著者:島薗 進[しまぞの・すすむ](1948-) 宗教社会学、近代日本宗教史。
NDC:175.1 神社と国家.国家神道.神社行政.神社法令.社格
※ルビは適宜、全括弧[ ]に示した。
【目次】
はじめに――国家神道が問題なのか? [i-ix]
国家神道の唱和を覚えた日本人
神道と神社は同一ではない
国家神道の教えから日本人論へ
国家神道の構造と骨格を描く
国家神道の解明が重要であるわけ
付記 [x]
目次 [xi-xiv]
第一章 国家神道はどのような位置にあったのか?――宗教地形 001
1 「公」と「私」の二重構造 002
真宗僧侶、暁烏敏[あけがらす はや]の日本精神論
皇道・臣道と真宗信仰の関係
庶民と高学歴の人々の違い
「政教分離」と「祭政一致」の共存
2 「日本型政教分離」の実態 009
「神道国教化政策」で突き進む
非現実的な政策からの軌道修正
「政教分離」の内実
諸宗教集団と国家祭祀機関としての神社
国家機関としての性格を強める神社
3 皇室祭祀と「祭政一致」体制の創出 018
祭政一致国家構想の組み替え
皇室祭祀への国民参加の展望
新しい皇室祭祀システムの創出
皇室祭祀の中心施設としての宮中三殿
新たな皇室祭祀の体系――定期的な祭祀
国民の天皇崇敬を鼓舞する皇室祭祀
近代国家の儀礼システムの日本的展開
近代国家儀礼と「古代的」皇室祭祀
4 宗教史から見た帝国憲法と教育勅語 030
天皇崇敬と国体論――国家神道の新しさ
仏教優位の体制から神道が自立していく過程
大日本帝国憲法と「公」の秩序の神聖性
教育勅語の語っていること
教育勅語の枠構造
5 信教の自由、思想・良心の自由の限界 040
国家神道に反する考え方の排除
内村鑑三不敬事件と信教の自由、思想・良心の自由の限界
不敬事件の余波
久米邦武事件と批判的歴史認識の限界
久米への批判と言論弾圧
天理教の発生・展開とその抑圧
公認運動と妥協による教義変更
精神の二重構造を生きる
ナショナリズムの他の形態との相違
第二章 国家神道はどのように捉えられてきたか――用語法 055
1 国家神道の構成要素 056
国家神道の用語法をめぐる混乱
国家神道とは何か
思想内容から見た国家神道
国家神道は神社神道という考え方
国体論と日本国家の神聖性
国体論と国家神道の関係
2 戦時中をモデルとする国家神道論 065
天皇崇敬と現人神[あらひとがみ]信仰
明治後期・大正期の天皇崇敬
修身教科書の中の天皇崇敬
国家神道は現人神の観念を前提としない
神社神道を国教の基体とする見方
3 神道指令が国家神道と捉えたもの 074
GHQが目指した国家神道の解体とは?
アメリカ的な宗教観に基づく神道指令
神道指令の「国家神道」概念
制度上の用語としての国家神道
「神社神道」即「国家神道」説の欠点
4 皇室祭祀を排除した国家神道論を超えて 084
国家神道と神社神道を等置しようとする傾向
神社神道の立場からの狭い定義
皇室祭祀にふれない国家神道論
国家神道と民間運動の重要性
皇室はを排除した国家神道論は成り立たない
「天皇制イデオロギー」という概念
個々の要素を切り離さない神道理解
皇室祭祀、神社神道、国体論
第三章 国家神道はどのように生み出されたか?――幕末維新期 097
1 皇室祭祀と神社神道の一体性 098
維新期に構想された国家神道
伊勢神宮と宮中三殿という二つの聖所
新皇室祭祀体系の創出
皇室祭祀と神社神道との一体性の強化
2 基軸としての皇道論 106
理念や思想としての国家神道
王政復古・神武創業
大教宣布の詔[みことのり]
隠れた指導理念としての「皇道」
明治期以降の「皇道」の語の展開
皇道思想の歴史
会沢正志斎「新論」の祭政一致論
3 維新前後の国学の新潮流 116
大国隆正の政治的神道論
津和野[つわの]国学者の包容主義
祭政教一致の理念
政治的機能中心の神道論
4 皇道論から教育勅語へ 123
政治中心の「教」としての「皇道」
長谷川昭道[しょうどう]と皇道・皇学の興隆
皇道・皇学構想の普及
学校教育における「皇道」
聖旨教学大旨[せいしきょうがくたいし]から教育勅語へ
祭政教一致理念と教育勅語
国家神道の祭祀体系と「教え」
第四章 国家神道はどのように広められたか?――教育勅語以後 137
1 国家神道の歴史像 138
村上重良による時期区分
神道学者の国家神道史像
神社神道中心の国家神道史観
皇室祭祀・天皇崇敬・皇道論に力点を移して
新たな時期区分の提示
2 天皇・皇室崇敬の国民への浸透 146
学校行事の中の天皇・皇室崇敬
旅行・戦争・朝拝など
靖国神社の儀礼空間
靖国神社の国家神道教育
実存的深みに届く靖国神社
3 国家神道の言説をみにつけていくシステム 156
教育勅語・修身教育・国体論
歴史教育における国体論と国家神道
神社の組織化と皇道化
皇典講究所の設立
皇學館の設立
神職養成システムと皇道論・国体論
「国家ノ宗祀」としての神社
4 下からの国家神道の形成 166
国民自身が国家神道の担い手となる
宗教運動が国体論・皇道論を取り込む
田中智学と国柱会
大本教と出口王仁三郎[でぐち おにさぶろう]
皇道主義の取り組み
地域神職層の活性化
地域神職らが国家神道を盛り上げる
教育勅語で育った地域社会の諸勢力
多くの国民が身につけた国家神道
国家体制をめぐる「顕教」と「密教」
祭政一致体制の支配へ
第五章 国家神道は解体したのか?――戦後 183
1 「国家神道の解体」の実態 184
神道指令は国家神道を解体したか?
神道指令は皇室祭祀にふれていない
皇室祭祀を温存した政治判断
存続する国家神道を直視する
日常的季節的皇室祭祀
戦後の皇室祭祀の諸相
皇室祭祀の制度枠組
2 神社本庁の天皇崇敬 196
民間団体となった神社神道
神社本庁憲章の天皇崇敬・神社崇敬
神社本庁が取り組んできた運動
天皇崇敬の強化を目指す
3 地域社会の神社と国民 203
氏子にとっての神社
神社神道がもっているさまざまな可能性
「国体護持」のゆくえ
国民の天皇崇敬の持続
持続する国家神道
4 見えにくい国家神道 214
正面からの天皇崇敬の主張
大嘗祭訴訟判決と国家神道
国家神道と「自然宗教」
「象徴」と「国体」
「天皇不親政の伝統」という論
空虚な中心?
参考文献 [225-233]
あとがき(二〇一〇年五月二日 島薗 進) [235-237]