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『介護する息子たち――男性性の死角とケアのジェンダー分析』(平山亮 勁草書房 2017)

著者:平山 亮[ひらやま・りょう](1979-) 社会心理学社会学ジェンダー研究。
装丁:吉田 憲二[よしだ・けんじ] 装丁、装画。
NDC:367 


介護する息子たち - 株式会社 勁草書房


【目次】
目次 [i-v]


序章 息子という経験――なぜ息子介護を問うのか 001
  息子としての経験は、取るに足らないものなのか
  息子という、向き合いたくない自分
  母親への見方におけるジェンダー
  語りやすい「重い父」、語れない「重い母」
  男性学による男性の構築
  もはや息子介護者は少数派ではない
  本書の構成
  「男らしさ」の追求――いかにして依存を隠蔽するか
  「自立と自律のフィクション」の解体を目指して


第一章 息子介護の分析視角――ケアにおけるマネジメント、関係としてのケア 035
  ケアの二分法――「世話すること」と「気遣うこと」
  「感覚的活動」とは何か
  マネジメントとしての「感覚的活動」――二分法からこぼれ落ちるもの
  関係としてのケア
  フェミニスト心理学、フェミニスト倫理学におけるケア概念への批判
  小括:メイソンのケア論と「感覚的活動」
  マネジメントにおけるジェンダー不均衡――見落とされてきたケア負担
  息子介護におけるマネジメントは誰が・どのように
  「ケア能力」再考――個人属性で説明することの何が問題か
  男性の方が責任感が強く、孤立しやすい?
  経済的困難による説明の限界
  本書の課題――何を問うか・どのように問うか


第二章 息子によるケア――親の老いの受けとめ方ときょうだい関係 073
  サポートとケア――なぜ「見方」と「看方」の両方が必要なのか
  息子によるケアへのアプローチ――関わる・関わらないの二分化と単独インフォーマントの限界
  子どもたちはケア体制にどのように参加するか――サラ・マシューズによる類型化
  息子たちはどのようなケアを提供しているのか
  息子たちはどのようにケアを提供しているのか
  「常に寄り添う」のが「良いケア」なのか――老年学への批判
  姉妹ばかりが担う「お膳立て」――親のケアにおけるジェンダー不均衡
  「家族の虚像」――きょうだいの「絆」に寄りかかる息子
  「お膳立て」が失われたとき──息子ひとりがケアする危うさ
  弱き者を弱き者のまま尊重すること――「息子らしい」ケアの課題


第三章 介護する息子の語り方・語られ方――「説明可能にする実践」としてのジェンダー 105
  Doing Gender
  息子介護の説明可能性
  互酬性という動機づけ
  女きょうだいをどのように免責しているのか――「嫁役割」の逆説
  主介護者にはなるが、単独介護者にはならない――男きょうだいに用いられる基準
  息子がやるべき、息子だけでやるべき
  女性の・という地位――なぜ独身の女きょうだいは現れなかったのか
  なぜ妻ではなく自分なのか──「嫁役割」というデフォルト
  妻の就労は何を難しくしている(と理解されている)のか
  施設介護のほうが良いと「言える」とき
  息子=男性のケア能力はいかにして擁護できるのか
  ステレオタイプの解体――困難の一過性と普遍性
  僕という例外――維持される「男性には介護は難しい」
  男であることのアドバンテージ――「制度的配置」の「誤用」
  攪乱的実践?――息子介護者のdoing genderがもたらすもの


第四章 介護を土俵とした「男らしさ」の競演――セルフヘルプ・グループの陥穽 155
  同輩との「出会い」は限られる
  なぜ「出会い」に消極的になるのか
  「出会い」は常に「よきもの」か
  「しろうと」どうしの情報交換への懐疑
  弱音の吐き方がわからない
  「思いを何でも話してよい」という重圧
  競われる介護負担――辛苦の告白を「男らしく」聞く
  「出会い」の拒否が「最善の選択」になるとき
  「男には男を」は、いつ・どれだけ有効か
  全然違う「あちらさん」――同じだからこそ際立つ差異
  「同じ男どうしだからこそ」を超えて


第五章 「老母に手を上げてしまう息子」の構築――暴力の行使はいかにして自然化されているか 183
  文脈の効果としての男性性と暴力の結びつき
  IPVとの比較――どのように分析するか
  「テロリズム」と「状況的暴力」――ジョンソンによるIPVの類型化
  どちらが強者なのかわかりづらい――「テロリズム」との差異
  肉体的な力の差で理解することの限界
  IPVとの比較から示唆されること
  つねに既にそこに在る関係?――男性にとっての家族
  男性という受動性――家庭における男性の振る舞いを説明可能にするもの
  「男らしさ=感情的」という逆説
  私的領域における男性の受動性
  母の「あきらめ」――性別分業構造に保障される「完璧な息子」の支配権
  「落差」の少ない男親の老い――穏やかな息子・父関係
  被介護者はいつ「手におえない」存在になるのか――暴力の受け止め方におけるジェンダー
  男性性と暴力の結びつき、その自然性を剥ぎ取る意義


