著者:猪木 武徳[いのき・たけのり]
NDC:307 社会科学 >> 研究法.指導法.社会科学教育
【目次】
まえがき [i-iii]
目次 [iv-x]
第1章 まずは控え目に方法論を
1 問いと観察をめぐって 001
「燻製ニシン」にまぎらわされず
方法論に潜む矛盾
「問うこと」の重要性
現場の空気を吸うこと
見えないものの観察
文書資料の価値の判断
2 数字の重要性と限界 013
概念(concept)について
概念を指標に変換する
GDPが抱える問題
虚無主義に陥らず、改善を進める
「無茶な議論」をしないために
歴史を学ぶときとの共通点
「知的誠実さ」と「倫理的誠実さ」
自然科学的な体裁を目指すことのマイナス面
「真理」を求めるか、「真らしい」ものを求めるか
政治の力から自由な学問はあるか
3 方法を使い分ける 030
社会研究と自然科学の違いとは
個別の経験がすぐに学問にはならない
定義の不確かさ
大根を「正宗」で切らない
なぜフィールド・リサーチは避けられるのか
試行錯誤の可能性
研究計画書のすすめ
文献サーベイの重要性
第2章 社会研究における理論の功罪
1 リカードの「明晰さ」と「悪弊」 043
グランド・セオリーと預言
仮定に潜む価値判断
リカードの比較優位の理論
サムエルソンの挙げた譬え
シュンペーターが批判した
「リカード的悪弊」
強者の論理ともなりうる理論の政治性
2 演繹論理はドグマを生む 077
自由貿易の黄金時代は短かった
歴史の転換点としての1930年6月17日
レーガン政権の日本バッシングの帰結
福澤諭吉における理論と政策
日本資本主義論争を振り返る
大塚史学の影響力とその意味
演繹論理のみに頼る危うさ
3 多くの学問は比較に始まる 072
比較経済史と地域研究の重要性
比較によって対象を相対化する
改めて理論の役割を考える――その否定的な使用
プロスペクト理論は思考の枠を広げてくれた、しかし......
第3章 因果推論との向き合い方
1 結果には原因があるという思考法の歴史 085
原因と結果の相互性――福澤諭吉の場合
プロクルーステレースの寝台?
複雑さを受け入れる
ヒポクラテスの考えた因果の論理
アリストテレスからヒューム、カントへ
2 因果関係にまつわる困難 098
ルビンの壺に見る認識の特質
ケインズの指摘
相関関係と因果関係の混同
社会現象における因果関係把握の難しさ
統計的差別の理論
3 新たな手法の開発 108
この「難所」をどう克服するか
一卵性双生児に注目した手法とその限界
ランダム化されたサンプルを用いる
近年の展開は朗報ではある
「シンプソンのパラドックス」は直感に反する
第4章 曖昧な心理は理論化できるか
1 「期待」が人間の行動を考えるカギ 027
不確かさの源泉――他者と未来
蜘蛛の巣サイクルに見る「期待」の難しさ
期待を重視したケインズ
「米騒動」(1918年)の特徴
若き石橋湛山の分析
2 思想と現実の関係 055
事実と「事実と信じられたこと」の違い
津田左右吉の歴史哲学
偽薬(プラセボ)と経済政策の類似点・相違点
自己実現的予言とは何か
銀行の取り付け騒ぎのメカニズム
3 熱狂が社会を変える? 047
個人の動機と社会全体の帰結
クリティカル・マス(臨界質量)という考え方
相互依存のない状況で、ささやかな好悪が極端な結果を生むケース
日常生活の具体例
歴史的事例1――ジョン・ローのシステム
歴史的事例2 ――南海泡沫事件
優れた理論家の犯しがちな過ち
第5章 歴史は重要だ (History Matters) ということ
1 現在だけを見て全体を論ずる勿れ 163
歴史をよく知る
安易な一般化を避ける
日本は終身雇用?
江戸時代の奉公人の選抜と昇進
工業化初期は日本でも離職率は高かった
2 経路依存性について 176
経路依存性(Path-dependence)
初期条件と攪乱要因
ハイチとドミニカの歴史の経路依存性
逆転現象をもたらした要因
それでも残る問題点
3 証拠の客観性をめぐって 088
一つの均衡点には収束しない
QWERTYの由来
個別事例研究と法則定立科学
歴史学派が現れた背景
証拠(evidence)をめぐる医療と公共政策の違い
説明責任(accountability)とは
客観性(objectivity)について
第6章 社会研究とリベラル・デモクラシー
1 科学は政治から逃れがたい 203
「科学の政治化」という問題
ガリレオ裁判とルイセンコ論争
月と雲の時代
限定と単純化があるという自覚
現代の科学も政治化される
ゼロ・リスクへの誘惑
マーシャルの “Cool heads but warm hearts"
2 競争の利点はどこにあるのか 216
社会生活の基本構造を古い書物からも学ぶ
宗教的心情と経済的動機の重要性
貧困問題との対峙
競争を過度に重視してはならない
「摩擦のない世界」を想定する?
