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『リバタリアニズム――アメリカを揺るがす自由至上主義』(渡辺靖 中公新書 2019)

著者:渡辺 靖[わたなべ・やすし] (1967-) 現代アメリカ研究、パブリック・ディプロマシー論、文化政策論、文化人類学

 

リバタリアニズム|新書|中央公論新社

 


【目次】
目次 [iii-vii]
題辞 [002]

 

第1章 リバタリアン・コミュニティ探訪 003
1 フリーステート・プロジェクト 004
  ニューハンプシャーに移住しよう
  「リバティ・フォーラム」
  若者の間で高まるリバタリアン志向
  なぜリバタリアン
2 人類を政治家から解放しよう 024
  シーステッド構想
  祖父はミルトン・フリードマン
  アメリカから“独立”した市
  自由と市場主義を徹底した先に

 

第2章 現代アメリカにおけるリバタリアニズムの影響力 043
1 「デモクラシー・ギャング」から身を守れ 044
  『のんきなジョナサンの冒険』
  リヴァイアサンではなくペンギンを
  アイン・ランドとは何者か
  トランプ大統領も愛読?
  慈悲深いリバタリアン
2 「私、鉛筆は」…… 062
  リーズン財団
  ミーゼス研究所
  リバタリアンは「非寛容」?
  経済教育財団
  もし自由を信じているなら

 

第3章 リバタリアニズムの思想的系譜と論争 081
1 自由思想の英雄たち 082
  ノーラン・チャート
  リバタリアンを分類すると
  リバタリアン通奏低音
  源流はヨーロッパにあり
  なぜアメリカで隆盛となったのか
  リバタリアニズムへの懐疑
2 自由は不自由? 099
  「縁故資本主義」
  ベーシック・インカムを容認する声も
  差別是正に政府は関与すべきか
  平和への異なるアプローチ
  「共和党こそ道を踏み外している」
  サンデルへの不満
  「リバタリアンパターナリズム

 

第4章 「アメリカ」をめぐるリバタリアンの攻防 117
1 アレッポって何? 118
  レーガン大統領は英雄か?
  リバタリアンとしてのゴールドウォーター
  四六ドルの下着
  政府の暫定的な政策ほど恒久的なものはない」
  ケイトー研究所
  リバタリアンの聖地
  「センター」の時代の終わり?
2 アメリカのムッソリーニ 137
  「トランプの党」に変貌する共和党
  ペイリオコンと「アメリカ第一主義
  「独裁制への小さな一歩」
  ローティの慧眼
  「「アメリカ第一主義」ならもっと移民を」
  フリーダムフェスト
  ジョージ・ウィル参上
  コーク兄弟の危機感

 

第5章 リバタリアニズムの拡散と壁 157
1 越境する「アイデアの共同体」 158
  中国のリバタリアン
  天則経済研究所の受難
  好対照の香港
  アトラス・ネットワーク
  シンクタンクインキュベーター
  越境するリバタリアン
2 自由への攻防 177
  中米の名門大学も
  「リベルランド」の挑戦
  「アイデンティティの政治」と「ポピュリズム
  マッカーシズム2・0
  「リベラル国際秩序」はリベラルか
  ミレニアル世代という課題

 

あとがき(平成最後の秋に 鎌倉にて 渡辺靖) [195-203]
  なせリバタリアニズム
  日本社会への含意
  より選択肢の多い社会へ
主要参考文献 [204-207]
索引 [208-213]

 

 

【抜き書き】

題辞は、Abraham Lincoln のことば。

私たちは皆、自由を謳い上げます。しかし、同じ言葉を用いているからといって、同じ意味で用いているとは限りません。
("We all declare for liberty, but in using the same word we do not all mean the same thing.")
  ――エイブラハム・リンカーン (一八六四年)

 

・巻末の214頁から初出情報を抜き書き。

本書は『中央公論』(二〇一八年四月号 二〇一九年一月号) に連載された「リバタリアンアメリカ 「保守」と「リベラル」を超えて」(全10回)を再構成のうえ加筆・修正したものです。

 

 

