著者:岡西 政典[おかにし・まさのり](1983-) 動物分類学。
NDC:481.8 動物分類学
【目次】
口絵 [/]
まえがき [i-iv]
目次 [v-viii]
第1章 学名はころころ変わる?――生物の名前を安定させる学問、分類学 003
1 新種発表の地道な作業 004
標本を記載する
新種を発見するということ
2 生物を分け、名前を付ける基礎的な学問 012
分類と分類学
生物を認識し、整理する
分類学の成り立ち
階層式分類体系と二語名法
3 生物に名前を付ける意味は? 026
分類学の目指すもの
第2章 地球の果てまで生物を追い求める――陸か、海か 033
1 どちらの生物が多い? 035
陸と海の環境
地球上の動物のおおまかな分け方――門という階級
門の進化と系統関係①――非左右相称動物
門の進化と系統関係②――前口動物と後口動物
陸と海ではどちらの生物が多い?
2 陸の動物を採集する 054
トラップによる採集
見つけ採りによる採集
3 海の動物を採集する 064
磯採集(見つけ採り採集)
微小生物に目を向ける
沖合の生物を採集する
スキューバダイビング
4 最後に。安全とマナーには十分注意しよう 083
必ず採取の許可を得る
安全に配慮しよう
第3章 分類学の花形、新種の発見 091
1 深海は新種の宝庫――謎の生物テヅルモヅル 093
テヅルモヅルとは
2 身近な秘境「海底洞窟」の洞窟性甲殻類 098
海底洞窟研究の盛り上がりと洞窟性種の発見
海底洞窟に潜る
3 砂の隙間に潜む小さきクマムシと動吻動物 107
クマムシとは
動吻動物、キョクヒチュウとは
4 「コスモポリタン」は一種ではない? 117
生物学的種概念
キヌガサモヅルのなかに見つかった新種
5 東京大学三崎臨海実験所――明治から続く新種発見の拠点 128
三崎臨海実験所の沿革
サナダユムシ《Ikeda taenioides》
オトヒメノハナガサ《Branchiocerianthus imperator》
その他の珍種・新種
第4章 命名――学問の世界への位置付け 145
1 古今東西の文献・標本調査 146
「公表された」文献を収集する
ターゲットを定め、歩む
2 国際動物命名規約 155
命名規約成立の経緯と仕組み
命名規約の対象とする生物(動物命名規約 条一)
命名規約が適用範囲とする「階級群」
①二語名の原理(条五)
②先取権の原理(条二三)
③同名関係の原理(条五二)
④第一校訂者の原理(二四・二・一)
⑤同位の原理(条三六)
⑥タイプ化の原理(条六一)
4 歴史に埋もれた新種――誰も知らなかったサザエの学名 180
第5章 これからの分類学 189
1 生物の数と分類学者の数 191
未記載種の本当の数は?
分類学は「終わりのない学問」なのか
成長株の学問、分類学
2 情報化によって生まれる「新しい分類学」 198
文献整理はコンピューター任せ
標本情報のデジタル化がもたらす効率化
3 分類学の広がり――他分野とのコラボレーション 207
あいだ時間に何をする?
分類学は全ての種を研究対象とすることができる
形態学・古生物学へ
分子生物学・ゲノム科学へ
4 「市民サイエンス」という新たな科学の形 221
誰でも科学者になれる?―― SNSを使ったナメクジ包囲網
海中を「二〇〇〇の目」が観察する
分類学と社会のコラボレーション
5 分類学の終着点 229
あとがき――あなたが「新種」を見つけたら 231
巻末付録 記載論文の例 [239-244]
参考文献 [245-252]
Column
ラテン語とは――学名のはなし① 024
なぜ多様性が重要なのか 030
名は体を表す、ムカデの場合――学名のはなし② 062
分類学は主観的? 087
よくある命名、神様の名前を付ける――学名のはなし③ 114
本当に「レア」な動物とは? 140
化石のニンジャタートルズ――学名のはなし④ 174
長い長いウニの学名――学名のはなし⑤ 178
さまざまな種小名の文法パターン――学名のはなし⑥ 185
【抜き書き】
□pp. ii-iv
ニュースにこそならないが、このような新種は毎日のように発見されており、そのペースは近年では一年に二万種近くとも言われている。生物に名前を付ける方法が確立したのは一七〇〇年代中ごろ。それから二五〇年ほどが経過し、大空を無人撮影機が飛び交い、水深一万メートルを超える深海まで無人探査艇がたどり着けるほどに科学は発達したが、新種が発見されるペースは一向に落ちる気配がない。
このことから導き出される事実は二つである。一つは、生物が、私たちの思っている以上に多様であること。そしてもう一つは、生物を命名する学問分野がいたって人手不足であるということである。