発見の装置としての競争ハイエクの重要な指摘
競争という言葉には「協力」という意味が含まれる
3 「どうにか切り抜ける」ために 230
感情の重要性――「同感」と社会秩序
政策論の対立か、感情の対立か
一般的モデルではなく、特殊モデルが必要なこともある
権威主義に陥るな
社会問題を見つけ、研究するとは
リベラル・デモクラシーにおける社会研究
あとがき(2021年5月 猪木武徳) [244-247]
参考文献 [248-254]
人名索引 [255-257]
【抜き書き】
・「5章1節 現在だけを見て全体を論ずる勿れ」から、俗流(比較)文化論に代表される拙速な「一般化」への注意喚起と対策を述べた箇所(pp.166-171)。
なお、引用文の後半で取り上げられた、「(雇用慣行・企業統治に関わる)日本特殊論」の例については、『学校と工場――二十世紀日本の人的資源』でより詳しく検討されている。
安易な一般化を避ける
いずれにせよ、その由来や過去を調べることによって、「今、なぜそうあるのか」をある程度理解することができる。しかし言うまでもなく、事物なり制度が「なぜ時間とともにそのように変形したり、しなかったりしたのか」という問いへの答えは容易に得られるものではない。
ただ、歴史を知っておくことは、少なくとも二つの点でわれわれを怪しい通説や俗説から救ってくれる。一つは、(1)現在の姿を、理性が説明しうる「合理性」だけによって単純に解釈するのではなく、その複雑かつ曖昧な要因にも目を配ろうとする姿勢を生むこと、もう一つは、(2)「歴史的に(例えば、日本は、日本人は)常にこうだった」という誤った思い込みや、思いつきの推論に陥らないように、より正確に過去を知ることの必要性を自覚させてくれることだ。〔……〕歴史的要因の作用や影響力はケース・バイ・ケースであろう。重要なのは、歴史を知れば、安易な一般化の危険を避けられるということだ。
国民性の類型化やいわゆる文化論の中には、ほとんど「結論先取りの思い込み」によって展開されるものがある。論理学でいう「論点先取(Petitio Principii)」 の誤謬である。証明すべき命題が前提の一つとして使われているケースである。現在こうなのは、昔からこうなのだと思い込むこと、過去にこうであったから、今も常にこうなのだ、というのもこれに類した推論であろう。
具体的な例として、日本の組織における人材の選抜と昇進の仕組みは、江戸時代の内部昇進と組織内競争の変容したものなのか、そこにはどのような合理性があるのかが挙げられる。特に日本が急速な経済成長を遂げた1960年代、70年代には、日本社会の中にその「成長の奇跡」を解く秘密のカギがあるのではないかという日本特殊論に注目が集まり、多くの日本文化論が展開された。日本企業で働く人たちは、「終身雇用」「企業別組合」「年功序列」という特殊な雇用慣行のもとにあると主張されたのだ。
しかし日本企業の様々な制度や慣行の中で、人材育成の方式を諸外国と比較すると、こうした特殊論とは必ずしも一致しない点が検出されるようになった。ここでは次の二点を意識しながら振り返っておきたい。一つは、よく「日本的」という形容句をつけて日本企業の特質を論ずることがあるが、信頼できる統計や資料、聴き取り調査によって日本の実態を見る必要があること。もう一つは、言うまでもないことだが、何が日本の特徴であるかは、世界の相場がどうなのかを知らねばならないこと。諸外国との比較において、はじめて日本の特質が浮かび上がるからだ。
一般に流布していた不正確な通説として、日本の労働者は「終身雇用」制度のもとにあり、企業への忠誠心が強く、離職・転職をしないとしばしば語られた。「文化」を調べるには、実際の慣行として、具体的に観察できるものを見ていくよりほかはない。なぜなら、忠誠心という定義しにくい意識や考え方を直接テストすることはできないからだ。意識や考え方の「内容」が制度や慣例として一定の「形式」をとったとき、その「形式」を信頼できるデータを用いてチェックすることが「文化」を論ずる際には欠かせない。