『日本銀行』(翁邦雄 ちくま新書 2013)

著者:翁 邦雄[おきな・くにお] (1951-) 銀行家。経済学者。金融政策、マクロ経済学、国際金融論。
件名:日本銀行
件名:金融政策--日本
NDC:338.4 金融.銀行.信託 >> 発券銀行中央銀行


筑摩書房 日本銀行 / 翁 邦雄 著


【目次】
目次 [003-010]


プロローグ 011
  中央銀行への期待と現実
  無制限介入への幻想
  危機時における中央銀行の力
  「リフレ派」登場の背景


第1章 中央銀行の登場 019
1 中央銀行の登場 019
  もっとも古い中央銀行はどこか
  中央銀行像を作り上げたイングランド銀行
2 イングランド銀行の進化過程 021
  英国の財政危機
  イングランド銀行の登場
  銀行券の独占的発行
  銀行の銀行・最後の貸し手・金融政策


第2章 主要中央銀行のトラウマ 031
1 連邦準備制度 032
  金融システム安定化のための創設
  大恐慌の発生
  市民生活の崩壊
  大恐慌が米国民に残したトラウマ
  連邦準備制度にとってのトラウマ――グリーンスパン議長の場合
  グレート・インフレーションというもう一つのトラウマ
2 欧州中央銀行 044
  物価安定に特化した先進国最新の中央銀行
  財政赤字によるハイパー・インフレーションという過酷な経験
  ハイパー・インフレーション下の市民生活
  二一世紀のハイパー・インフレーション――ジンバブエの事例
  ハイパー・インフレーションの終焉と「ドル化」
  ゴノ総裁へのイグ・ノーベル賞授与
  先進国でハイパー・インフレーションは起き得るか
  欧州中央銀行のトラウマと欧州危機
  トラウマの違いによる行動様式の違い


第3章 日本銀行の登場 063
1 設立の背景 063
  レオン・セーの助言
  日本銀行創立ノ議
2 日本銀行の創設 068
  開業時の日本銀行
  日本銀行条例の延長と第二次世界大戦時の日本銀行法制定
  現在の日本銀行法への改正の経緯
  中央銀行の独立性が高いとインフレ率は下がるのか?
3 現在の日本銀行 077
  改正の内容
  日本における独立性の社会的基盤の弱さ


第4章 日本銀行の組織と業務 085
1 日本銀行の組織 085
  支店・職員数
  法的性格・ガバナンス・業務
2 銀行券の発行流通 089
  銀行券はなぜ負債なのか
  銀行券の支払いと回収
  銀行券流通の地域的特色――沖縄の場合
  銀行券偽造を巡って
  偽造防止のためのさまざまな協力
3 決済システムの運営 102
  決済と決済システム
  資金決済と中央銀行当座預金の関係
  東日本大震災
4 金融システムの安定確保 109
  システミック・リスクの回避
  昭和恐慌の事例
5 金融政策の運営 117
  金融政策と公開市場操作
  金融政策の波及経路
  緩和の障害としてのゼロ金利制約
  非伝統的金融政策
6 日本銀行の収益構造 124
  銀行券の発行がそのまま利益になるわけではない
  収益源は利ざや


第5章 バブル期までの金融政策 127
1 戦後復興期 127
  終戦直後の状況
  戦後復興の完了――「もはや戦後ではない」
2 高度成長期 132
  外貨準備をシグナルとした金融政策
  ニクソン・ショック――政策目標間の矛盾の表面化
3 大インフレーションの時代――過剰流動性・第一次石油危機・狂乱物価 138
  列島改造計画と過剰流通性
  狂乱物価と国民の苛立ち
  物価安定重視の金融政策


第6章 バブル期以降の金融政策 149
1 資産価格バブル期 149
  プラザ合意と政策協調
  ブラック・マンデー
  「平成の鬼平」?
  バブル潰しの元凶?
2 バブル崩壊後の金融政策 161
  ゼロ金利政策
  ゼロ金利解除
  量的緩和
  日本の経験の国際的影響――グリーンスパンの金融政策
3 失われた一〇年 173
  バブル崩壊後の日本経済
  質的・量的緩和


