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『青木昌彦の経済学入門――制度論の地平を拡げる』(青木昌彦 ちくま新書 2014)

著者:青木 昌彦[あおき・まさひこ](1938-2015) 比較制度分析。 
対談:呉 敬璉[ウー・ジンリエン](1930-) 
対談:Milton Friedman(1912-2006) 経済学。
聞き手:岡崎 哲二[おかざき・てつじ](1958-) 日本経済史。
聞き手:山形 浩生[やまがた・ひろお](1964-)  翻訳など。 
聞き手(4.2節):国松 徹[くにまつ・とおる](1956-) 記者(読売新聞)。
訳者(3.3節):高槻 泰郎[たかつき・やすお](1979-) 前近代経済の軽量分析と金融市場の制度分析。


筑摩書房 青木昌彦の経済学入門 ─制度論の地平を拡げる / 青木 昌彦 著

 ひとつの社会を支える「制度」とは何なのか? 人間社会がゲームだとするならば、その均衡はいかに可能なのか? ――著者は、制度論、組織論、経済発展論など多岐にわたる領域で世界的な業績をあげ、20世紀の経済学を主導した研究者のひとりである。研ぎ澄まされた理論による斬新な研究アプローチは、経済学を超えて社会科学全般に多大な影響を及ぼした。その知性の全体像を一望し、制度論の考え方をわかりやすく解説する。


【目次】
目次 [003-005]
凡例 [006]


はしがき 007
  「失われた二十年」ではなく「移りゆく三十年」 008
  諸学問を架橋する「制度論」 009
  本書の構成 010
  謝辞 020


第1章 経済学をどう学ぶか 023
1.1 私自身、こう経済を学んできた(2008年08月)[聞き手 岡崎哲二] 024

1.2 経済学を学ぶ心構え――京都大学経済学部の学生諸君に招かれて(2009年04月) 036
  金融工学の倫理観を問う
  中国経済の光と影・環境問題
  グローバルな視野を!


第2章 制度分析の考え方 049
2.1 制度分析入門――そして日本の今をどう捉えるか 050
  なぜ制度を問題にするのか
  制度とは何か
  ゲームのルールとは?
  慣習も制度である
  ゲームの均衡としての制度
  均衡としての「国家」
  均衡の多様性
  Linked Gameと「社会的埋め込み」
  均衡の移行期にきた日本――「移りゆく三十年」か

2.2 制度のシュンペーター的革新と革新の制度 070
  制度とは単にルールなのか
  効率的でない制度が均衡として生じることがある
  まず、プリミティブなドメインから
  社会交換と経済交換の連結
  信用メカニズムを媒介する第三者機関
  制度的補完性とは何か
  制度変化とはどういう状況か
  ドメインを束ねなおす制度変化
  モメンタム定理
  シュンペーターダイナミクスとしてのシリコンバレー現象
  シリコンバレーはなぜ日本で生まれていないのか

2.3 青木先生、制度ってなんですか? 096
  そもそも、制度とは?
  比較制度分析は何を試みようとしているのか
  「制度」をどうやって変えるか?
  制度分析の扱う領域とは
  比較制度分析のこれから


第3章 制度分析の応用――日本と中国の来し方・行く末 123
3.1 伝統的な経済成長モデルの限界をみつめよ――呉敬璉教授との対話 124
  途上国にしてスーパーパワー
  中台も経済は補完関係に
  アジア統一通貨は可能か
  反日デモ原因は「無知」

3.2 雁行形態パラダイム・バーション2.0――日本、中国、韓国の人口・経済・制度の比較と連結 138
  東アジア経済圏の興隆
  小農経済からクズネッツ効果へ、それから老齢化・少子化
  1人当たりGDP成長率の要素分解
  東アジア独特の経済発展の諸局面を特定する
  雁行型飛行バーション2.0
  国際間の戦略的代替と補完

3.3 中国と日本における制度進化の源泉 160
  制度はどう変わるか
  清朝期の中国と徳川期の日本――国家形態と農村規範をめぐって
    清朝中国における国家機構と私的社団の相互浸透
    江戸時代日本の結託的ガバナンス構造
    規範の日中比較――メンバーシップ対关系〔グアンシ〕
  G局面への移行――中国と日本の対比
3.4 福島原発事故から学ぶ――望まれる電力産業の改革と革新 182


第4章 制度論の拡がる地平 189
4.1 制度論の拡がる地平――政策、認知、法、文化的予想、歴史をめぐって 190
  制度分析の三つのレベル――本質、実体、政策
  制度と政策――変数とパラメータの関係として
  制度の根源は?
  プロセスとしての制度と外材的な公的表現
  制度変化における公論、法ドメインの役割
  制度進化における錨としての文化的予想
  歴史制度分析――明治維新辛亥革命
  そして、政策分析へ

4.2 資本主義はどうなるか――ミルトン・フリードマンとの対話[『読売新聞』朝刊2000年1月4日] 217
  政府と市場主義
  日本には制度の再構築が必要
  アジア金融危機と国際金融制度
  日本は回復できる

4.3 先進都市化と卓越したチーム力を競おう――2020年東京オリンピックに向けて 228


初出一覧 [235-238]
註 [ix-xv]
参照文献 [i-viii]





【関連記事】
『人生越境ゲーム――私の履歴書』(青木昌彦 日本経済新聞社 2008) - contents memorandum はてな




【抜き書き】

・社会科学を統一すること(の可能性)について(pp.109-111)。
 なお、Herbert GintisがThe Bounds of Reason(邦訳:『ゲーム理論による社会科学の統合』)でこのテーマについて真正面から書いているので、インタビュアーとインタビュイーの二人はそれを了解していると思われる。

山形  物理学を考えると、いずれはすべてのドメインを統合した第一社会学理論のようなものが生まれるのではないか、と考えたりもしますが、法学、社会学、経済学を全部まとめあげるような体形は、方向性としてありうるとお考えですか。

青木  社会科学では、これまで制度についてはいろいろな対立がありました。法実証主義やメカニズム・デザイン論が追及しているように意識的に設計されうるものであるのか、あるいはハイエク〔2007〕が考えるように進化的に、自生的に作られていくものと考えるべきなのか。あるいはサール(Searle 2010)という哲学者が考えるように、人間の権利とか義務とかいう価値と合理的な選択とは二分法的に考えるべきなのか。そうでなくゲーム理論家のビンモア(Binmore 2005)が考えるように前者(権利・義務)もある種の社会合理的な合意の選択として考えられるのか。制度派経済学者のノースが考えるように行動に関する制約なのか、あるいは社会学者の盛山和夫教授が『制度論の構図』という名著で述べたように、社会的な意味の体系というところに本質があるのか。
  実はこうした対立が、ある程度ゲーム的な考えで統一的に説明できるのではないか、と思っています。先ほども示唆したように、制度を共通認識、予想と考えれば、そういうものが人間行動に何らかの規則性を生み出す。個々人にはそういう共通認識は制約として感じられるかもしれないが、それはまた人々の行動選択によって確認され、再生産されていく。そういう循環関係にあるのですが、ただ、個人のさまざまな選択の中からあるパターンが共通認識として成立していくには、何らかの人々の外部に存在する認知的な範疇の介在が資源として必要です。それが法とか、社会学が強調してきたさまざまな言語的表現や社会的シンボルの役割でもあるわけです。こうした関連性を考えていく上では、なぜそこからひとびとの共通認識を持ちうるようになるのか、ということを考えるうえで、山形さんも勉強しておられる認知科学脳科学なども、今後はおおいに関係してくると思います。