終章 息子介護研究が照らし出すもの――男性学は何を見落としてきたのか 217
  解釈資源としての「息子性」
  弱者が弱者のまま存在することの否定
  「男性性=自立・自律」という欺瞞
  消去されるケア負担、隠蔽されるジェンダー不均衡
  男性学における「自立・自律」の問題化
  「関係的自立」が覆い隠すもの
  男性が男性性を志向することの意味
  女性たちは男性のみが稼得役割を担うことを期待しているのか
  稼得役割への強迫を「生きづらさ」と呼ぶことの保守性
  最も変わってもらわなければいけない男性にこそ届かないアピール
  支配・従属関係に鋭敏になる――個人としての男性に何ができるか
  誰のための解放か――「降りる」意味を関係の視点から考える
  「男性とケア」という問題系
  なぜ弱さは否定されなければいけなかったのか


あとがき [257-262]
参考文献 [i-x]





【メモランダム】
・平山亮と上野千鶴子の対話。ラフなおしゃべりのため面白いが、根拠のない一般化も多いので話半分にしたほうがいい。上野の発言が過剰に攻撃的な点にはまったく感心しない。
《ジェンダー対話シリーズ》第3回 平山亮×上野千鶴子:息子の「生きづらさ」? 男性介護に見る「男らしさ」の病 ――『介護する息子たち』刊行記念トーク - けいそうビブリオフィル





【関連書籍】

『若者の介護意識――親子関係とジェンダー不均衡』(中西泰子 勁草書房 2016) 

【目次】
はしがき

序章 介護志向からみた親子関係の将来像 娘は親を看るのか
 1 老親介護志向を捉えることの意義――親子関係の再定位  
 2 介護志向への着目  
 3 「娘」としての意識への着目  
 4 親子の愛情と性別分業  
 5 本書の構成  

第一章 「娘」による老親扶養の位置づけ
 1 家規範の一部としての老親扶養――対象外の娘  
 2 規範に支えられた扶養から情緒的つながりに支えられた介護へ――注目される娘  
 3 フェミニズムからの指摘「なぜ息子ではなく娘なのか」  
 4 日本における研究課題  

第二章 親子の愛情と性別分業 視点と枠組み
 1 老親介護をめぐる自発性と権力性  
 2 分析枠組み  
 3 調査概要  

第三章 老親扶養をめぐる若者たちの意識
 1 介護志向の現在  
 2 経済的扶養志向や居住志向との関連性  
 3 家意識と介護志向  

第四章 女性のライフコースと老親扶養志向
 1 娘の老親扶養志向を規定する社会的要因  
 2 女性のライフコースと老親扶養志向――大都市郊外の場合  
 3 男きょうだいの有無に左右される娘の老親扶養志向――地方都市の場合  
 4 地域比較からみた娘の介護志向の変容――長男扶養(家)との関連において  

第五章 介護志向はいかにして決定されるのか
 1 当事者の意味づけからの捉えなおし  
 2 動機づけの揺らぎ  
 3 条件依存的な志向  
 4 老親介護の可能条件にみるジェンダー  
 5 介護への関与の仕方におけるジェンダー不均衡  
 6 娘の介護志向に見る自発性  

第六章 親の扶養期待にみるジレンマと娘への介護期待
 1 子どもに扶養を期待するということ  
 2 扶養期待にみるジレンマ  
 3 自発的な扶養を期待するというパラドックス  
 4 自発的な扶養への期待と娘への介護期待  

第七章 親と親密であるとはどういうことか
 1 精神分析が規定してきた母娘関係の情緒的つながりの強さ  
 2 母子関係認識にみる男女差  
 3 母親との親密さにみるジェンダー  
 4 密着・分離の二項対立図式と「もうひとつの声」  
 5 密着・分離の二項対立図式がもたらす母子関係のジェンダー不均衡  

終章 老親介護にみるジェンダー秩序
 1 家族のあり方と娘の介護志向――個人化過程との関連において  
 2 老親介護をめぐる選択肢構造  
 3 母子間の情緒的つながりと性別分業  
 4 構造的帰結としての性別分業の再生産  
 5 今後の家族介護において想定される問題  
 6 愛情に基づく介護は性別分業と不可分か  
 7 「家族」を開いていくこととのつながり  

あとがき
参考文献
索引