第7章 デフレ脱却の理論 179
1 ゼロ金利制約と貨幣数量説 179
  バランスシート規模はインフレ期待にまったく影響を与えないというバーナンキ議長の見解
  数量方程式
  フリードマンの提言
  国債中央銀行通貨を交換する意味
  「処女懐胎的」インフレ理論としての数量説
  IS-LM分析
  静学的分析を超えて
2 「ベビーシッター協同組合危機と金融理論」 193
  クルーグマンが絶賛する議論
  オリジナルな分析
  「ベビーシッター不況」
  「輪転機を回す金融政策」による不況脱出


第8章 クルーグマンと「日本型デフレ」 201
1 金利がある世界へのモデルの拡張 201
  日本型デフレには「輪転機を回す金融政策」自体は効果がない
  モデルの拡張――クーポンが貸し借りできる世界
  クーポンの借り賃という「金利」のコントロール
2 ゼロ金利下の日本型不況 204
  「大寒波に襲われたキャピトル・ヒル」のような日本経済
  「アイスクリームのように溶けるクーポン」という処方箋
  インフレーションでクーポンを溶かす?
3 インフレ期待の景気刺激効果は大きいか 210
  キング・イングランド銀行総裁の術懐
  インフレ期待の景気刺激効果は高められるか
  クルーグマンはなぜインフレ政策を推奨しているか
  クーポンを溶かし「厳冬でもイベントに出かけさせる」だけで十分か


第9章 中央銀行と財政政策 223
1 欧州のソブリン危機 223
  欧州中央銀行のジレンマ
  欧州中央銀行の苦渋の選択
2 マネタリストのある不快な算術 229
  政府の通時的予算制約と個人のライフサイクル
  財政状況が物価を決める世界
3 日本の財政状況と財政の持続可能性 234
  空振りに終わってきた財政破綻の警告
  なぜ日本は債務危機が起きなかったのか
  金利低下ボーナスは消失した
  中・長期的物価安定のカギを握っているのは財政の持続可能性

第10章 「異次元の金融緩和」とアベノミクス 243
1 異次元の金融緩和 243
  量的・質的金融緩和の導入
  「複数均衡」のもとでの心理操作
  出口の点検を封印する「片道出撃」のリスク
  金融政策に必要なコストとリスクのチェック
2 米国の資産購入プログラムとインフレ期待 254
  連邦準備制度の金融緩和の枠組み
  中央銀行の赤字予想はインフレ期待につながる
3 異次元の金融緩和からの帰還 261
  ゼロ金利解除の代替的オプション
  財務省の見解
  財政コストの規模
  巨額の財政コスト処理の代替的オプション
4 アベノミクスとデフレ脱却 272
  アベノミクスと円安・株高
  日本国民の「トラウマ」の変化?
  アベノミクスに必要なトータル・コーディネーション
  第四の矢


参考文献 [281-283]
あとがき(翁 邦雄) [284-286]




【抜き書き】

□p. 82

労働者一人当たりの成長率などで見ると、日本経済は人口減少・高齢化という条件の中では相当健闘している。しかし、高度成長期の日本経済の躍進や(徒花だったとは言え)バブル期の栄華を知っている世代にとっては凋落としか感じられず、日本が基礎体力比そこそこ健闘してきた、という事実は国民の閉塞感・企業の苛立ちの中で実感に乏しく影響力を持っていない。

『言葉をおぼえるしくみ――母語から外国語まで』(今井むつみ, 針生悦子 ちくま学芸文庫 2014//2007)

著者:今井 むつみ[いまい・むつみ] 認知科学言語心理学発達心理学
著者:針生 悦子[はりゅう・えつこ] 認知科学発達心理学
本文イラスト:川野 郁代[かわの・いくよ] イラストレーター。
備考:『レキシコンの構築――子どもはどのように語と概念を学んでいくのか』(岩波書店)を大幅に改訂し改題し文庫化。
NDC:801.04  言語心理学
NDC:807 研究法.指導法.言語教育