生物は多様である。現在、地球上で名前が付けられている生物は一八〇万種以上、動物は約一三〇万種と言われている。ところが未知種の数は、少なく見積もって既知種の倍以上と言う専門家もいれば、一億種以上と見積もる専門家もいる。つまりその多様性は、推定すらできていないのである。それに引き換え、生物の名付け親たる「分類学者」ははるかに数が少ない。正確な数はわからないが、例えば国内で毎年開催される日本動物分類学会には、約一〇〇人が参加している。これは学生も合わせた数なので、「分類学」で職を得ている国内の研究者の数はもっと少ないだろう。「うちの国もほぼ同じような状況だ」と国際学会で顔を合わせる海外の研究者たちも一様に肩を落とす。
そもそも分類学とは、未知の生物に名前を与え、生物の進化の道筋である系統樹のなかに位置付け、科学の対象へと引き上げる学問分野である。分類することで私たちは新たな生物を認識できるようになるのである。ところが、ときに各紙誌を騒がせ、派手な印象のある新種の発見だが、そこにたどり着くまでのプロセスは一般には全く知らされていない。生物を野外で採取し、標本にし、観察し、過去の文献と比較し、しかるべき「研究論文」として発表するというプロセスは非常に地味なのである。
しかし、私はこの分類学こそ、やりがいのある学問だと信じている。見紛うことなき新種を手にした瞬間や、何百年も保管されていた標本を目にし、長年頭を悩ませてきた問題が一気に氷解していく瞬間など、得も言われぬ知的興奮を味わうことができる。分類学はまた、生物学のなかでは歴史が古く、基礎的な学問でありながら、生物の多様性を常に最前線で目の当たりにすることのできる学問である。近年の生物科学の発展を受け、一層の展開を見せつつある進化途上の学問でもあるからだ。
そこで私は、この分類学を、なるべく多くの人に知ってもらいたいと思い、本書の執筆にあたった。できるだけ一般の方にも触れやすいよう、誰でも一度は耳にしたことがあろう「新種発見」のプロセスを中心に、分類学の事例を多数取り上げつつ、その基本構造をご紹介する。
分類学は他の分野に比べて旧態依然と言われ、分類学の教科書には「地球上の生物すべてに名前を付けるには、分類学者はあまりに人手が足りておらず、我々は地球の生物のほんの一握りしか把握できていない」との記述がある。果たしてそれは真実なのか。
本書では、近年の分類学の隆盛や、私が目にしてきた分類学者のさまざまな取り組みを紹介するとともに、最新の研究成果も交えつつ、近年の分類学や、それを取り巻く科学の進歩、そして分類学のこれからについても、なるべくリアルにお伝えしたい。
また、本書に登場する新種記載の例には、一般にはあまり知られていない動物、特に海産無脊椎動物も多く挙げている。それによって分類学という学問に触れながら、多様な動物に親しみを持ってもらえるよう工夫したつもりだ。これから生物学を目指す大学生・大学院生が動物分類学という学問を知る機会になれば幸いである。
なお、本書は動物命名の目的のために公表するものではないことを付記しておく。
□17-20
◆分類学の成り立ち
現代へと続く分類学の基本的な構造を打ち立てたのは、スウェーデンの博物学者カール・リンネ(Carl Linnaeus)である。彼は、一七五八年に出版した『自然の体系(Systema Naturae)』の第一〇版によって動物分類学を、一七五三年に出版した『植物の種(Species Plantarum)』の第一版によって植物分類学の基礎を築いた(Linnaeus, 1753, 1758。『自然の体系』が第一〇版の理由は後述)【Linnaeus, C. (1753) Species Plantarum】*1。
現在でも、後述する命名規約によって、基本的にはこれらの年代がそれぞれ、動物と植物の命名の出発点(起点)に定められている(ウィンストン、二〇〇八)。ただし、動物では例外的に、『自然の体系』第一〇版の前に本格的に二語名法(後述)を用いて出版されたクモ類の著書であるカール・クレアク(Carl Clerck)の『スウェーデンのクモ類(Aranei Svecici)』 *2 が規約の範疇に含まれる。また、植物では一部のグループの起点が一七五三年よりも遅くなっている。
ここで「動物」について少し触れておこう。「動物」と聞くと、人間以外の動物、それも魚、カエル、トカゲ、鳥、哺乳類などの、脊椎動物を思い浮かべる方が多いだろう。しかし、学問的には動物といえば、我々人類はもちろんのこと、脊椎動物だけでなく、ヒトデ、ナマコ、ウニなどの棘皮動物、貝、イカ、タコなどの軟体動物、クモ、ムカデ、カニ、カブトムシなどの節足動物、イソギンチャク、サンゴ、クラゲなどの刺胞動物、すなわち多細胞の動物全体のことも指すし、他にもゾウリムシなどの単細胞の動物も含む。だが本書で「動物」といえば単細胞の生物は含まず、多細胞の動物全体を指すことにしたい。
