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『メンタルクリニックの社会学――雑居する精神医療とこころを診てもらう人々』(櫛原克哉 青土社 2022)

著者:櫛原 克哉[くしはら・かつや] 社会学
装幀:水戸部 功[みとべ・いさお](1979-)  装幀。
NDC:493.7
件名:精神医学
件名:社会医学
NDLC:SC361
NDC:493.7 内科学 >> 神経科学.精神医学
備考:著者の博士論文(「外来精神医療の治療空間の編成と患者の自己観に関する社会学的考察——自己をめぐるディスコース分析」)をもとにした本。


青土社 ||心理/脳科学:メンタルクリニックの社会学


【目次】
目次 [001-004]
ただし書き(差別語について) [006]


序章 メンタルクリニック社会学 007
1 メンタルクリニックの増殖
2 メンタルヘルスをめぐる問題と社会学
3 本書の構成


第1章 メンタルクリニックの誕生 023
1 「メンタルクリニック」とは何か
2 メンタルクリニックの原点
  二〇世紀初頭の「神経」の病
  精神医療のインフラ拡充と精神科診療所の黎明期
3 「神経科」の増加と神経症〔ノイローゼ〕の時代
4 広がるメンタルクリニック
5 メンタルクリニックと現代


第2章 不安定な医療化――何を医療とみなすのか 057
1 反精神医学の系譜
2 精神科診療所と治療対象の拡大――イギリスとアメリカの事例
3 「パーソナリティ」から「精神疾患」への転換――DSM革命と脳神経化学の興隆
4 「抗うつ薬の時代」――精神科薬物療法
5 認知行動療法の台頭――精神療法
6 さまざまな「自己のテクノロジー」――百花繚乱、百家争鳴のなかで
  テクノロジーに囲繞〔いにょう〕される自己と社会の加速化
7 不安定な医療化


第3章 トラブルの「実在」をめぐる問い 109
1 診てもらうべきトラブルをめぐる問い――対人間のトラブルのミクロポリティクス
2 身体トラブルの経験
3 精神的なトラブルの発生源の有無
  「過労の物語」
  本当に病気なのか?――発生源の不在
4 「精神科に行くの……?」
5 自己診断と認知をめぐる問題
6 性格や人格の掘り下げ――過去の探究
7 医療従事者はどう診るか――トラブルの受け止めと対応


第4章 治療する自己――薬・脳・こころをめぐる語り 157
1 精神科薬物療法――何を治そうとするのか
2 薬効をめぐる語り――効く薬と効かない薬をめぐる問い
  休職・休養
  状態改善のための服薬
3 脳神経化学的な〈知識〉の習得と〈実感〉の不在
4 薬理作用と依存
  薬物療法と「根本的」な治療の齟齬
5 「カウンセリング」にふれること
6 認知行動療法をめぐる語り
7 追い求められた「根本」


第5章 「治る」と「治らない」のはざま 221
1 医療者との関係のなかで
2 どこまで治せるか
  回復とリカバリー、妥協すること
  メンタルクリニックアノミー ――治療を急ぐ患者
3 診断の探求――「病い」から「疾患」へ
  自分に当てはまる/当てはまらない診断
  診断のテクノロジー ――白黒つけること
4 どこかで立ち止まること――「発達障害」という言葉


終章 メンタルクリニックの「出口」 273


あとがき(二〇二二年五月二九日 松山にて 櫛原克哉) [283-285]
註 [286-309]
付録 [XX-XXII]
参考文献 [V-XIX]
索引 [I-IV]
著者略歴 [/]




【メモランダム】


・誤記・誤植(スペルミス)
 些細なものは複数あるが、とりあえず一ヵ所だけ。参考文献の一枚目(巻末v頁)。

Beck, A. T., 1962, "Reliability of Psychiatric Diagnoses: A Critique of Systematic Studies. American Jouranal of Psychiatry," American Jouranal of Psychiatry, 119(3): 210-216.

 この学会の正式な名称には、JouranalではなくJournalが用いられる。二回ともJouranalと書いてあるので、おそらく入力時にエディタのコピー・アンド・ペースト機能を活用したと思われる。


・本論には関係ない重箱の隅をつつくことになるが、誤植だけでなく、記述内容の誤りもある。
 第3章の註3(299頁)には次のような記述がある。

「内輪」の分岐先の「片面」と「両面」について、これは内輪のなかにいる人々の間で、トラブルがどのように捉えられ、位置づけられるのかを表す概念である。芥川龍之介の小説『羅生門』では、同じ出来事でも、みる人によってまったく異なる現実が現れる様子が描かれているが、「片面」と「両面」もこれに近く〔……〕。

 これは、著者がRobert M. Emersonの論を説明する際に、日本の読者向けに有名な作品を持ち出した箇所。しかし、ある事件が証言する者によって異なる様相を見せるというストーリーなのは、『藪の中』(1922年)だ。もしくは、『藪の中』の主題に『羅生門』のタイトル・設定を借りた、映画『羅生門』(1950年公開)の方か。
 『藪の中』はほとんど慣用句にもなっているので、青土社の編集者・校閲者が見逃したのは意外。