 

筑摩書房 言葉をおぼえるしくみ ─母語から外国語まで / 今井 むつみ 著, 針生 悦子 著

言葉をおぼえるしくみ: 母語から外国語まで (ちくま学芸文庫)

言葉をおぼえるしくみ: 母語から外国語まで (ちくま学芸文庫)

 
言葉をおぼえるしくみ――――母語から外国語まで (ちくま学芸文庫)  
  

言葉をおぼえるしくみ ――母語から外国語まで (ちくま学芸文庫)

    

 

【目次】
目次 [003-010]
凡例 [012]

 

第1章 はじめに 013
1.1 心の中の辞書 013
1.2 単語を学習するということ 014
1.3 語彙爆発 016
1.4 単語の意味を推論するということ 017
1.5 ことばの学習をめぐる2つのパラドックス 021
1.6 本書のねらいと特徴 023
1.7 本書の構成 025
1.8 本書の読み方 026

 

第2章 単語の切り出し――ことばの学習のために子どもが最初にすること 029
2.1 母語の特徴を捉える 030
2.2 単語を聴き取る 034
2.3 「音素のまとまり」から「単語」へ 040
2.4 第2章のまとめと考察 043

 

第3章 モノの名前の学習 047
3.1 ガヴァガーイ問題と即時マッピング 047
3.2 「語はモノの名前」で十分か? 050
3.3 語とはカテゴリー名 051
  3.3.1 実験の手続き 052
  3.3.2 反応パターンの分類 053
  3.3.3 結果 055
  3.3.4 実験の結果からわかること 056
3.4 「制約」という考え方――語意学習バイアス 058
  3.4.1 事物全体バイアス 059
  3.4.2 事物カテゴリーバイアス,形バイアス 060
  3.4.3 相互排他性バイアス 064
3.5 「制約」をめぐる議論 066

 

第4章 基礎レベルのカテゴリー名以外の名詞の学習 071
4.1 固有名詞,抽象度の異なるカテゴリーの名前,物質名 072
4.2 固有名詞の学習 076
  4.2.1 文法的手がかり 076
  4.2.2 英語圏の子どもの場合 076
  4.2.3 日本の子どもの場合 080
4.3 レベルの異なるカテゴリー名の学習 084
  4.3.1 カテゴリー名か,物質名か 084
  4.3.2 相互に排他的なカテゴリーか,包摂関係にあるカテゴリーか 086
  4.3.3 子どもが包摂関係を想定するとき 088
  4.3.4 上位カテゴリー-名の学習 094
4.4 物質名の学習 098
  4.4.1 モノ(物体)と物質の違い 098
  4.4.2 文法的手がかりと物質名の学習 100
  4.4.3 文法的手がかりなしでの物質名の学習 101
4.5 第3,4章のまとめと考察――子どもによる名詞の意味推論 107

 

第5章 動詞の学習 111
5.1 動詞の特徴 111
5.2 イベントの動作単位への分割 113
  5.2.1 10ヶ月児による動作単位の認識 114
  5.2.2 動作単位に区切る手がかり――意図の読み取りか,知覚的な境界か 117
5.3 動詞の意味推論 118
  5.3.1 動詞般用の原則の理解(1)――「A(Agent)がO(Object)をV(Verb)している」場面での検討 119
  5.3.2 動詞般用の原則の理解(2)――「A(Agent)がV(Verb)している」場面での検討 126
5.4 動詞学習のパラドックス 131
5.5 動詞と動作との対応づけ 134
  5.5.1 動作を語に対応づけることの始まり 134
  5.5.2 項構造手がかりに対する理解の発達――英語児の場合 136
  5.5.3 項構造手がかりに対する理解の発達――日本語児の場合 140
  5.5.4 語順と助詞 146
5.6 第5章のまとめと考察 150

 

第6章 属性をあらわす語(形容詞)の学習 155
6.1 子どもはまず「属性をあらわす語」を学習するのか 156
6.2 文法的手がかりの役割 160
6.3 形容詞と名詞の区別の始まり 163
6.4 「比較」の役割 167
6.5 第6章のまとめと考察 171