リンネが『自然の体系』を著す前にも、生物の分類は行われていた。ギリシャ の哲学者アリストテレスは『動物誌』を著し、五〇〇あまりの動物を記述・分類し、体系化するという自然史学の礎を築いた(藤田敏彦(2010)『動物の系統分類と進化』裳華房)。日本では古代から中世・近世にかけて薬用植物を主な対象とする学問としての「本草学〔ほんぞうがく〕」が自然史学の礎となり、さまざまな動植物の記載が行われている。
しかし、当時は人類が知りえる生物の種数はそれほど多くなく、また後者の本草学は学問というよりは、カタログ的な意味合いが強く、実用的な生物の性状や効能の記述に終始し、物そのものの形状・性質の詳しい記載や体系付けは行われていないものが多かった。したがっていずれも体系立った学問には発展しなかった(西村三郎(1987)『未知の生物を求めて――探検博物学に輝く三つの星』平凡社; 馬渡峻輔(1994)『動物分類学の論理――多様性を認識する方法』東京大学出版会)。
◆階層式分類体系と二語名法
これに対してリンネは、『自然の体系』のなかで、「階層式分類体系」を提案した。これは、多数の種のなかから似たようなもの(クラスター)を集め、さらにそのクラスター同士を集めて高次のクラスターを作る、という作業を繰り返し、入れ子式の階層構造を作るものである。現在で言うところの、PCのフォルダ分けに似ている。というよりも、PCのなかの情報(ファイル)を整理する際に、人は自然にフォルダ分けを行う。階層的な分け方が、物を整理するのに都合がいいことを我々は直感的に理解しているのだろう。いずれにせよリンネは、階層性によって、動物も秩序立てて「整理」できることを示したのである。
リンネは、これらのクラスターに、動物では綱、目、属、種、変種という階級を与え、階層構造に落とし込んでいる。現在では変種がなくなり、門(綱の上)と科(目と属の間)という階級が加えられている。つまり、現在の階級は、門、綱、目、科、属、種を含むことになる。そして、これらの各階級にそれぞれラテン語の「学名」が与えられている。
例えば、二〇一五から一六年にかけて、人間に害を及ぼす毒を持つ外来種として世間を賑わせたヒアリは、節足動物門(Arthropoda)、昆虫綱(Insecta)、ハチ目(Hymenoptera)、アリ科(Formicidae)、トフ シアリ属(Solenopsis)、ヒアリ《Solenopsis invicta》という名前が付けられている(Buren, W. F. (1972) Revisionary studies on the taxonomy of the imported fire ants. journal of the Georgia Entomological Society, 7, 1-26. DOI: 10.5281/zenodo.27055)。そしてこれらの学名は、英語でもフランス語でもなく、全てラテン語で表記するように定められている。これによって、前述した言語による問題が一つ解決されたこととなる。ラテン語は一般にはなじみの薄い言語ではあるが、意味はわからなくとも誰もが同じ綴りで生物を認識できるようにした、ということは大きな発明なのである。
ところで、属名と種名が全てイタリック(斜体)で表されるのは、本文の言語以外の言語の単語を識別するための、印刷上の習わしによるものということである(ジュディス・E・ウィンストン(2008)『種を記載する――生物学者のための実際的な分類手順』新井書院)。このような本文と異なる字体の使用は、動物命名規約においては条項で規定されているわけではなく、「一般勧告」のなかにのみ記されているため、強制ではない。
これらの学名のなかで、最小の単位である種名だけは、二つの単語によって記述されている。これが、リンネの階層式分類体系のもう一つの特徴、「二語名法」である。〔……〕
*1:Linnaeus, C. (1753) Systema naturæ per regna tria naturæ, secundum classes, ordines, genera, species, cum characteribus, differentiis, synonymis, locis. Editio decima, reforma, Tomus I.Laurentii Salvii, Holmiae
*2:Clerck, C.(1757) Svenska Spindlar uti sina hufvud-slägter indelte samt under några och sextio särskildte arter beskrefne och med illuminerade figurer uplyste / Aranei Svecici, descriptionibus et figuris æneis illustrati, ad genera subalterna redacti, speciebus ultra LX determinati. Stockholm: Laurentius Salvius. pp. 1-154.