016
合理的な中毒者 020
プリンター、キャッシュバック、そして時間的整合性 023
中毒の経済モデル 030
時間的整合性のある時男
考えの甘い甘太
聡明な聡美
その他の中毒理論 045
学習と後悔
予測バイアス
誘惑と自己管理
中毒ときっかけ
間違いとしての中毒
文献案内 059
第2章 喫煙であなたは死ぬかも 061
便益はどうなっているのか? 064
それはあなたしかわからない 067
喫煙とリスク認識 072
合理的な課税? 084
さまざまな人口グループ
青少年
精神病
途上国
タバコ税と副作用 102
税金と嫌煙感情 106
喜んで管理される喫煙者 109
タバコ広告の禁止 115
喫煙と経済的不安定 121
人生の早い時期における喫煙とその後 124
文献案内 126
第3章 あなたの健康に乾杯 131
飲酒と高校 145
大学での飲酒 148
飲酒と性行動 152
飲酒者のボーナス 157
青少年をターゲットにする 162
国境に向かって走れ 169
アルコールとマリファナ 170
健康保険への危険性 174
文献案内 179
第4章 食べ放題 183
誰が肥満なのだろう? 186
肥満革命 188
技術進歩
食事の支度の分業
働く女性とレストランの増加
肥満増加率の説明の増加 197
所得効果
フード・スタンプ
タバコの価格
ファストフードの特売価格
テレビ広告
学校の近くのファストフード店
学校の資金調達と自動販売機
栄養表示
性急さ
ガソリン価格
ウォルマートと「毎日がお買い得」
育児補助金
都市のスプロール現象
近隣環境の質
体育の授業の単位取得の条件
寒い気候と運動
失業ストレス
もし脂肪なら課税せよ 252
マック訴訟
文献案内 238
第5章 あなたに何が一番いいかはわかっている 243
子ども達を守る 245
割引を割り引くべきか 250
時間的非整合性の重要性 255
自己管理にお金を払う 260
洗練された実験と単純な実験 266
元気を出せ、幸せになれ 272
正しい質問と理想的な回答 276
気がかりは何? 292
文献案内 300
第6章 新しい温情主義――最終的な見解 305
合理性を想定することは合理的である 306
辛抱強さ葉選好であって美徳ではない 308
良好な健康、幸福度と政策分析の複雑さ 310
違いがすべて 317
彼らからわれわれを守る 321
文献案内 323
参考文献 [324-350]
訳者あとがき(二〇一九年一一月 木枯らしの吹き始めた大阪大学吹田キャンパスにて 河越正明) [351-354]
索引 [355-357]
【関連記事】
・下記の新書も本書と同じく、嗜癖行動を標準的な経済学と行動経済学(&健康経済学)の観点分析している。本書と同じく文献紹介が豊富。
『喫煙と禁煙の健康経済学――タバコが明かす人間の本性』(荒井一博 中公新書ラクレ 2012)
https://contents-memo.hatenablog.com/entry/20201013/1602514800
【抜き書き】
「序文」(p. 3)
本書では標準的な経済学と行動経済学の双方を応用して中毒や不摂生そして社会政策を論じる。第一章においては、中毒に関する経済モデルについて、標準的そして行動経済学の双方のモデルについて徹底した議論が行われる。私が詳細に展開するモデルは、両者のアプローチを考慮したものである。そしてこれは本書において最も挑戦的な題材であるが、それはきわめて教育的であって、特に学生諸君においてはそうである。軽い好奇心で読んでいる読者にとって幸いなことに、カギとなるコンセプトはすべてより単純な例によって示されている。
■第2章から。費用便益分析と、「介入が正当化できるか」について
pp. 63-64
〔……〕タバコは今日(合法的に)販売されている製品の中で最も悪名高いものかもしれない。反喫煙を唱える者は非常に声高で、喫煙制限は日々増えているように思える。でもこれはなぜ驚くべきことなのだろうか。それは、喫煙は喫煙者だけでなく受動喫煙者の健康にも悪影響を及ぼすからである。もっと簡潔に言えば、喫煙は喫煙者や他の人々に多大なコストを負わせるからなのだ。しかし喫煙のコストに関するこうした話や懸念にもかかわらず、もう一方の話が聞こえてくることはあまりない――喫煙の便益の話である。
pp. 66-67
費用便益の観点から、喫煙を管理するための政策的介入を正当化する適切な方法がある。第一に、できるだけ多くの費用と便益を特定して測定した後に、喫煙コストが便益を上回っているので、社会政策の観点から規制が正当であると主張することができる。費用と便益をどのように測定するかは、必ずしも重要ではない。それは非常に洗練された統計的手法によるかもしれないし、非常に素朴な方法によるのかもしれない。しかし、もし費用と便益を比べて差し引きでコストが生じているならば、介入を容易に正当化することができる。
第二に、あなたは喫煙の便益には関心がなく、費用便益分析の計算に含めないかもしれない。費用と便益を特定することと、どの費用と便益があなたにとって重要であるかを決めることは、まったく別のことである。社会政策の観点から見て重要なことは、主観である。世の中の見方は、見る人それぞれ独自のものである。経済学者は包括的にしようとする傾向があって、どんな社会政策評価においても、しばしば特定可能で測定可能な費用と便益はすべて計算にいれてしまう。しかし、ある特定の分野の便益や特定の分野の費用が社会政策の決定に無関係だと思うのであれば、含めなくても差し支えない。正しい政策目標のようなものは存在しない。もしあなたが喫煙者の便益を気にしなければ、喫煙制限を支持する可能性がはるかに高くなることは明らかであろう。しかし注意すべきは、喫煙者の便益を気にかけないことと、そのような利点があるとは信じていないことの二つは、まったく別物である。もしあなたが喫煙に便益がないと主張するならば、あなたは事実について間違っている。喫煙の経済学に関する文献のどこにも喫煙は健康的な活動だと主張している者がいないということは、強調すべき重要なことである。ところがまったく逆に多くの経済学者が主張していることは、喫煙は喫煙者にとっては便益をもたらしているのであり、これらの便益は費用を相殺して余りあるものであろうということだ。◆それはあなたしかわからない
なぜ人々は喫煙するのだろう? 喫煙の個人的便益が費用を上回ると信じているに違いない。タバコにお金を費やすことに価値を認めているのである。しかし、この単純な説明に対する一つの反論は、どんな便益があるにしろ、喫煙者は喫煙の真の費用を誤認しているので喫煙しているのではないか、というものである。もし喫煙者が実際よりも危険性が小さいと信じているならば、各自が行っている費用便益計算は不完全な情報で行われていることになる。この完全情報の欠如は、喫煙を制限する社会政策の介入を正当化するためによく使われるものである。したがって、喫煙者のリスク認識を調べることが重要である。彼らは平均的にみて、喫煙のリスクを過小評価する傾向があるのだろうか。