 

第7章 助数詞の学習 175
7.1 助数詞の意味特徴 176
7.2 助数詞の獲得過程 179
7.3 助数詞学習の容易さを決める要因 183
  7.3.1 形状助数詞における形の意味の理解 183
  7.3.2 大きな概念区分に対応する助数詞群の学習 193
7.4 第7章のまとめと考察 197

 

第8章 擬態語の学習 203
8.1 音象徴 204
8.2 擬態語は本当に子どもに対して多用されているのか 206
8.3 移動の様態をあらわす擬態語 208
8.4 新奇擬態語と移動様態との対応づけ 210
  8.4.1 日本人2,3歳児の場合 210
  8.4.2 イギリス人成人の場合 212
  8.4.3 実験からわかったこと 214
8.5 動詞学習における擬態語の役割――音象徴ブートストラッピング 217
8.6 第8章のまとめと考察 221

 

第9章 言語構造の違いは語彙獲得にどう影響するのか 225
9.1 名詞の学習における言語普遍性と言語特殊性 226
  9.1.1 モノの名前と物質の名前の文法的区別の影響 227
  9.1.2 助数詞システムの語彙獲得への影響――形バイアスの言語普遍性 232
9.2 言語の違いと動詞学習 237
  9.2.1 名詞-動詞論争 237
  9.2.2 英語児における動詞の意味推論――項という手がかり 244
  9.2.3 日本語児に項の明示は必要か 248
  9.2.4 中国語児における動詞の意味推論 249
  9.2.5 動詞の学習における言語普遍性と言語特殊性 264
9.3 第9章のまとめと考察 267

 

第10章 子どもによる語彙の構築――即時マッピングとその後の意味の再編成 273
10.1 即時マッピングの限界 273
10.2 語彙学習はシステムの学習 276
10.3 複雑に分割される意味領域を子どもがどのように学習するか――中国語の「持つ」「運ぶ」に関連する動詞群の学習 278
  10.3.1 中国語における「持つ」「運ぶ」に関連する語彙 278
  10.3.2 実験の方法と結果 281
  10.3.3 中国語「持つ」動詞の意味領域における意味の再編成の過程 288
  10.3.4 学習の容易な概念とは? 290
10.4 名詞語彙でのシステムの学習 291
  10.4.1 基礎レベルカテゴリー名がまず学習されるわけ 293
  10.4.2 基礎レベルの名詞でも意味領域全体の意味の再編成が必要な場合がある 296
  10.4.3 動詞語彙の学習 298
  10.4.4 形容詞語彙の学習 303
  10.4.5 名詞とは異なる基準でモノを分類する助数詞 305
  10.4.6 擬熊語の学習 309

 

第11章 外国語における語彙の学習 313
11.1 外国語を「使える」ための語彙とはどのようなものか 313
11.2 言語による世界の分節の相対性 315
11.3 基礎動詞の意味を日本語母語の英語学習者はどのくらい理解しているか 320
11.4 外国語学習者は複雑な意味領域の意味地図をどのように学習するのか 322
  11.4.1 実験の方法 324
  11.4.2 実験の結果 325
  11.4.3 実験の結果のまとめと考察 333
11.5 なぜ外国語学習者は意味領域の再編成ができないのか 334
  11.5.1 規則や定義を実際に使うことの難しさ 334
  11.5.2 演緯推論が難しい例一可算、不可算文法を実際に使うことの難しさ 335
  11.5.3 ネイテイヴはどのように可算・不可算文法を習得するのか 337
  11.5.4 外国語学習者が可算、不可算を決めるときの問題 338
  11.5.5 語彙の学習でも定義だけでは足りない 339
  11.5.6 単語が意味を切りわける原理は母語と外国語で異なる 341
11.6 第11章のまとめと考察――使える外国語を習得するために 343

 

