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『日本の人類学』(山極寿一, 尾本恵市 ちくま新書 2017)

著者:山極 寿一[やまぎわ・じゅいち](1952-) 人類学、霊長類学。
著者:尾本 恵市[おもと・けいいち](1933-) 分子人類学。 


筑摩書房 日本の人類学 / 山極 寿一 著, 尾本 恵市 著


【目次】
目次 [003-008]
まえがき(山極寿一) [009-013]


第一章 人類学の現在 015
1 総合人類学がなぜ必要か 016
  いまなぜ人類学か
  「文理融合」のオールラウンダー
  人類学者の京大総長という衝撃
2 ヒト・文明・文化 025
  ヒトと人類の違い
  文化と文明
  霊長類から見た「文化」
  文化としての直観力とメタファー


第二章 東大人類学と京大霊長類学 037
1 東大・京大、それぞれの出発点 038
  多様性を重視する人類学
  霊長類学の出発
  長谷部言人と東大人類学
2 本当のエリート教育 047
  長谷部人類学から受け継いだもの
  飲み屋で人類学を教わる
  今西錦司と「京都エリート」
  草創期の分子人類学とエリートの使命感
3 長谷部人類学と今西霊長類学 058
  人類学との出会い
  探検としての人類学
  霊長類学の京大、分子人類学の東大


第三章 最新研究で見る人類の歩み 071
1 デニソワ人、ネアンデルタール人、ホモ・フローレシエンシス 072
  デニソワ人、ネアンデルタール人と現生人類との混血
  ホモ・フローレシエンシスの謎
  天変地異と人類の分布
  ホモ・エレクトス研究の最前線
  人類学と植民地主義
  金髪碧眼のネアンデルタール?――なぜ人類は短期間で多様化したか
2 人類と霊長類を分けたもの 087
  自己家畜化とネオテニー
  類人猿とヒトは子ども時代が長い
  永久歯への生えかわりの遅さ
  なぜ研究対象にゴリラを選んだか
  チンパンジーの特異な性行動
  オランウータンのネオテニー
  類人猿のゲノムの違い


第四章 ゴリラからヒトを、狩猟採集民から現代文明を見る 111
1 ゴリラからヒトを見る 112
  二十数年前の交友を覚えていたゴリラ
  子ども時代の記憶がよみがえる
  シミュレーションするゴリラ
  ゴリラのシンパシー能力
2 狩猟採集民から現代文明を考える 122
  なぜ狩猟採集民に目を向けねばならないのか
  何でも平等に配分する狩猟採集民
  戦いのロジック――ヒトとチンパンジーの違い
  農耕・牧畜と戦争
  私有を否定する狩猟採集文化
  定住革命
  女性の力が強い狩猟採集民
3 今こそ狩猟採集民に学べ 142
  文明人とは何か
  農耕による人口増大が文明を生む
  狩猟採集民と農耕民を分けたもの
  自然観の違い
  狩猟採集民こそが最古の先住民
  狩猟採集民に何を学ぶか


第五章 ヒトはなぜユニークなのか 165
1 ユニークではないゲノムがユニークさを生んだ 166
  認知革命はなぜ起きたか
  ヒトのゲノムはユニークではない
  身長の違いはなぜ生じたのか
  均質なまま新しい環境に進出していった人類
2 音楽の誕生 176
  子どもの好奇心とネオテニー
  歌の起源
  なぜヒトから音楽が出てきたのか
  なぜ大型動物を絶滅に追いやってしまったのか
3 宗教と共同体 190
  宗教の誕生
  人類が裸になったのは一二〇万年前
  住居と共同体の移り変わり
  食べるときに集まるのはヒトだけ
4 性の問題 200
  インセスト・タブーは人間だけの現象ではない
  バーバリーマカクの実験
  人間はいいつ頃からなぜ、性を隠すようになったのか


終章 これからの人類学 209
1 日本から何を発信すべきか 210
  日本の果たすべき役割
  情緒の豊かさが日本の特長
  なぜ人間の由来に関心が起きているのか
  文明の発展を後戻りさせられるのか
  閉塞感の中での人類学者の役割
  教育の劣化
2 人類学に何ができるか 228
  人類学はいったい何の役に立つのか
  DNAから人権までの総合的人類学を
  基礎研究の衰退
  科学と宗教のモラル
  自然への畏怖の衰退
  最後は教育が大事
3 大学・博物館の問題 246
  国立科学博物館の人類学研究
  アミューズメントパーク化が研究を阻害する
  アンチ東大としての京大
  戦争と東大・京大
  学生と教師の古き良き関係
4 総合的な人類学へ 262
  自然人類学と文化人類学のあいだ
  日本人類学会と文化人類学
  アイヌの人類学研究の重要性
  動物の社会・文化研究
  総合的な人類学を現代に蘇らせる


