contents memorandum はてな

目次とメモを置いとく場

『経済学の歴史』(根井雅弘 講談社学術文庫 2005//1998)

著者:根井 雅弘[ねい・まさひろ] (1962-) 経済思想史、社会思想史。
NDC:331.2 経済学説史、経済思想史


『経済学の歴史』(根井 雅弘):講談社学術文庫|講談社BOOK倶楽部


【目次】
学術文庫版への序(二〇〇五年一月 根井雅弘) [003-005]
目次 [006-011]


プロローグ なぜ経済学の歴史を学ぶのか 015


第一章 フランソワ・ケネー ――「エコノミスト」の誕生 020
1 ケネー小伝 020
2 コルベルティスム批判 025
3 『経済表』の分析 032
4 ケネーの経済政策 038
補論 菱山モデルについて 042
注 047


第二章 アダム・スミス ――資本主義の発見 051
1 スミス小伝 052
2 『国富論』の経済学 059
3 重商主義批判 072
4 自由主義とは何か 079
注 083


第三章 デイヴィッド・リカード ――古典派経済学の完成 088
1 リカード小伝 088
2 価値と分配の理論 097
3 セーの販路法則をめぐって 105
4 外国貿易と租税 109
注 116


第四章 ジョン・ステュアート・ミル ――過渡期の経済学 120
1 ミル小伝 121
2 社会科学方法論 132
3 『経済学原理』 134
  生産・分配峻別論
  「停止状態」(「定常状態」)への異端の評価
  労働者階級の将来
4 比較経済体制論への視角 142
注 146


第五章 カール・マルクス ――「資本」の運動法則 150
1 マルクス小伝 151
2 疎外された労働と史的唯物論 160
3 資本論 168
  下向法と上向法
  価値と余剰価値
  資本の蓄積過程
補論 再生産表式と生産価格論について 181
  再生産表式
  生産価格論
注 184


第六章 カール・メンガー ――主観主義の経済学 188
1 メンガー小伝 189
2 『経済学の方法』 193
3 『国民経済学原理』 197
補論 オーストリア学派の人々 204
注 206


第七章 レオン・ワルラス ――もう1つの「科学的社会主義」 210
1 ワルラス小伝 211
2 『純粋経済学要論』 220
3 ワルラス体系とは何か 229
注 234


第八章 アルフレッド・マーシャル ――「自然は飛躍せず」 239
1 マーシャル小伝 240
2 需要と供給のシンメトリー 245
3 有機的成長の理論 253
4 ケンブリッジ学派の人々 257
注 263


第九章 ジョン・メイナード・ケインズ ――有効需要の原理 267
1 ケインズ小伝 268
2 乗数理論と流動性選好選好 273
  乗数理論
  投資の決定流動性選好説
3 ケインズ体系とは何か 285
4 ケインズ経済学の栄枯盛衰 290
注 300


第十章 ヨゼフ・アロイス・シュンペーター ――「創造的破壊」の世界 304
1 シュンペーター小伝 305
2 静態から動態へ 316
3 マーシャル経済学への挑戦 325
4 資本主義の将来 328
注 333


第十一章 ピエロ・スラッファ ――「商品による商品の生産」 338
1 スラッファ小伝 339
2 マーシャル経済学批判 344
3 『商品による商品の生産』 349
補論 古典派の「競争」および「均衡」について 358
注 360


第十二章 ジョン・ケネス・ガルブレイス ――「制度的真実」への挑戦 362
1 ガルブレイス小伝 363
2 依存効果と社会的アンバランス 370
3 「新しい産業国家」とは何か 374
4 「満足の文化」への警告 385
注 389


人名索引 [392-395]



【抜き書き】
◆21頁

 外科医としてのケネーの経歴は、パリ近郊のマント市(Mantes)において始まるが、彼はとくに瀉血術に優れており、やがて同市の市立病院の外科医長を務めるようになった。しかし、外科医としてのケネーの名声をさらに高めたのは、彼が当時のパリ医学界の権威者で内科医のシルヴァ(Silva)博士との論争を繰り広げ、結果的にそれに勝利したことだろう(因みに、ケネーの時代は、外科医は医者というよりは技術屋と見なされており、一般に内科医よりも社会的地位は低かったので、ケネーの活躍は外科医の社会的な評価を高めることにも貢献したわけである)。

◆31頁

 そして、ケネーの名をその金字塔によって経済学の歴史に永遠に刻むことになった『経済表』は、そのような自然法によって制定された「自然的秩序」を写しとったものに他ならない。すなわち、『経済表』は、当時のフランスの経済システムをあるがままに描写したというよりは、自然法に基づいた国家統治によって到達すべき理想的な「農業王国」の経済システムを描写したものとして理解すべきなのである[注12]。

[注12] 自然法に基づいた国家統治という場合、その主体として、実は、ケネーは、「開明専制君主」を考えていた。彼は、小伝で触れたように、1767年、「中国の専制政治」と題する論文を発表しているが、それを読むと、彼がかの国では道徳と政治が一体となっており、しかも農業が君主によって重視され、百人が王となるプラトンの「夢」が実現されていると信じていたことがわかる。「農業王国」の実現可能性が、ひとえに「開明専制君主」のよき政治にかかっているというケネーの思想は、彼が「自由放任主義」を説いたとする通俗的な理解の盲点を鋭く突くものであるが、この点については、拙著『二十世紀の経済学』講談社学術文庫、1995年)第III部「経済学古典の再発見」、とくに196-201ページを参照のこと。