第12章 おわりに 347
12.1 今後の研究で明らかにされるべきこと 347
12.2 ことばの学習に必要な推論能力の問題 350
  12.2.1 推論能力の起源 350
  12.2.2 ヒトだけに備わっている推論能力はあるのか 353
  12.2.3 様々な推論を組み合わせる能 357
12.3 言語の身体性と抽象性 361
  12.3.1 言語の身体性はどこからくるのか 361
  12.3.2 ブートストラッピングによる知識の体系の構築 363
12.4 ことばは心と脳でどのように表象されているのか 368

 

 

参考文献 [375-405]
あとがき(感謝のことば)(2013年12月 今井むつみ 針生悦子) [407-409]

 

 

 

【抜き書き】

・1.4 節から、ガヴァガイ問題のイントロ。

 

 新しく出合った語の意味をすばやく「わかる」のは,簡単なことではない。
 他の人にモノの名前を教えようと思ったら,そのモノを指差して単語を言えばよい──多くの人が素朴にそのように思い込んでいるのではないだろうか,しかし,実際には,マグカップを差し出して「カップ」と言ったとしても,この‘カップ’が何を意味しているかについては無数の可能性がある(第3章で述べる「ガヴァガーイ問題」,)。‘カップ’とは,〈陶器でできた〉とか〈白い〉といった,そのマグカップの属性のことかもしれないし,〈取っ手〉のようなマグカップの部分の名称かもしれない。あるいは,その特別なマグカップの固有名詞かもしれない。たまたまマグカップの中にミルクが入っていたとすれば,子どもは‘カップ’とは〈ミルク〉のことだとか,〈ミルクの入ったコップ〉のことだ,と思ってしまうかもしれない(そして,これは実際に,ヘレン・ケラーに‘cup’という語を教えるときに,サリバン先生が悩んだ問題でもある)。
 このように,単語の指す対象が「これ」と指さされて直接示されるような場合でさえ,その意味を推論するのは,容易なことではないのに,子どもが新しい語と出合うのは,その指示対象が「これ」と言って示される場合ばかりでもない。多くの場合,日常生活の空間にはさまざまなモノが存在し,さまざまな動作が同時におこなわれ,その中で単語は文の中に埋め込まれて発話される。その新しい単語が何を意味するかを推論するために,子どもはまずそのことばが,いま自分が見ている世界のどの部分に対応するかを決めなければならない。たとえば‘カップ’は差し出されたマグカップを指すということがわからなければならない。そのうえで,このマグカップと何が同じだったら他の場面でも‘カップ’という語を使ってもよいかも明らかにしなければならない。 つまり,新しく出合った語の意味を「わかった」といえるためには,その語が,目の前の場面のどこに対応しているか(指示対象の切り出し),また,それと何が同じであれば他の場面でもその語を使ってよいのか(般用基準)がわからなければならない。そして,どのような対象を切り出し,どのような般用基準をもつかは,単語の種類によって異なる。
 名詞の中でも,モノの名前はたいてい最初の命名対象と形が似た他のモノにも適用できる。たとえば,目の前にマグカップがあるときに‘カップ’と言われれば,その語が指しているのはそのマグカップであり,また,似た形のモノに他の場面で出合ったらそれも‘カップ’と呼んでいい。一方,固有名詞の場合は,場面から切り出すべき対象は,モノの名前と同じようにモノである。しかし,固有名詞は,まさにいま目にしているこのモノにしか使ってはならない。また,動詞は,行為のようなモノとモノのあいだにある関係を指し,他の場面でも同じ関係がそこにあれば,同じ動詞を適用する。たとえば,ピッチャーがボールを投げているシーンがテレビに映し出されたときに,アナウンサーが叫んだ‘投げました’ということばは,ピッチャーでもなくボールでもなく,そのあいだに生じた関係を指している。そして,他の場面,たとえばお兄ちゃんが紙くずをゴミ箱に向かって投げたシーンでも──そこで投げているのは,プロ野球のピッチャーではなくてお兄ちゃんであって,投げられているのはボールでなく紙くずであっても──,そこに同じ関係(〈投げる〉という行為)がありさえすれば,同じ動詞を使うべきなのである。
 このように,単語には異なる種類のものが存在し,それぞれの種類の語彙は,異なるタイプの概念に対応している。したがって,子どもが,耳にした新しい単語の意味をすばやく正確に推論するためには,その語の種類をすばやく見極め,その種類の語彙にはどのような種類の概念が対応するかについての知識をあらかじめもっている必要があると思われるのである。
 では,単語には種類があり,種類が違えば異なる種類の概念を指す(異なる指示対象や般用基準を持つ)ということがわかったとして,それで単語の意味は正しく学習できるようになるのだろうか。たとえば、〔……〕。 このように,単語を本当に使いこなせるようになるためには,その単語と隣り合うほかの単語との境界がどこにあるかということも理解する必要がある。