あとがき(尾本恵市 二〇一七年九月一〇日) [276-282]
参考文献 [283-286]





【関連記事】
『人類の自己家畜化と現代』(尾本恵市[編] 人文書院 2002)
https://contents-memo.hatenablog.com/entry/20090725/1248506924






【抜き書き】
■山極寿一による「まえがき」から。

・冒頭。

 今、新しい人類学が求められている。〔……〕それは、人間の定義が大きく揺らいでいるからである。
 現代の情報通信技術は、世界のどこに住んでいる人々とも瞬時に交信することを可能にした。〔……〕つい最近まで人に頼んでいたことが、ほとんどすべて情報機器によって済ますことができる。人工知能(AI)の登場で、人間は考えることや予想することまで機械に任せるようになってきつつある。さらに遺伝子組み換え技術や遺伝子編集技術の進歩で、身体を内部から人為的に変えられるようになってきた。〔……〕いったい人間の身体や心はどこへ行ってしまうのか。人間が作ると思っていた社会や文化はどうなるのか。そういった疑問が突きつけられているのである。
 かつて人間は自然界で特別な地位を与えられていた(そう思い込んでいた)。それが一九世紀に登場したチャールズ・ダーウィンの進化論によって大きく変更されることになった。人間は動物と連続した特徴を持ち、決して自然界で例外的な存在ではないということがわかったからである。しかし、当時の人類学者たちが進化論を安易に取り入れて人間や社会を論じたために、人種論や優生思想がはびこり、先進国による植民地支配や人種差別が正当視される事態を引き起こした。それが強く批判されて、二〇世紀の前半は人間の文化や社会の研究には進化論を適用しない、自然科学は人間以外の動物について研究する、という合意が作られた。こと人間に関する学問は文理がはっきり二分するような常識が生まれたのである。


・東大と京大の人類学

 東京大学には創設間もない一九世紀の終わりに、理学部の前身である理科大学に人類学教室が作られ、人間の学としてさまざまな学問が合流した。京都大学はずっと遅れたが、二〇世紀半ばにやはり理学部に自然人類学教室が作られた。そこには人間の身体と社会を研究するだけでなく、人間に系統的に近いサルや類人猿の社会を調べる霊長類学というユニークな学問領域が含まれていた。〔……〕
 しかし、ここ二〇年あまり、自然人類学と文化人類学は大きく袂を分かってしまった。自然人類学は形態学と遺伝学に特化し、その中に含まれる霊長類学は動物学としての性格を強めた。文化人類学は文化相対主義の立場から文化の普遍性よりも地域性を重視して、地域研究へと傾斜していった。
 〔……〕学問が細分化され、それぞれの学問分野で小さな学会が林立している現状では、広い範囲に関心を向ける人類学者といえどもなかなか同じ土俵に立つのは難しく、似たようなテーマを別々のコミュニティで違った手法によって論じているというのが現状である。


・著者二人の問題意識と本書。

 これでは、現代の人間が直面している課題に人類学は応えられない。尾本先生と私はそういった危機感を共通に募らせたのである。尾本先生は人類学の世界に遺伝学の手法で入ってこられ、そこからアジアの先住少数民族の抱える問題に気づいた。私は霊長類学の手法で人類学に分け入り、類人猿との比較から人間の繁殖や成長の特徴に共感社会の由来が隠されていることを知り、現代の社会がはらむ問題に気づいた。そこで、まず東大と京大の人類学の歴史的特徴から、互いが現在の問題に行き着いた経緯について話し、そこからどういった解決法があるかを探ってみることにした。〔……〕
 当初の予想に反して話題は多岐にわたり、身体の歴史から文化、文明、宗教の成り立ちや経済、科学技術、大学のあり方などに及んだ。はからずも現代文明の歴史を霊長類の登場まで遡り、現代社会がはらむ問題にまで至ったように思う。人類学のすそ野の広さを実感し、人類学が現代に生かされる必要性を痛感した次第である。これからは、学術がすべての世代で共有される時代である。ぜひわれわれの放談を楽しみ、人間を、社会を見る目を新たにしていただきたいと思う。