 

・1.4節の末尾。

このように,単語の意味がわかるとは,一つ一つの単語の意味が個別にわかるということでは終わらずに,まさに,同じ領域に属するほかの単語とのあいだでどのような領域の切り分け,つまり,意味のネットワークができあがっているか,を理解することまで含む。本書ではそこまでを視野に入れて,‘単語をおぼえるしくみ’について考えていく。

 

 

 

・構成について。文庫化にさいして追補されたようだ(2013年刊行の本が紹介されているので)。

1.7 本書の構成
 本書は,ここまで述べてきたように,子どもの語彙獲得に焦点をあてるものである。ただし,そもそも何らかの意味を担ったものとして単語を学習するために,子どもはまず,大人の発話の中から,単語という単位を見つけ出さなければならない。これがそれほど簡単なことでないことは,まったく知らない外国語の発話を耳にしたときのことを想像してみれば,容易にわかるだろう。おそらく,発話の流れは耳に入ってきても,そのどこからどこまでが一つの単語なのか,さっぱりわからないという感じがするのではないだろうか。乳児が最初に経験するのもおそらくそのような状態だろう。したがって,子どもはまず,物理的には切れ目のない発話の流れを単語に切り分け,そして,その切り分けられた単位が何か意味を担っていることに気づく必要がある。このプロセスが,いつごろ,どのようにして進行しているのかについては,近年めざましい研究の進展が見られている。そこで,本書でもまず第2章でこれについて解説する。
 そのうえで,第3章から第8章までは,筆者たち自身のデータを軸に,名詞,動詞,形容詞,助数詞,擬態語の意味推論を,子どもは何を手がかりに,どのようにおこなっているのかについて論じる。
 第9章では,母語の特徴は子どもの語意推論のしかたや語彙に関する知識にどのように影響を及ぼしているのかを検討した研究をまとめて扱い,そこに見られる言語普遍性や個別言語の影響について考える。 第10章,第11章ではいよいよ心の語彙辞書の獲得と概念の獲得の全体像を考えていく。第10章では子どもがシステムの全体像(あるいは設計図)を事前に知らないのに,どのように語彙のような巨大で複雑なシステムを自分の力で構築することができるのかという問題を考察する。さらに第11章では,外国語で単語の意味を学び,語彙をつくっていく過程が母語で語彙を構築していく過程とどのように違うのかを議論し,外国語での語彙学習の問題と学習方法へのヒントを考える。そして最後の第12章では,筆者たちが母語の語彙の発達について考えてきたことから得られる示唆と,今後の研究でさらに明らかにするべきことについて述べる。

1.8 本書の読み方
  本書はことばの習得についての本である。ことばの習得をテーマにした本は,子どもの母語の学習にしても外国語の学習にしても,すでに数多くの書物が存在するが,それらの多くは学習過程の観察や自分や身近にいる子どもの言語学習の経験に基づいたものがほとんどであった。本書がそれらと異なるのは,心理学の実験を道具に,学習過程の記述ではなく,学習過程の仕組みを明らかにしようとするものであることである。本書は言語を扱う本であるが,実験に基づいたいわゆる「理系的」な色合いが強い本でもある。自然科学や社会科学の実験手法についてあまりなじみがない読者にとっては,最初はちょっととっつきにくい感じがするかもしれない。
 そのように感じたら,筑摩書房ちくまプリマー新書のシリーズから出版されている『ことばの発達の謎を解く』を先に読んでいただきたい。『ことばの発達の謎を解く』では,本書で書かれている問題意識を,言語学や心理学,あるいは実験に基づいた考え方にあまりなじみがない方でも読めるように書いてあるので,本書で伝えたいことの大枠が理解いただけると思う。しかし,その後でぜひ本書をお読みいただきたい。というのも,本書で伝えたい,人がいかにことばを習得していくのかという問題に対する筆者たちの結論は,結論だけを読むよりも,ぜひその思考過程におつき合いいただき,読者にもいっしょに考えていただきたいからである。 また,本書の第2章から第9章までの,名詞,動詞,形容詞,助数詞,擬態語の習得に関しての結論とまとめが書かれているのは10章なので,10章を先にざっと読むのもよいかもしれない。まず全体的な流れと結論をつかみ,それを頭に入れたうえで最初から読んで行くと理解がしやすいと思う(実はこの方法は,新しい内容を理解しやすくし,理解を深めるためにどうしたらよいかについて,認知心理学で長年積み重ねられた多くの研究から明らかにされたことなのである)。
 ことばは私たち人間の知性の根幹であり,ことばをおぼえる組みを理解することは,人間の知性の理解につながる。また,子どもが母語を学習する過程について知ることは,外国語学習だけでなく,言語以外の学習を理解する手がかりを与えてくれる。読者がこのような視点で本書をお読みくださり,言語とはどのようなものなのか,言語と思考はどのような関係にあるのか,学習とは何か,発達とは何かなど,人間の知性の本質をめぐる様々な問題に敷衍して考えを巡らせていただけたらというのが筆者たちのひそやかな希望である。

 

 

 

『警察の社会史』(大日方純夫 岩波新書 1993)

著者:大日方 純夫[おおびなた・すみお](1950-) 日本近代史。
件名:警察--歴史
NDLC:AZ-351
NDC:317.7 行政 >> 警察.公安

 

警察の社会史 - 岩波書店

警察の社会史 (岩波新書)

警察の社会史 (岩波新書)

※私がつけたルビは全括弧[ ]で括った。また、旧字体はそのまま残した。


【目次】
目次 [i-iii]

 

序章 警察廃止をめぐる二つの事件 001
一 首都の警察署が壊滅――日比谷焼討事件 002
  空前の大暴動
  「警察こそが加害者」
  警察忌避の民心
  警視庁を廃止せよ
  市会・府会が廃止意見を可決
  警視庁廃止の論理
  廃止論の敗北
二 「警察復活に身命を賭すべし」――長野県「警廃」事件 015
  暴動化した県民大会
  警察署統廃合の波紋
  警察署が復活する
  地方警察の制度と機能
  事件の背景にあるもの

 

I 行政警察の論理と領域 029
一 民衆生活の管理――東京府下の場合 030
 (1) 売娼の取り締りと娯楽空間の規制 032
  公娼制度と貸座敷
  「醜業婦の巣窟」とされた浅草
  制限された劇場数
  寄席演芸流派の数々
  きびしい見世物興行規制
  遊技場・待合茶屋・芸妓[げいぎ]
 (2) 免許営業をめぐって 043
  古物商と質屋
  宿屋取り締りがなぜ重要だったか
  口入[くちいれ]業・代書業・案内業
 (3) 路上の風俗規制と安全対策 048
  「醜態」を取り締る
  人力車・馬車・自転車

二 あたらしい社会問題への対応――熊谷警察署の場合 053
 (1) 工場設備と労資関係の監視 055
  工場事故報告
  工場の安全管理
  認可申請の具体例
  職工酷使・虐待を監視する
  雇傭口入業者の取り締り
  処罰された口入業者
 (2) 海外渡航者の素行調査 068
  渡航・移民業務を担当
  渡航申請にどう対応するか
  素行調査の実例
  「転航」防止の注意

三 衛生行政の実態 077
  尾崎三良[さぶろう]と中浜東一郎の日記から
  伝染病予防の法規
  清潔法を制定する
  食品衛生行政への関与
  衛生組合の誕生
  衛生組合長の「始末書」
  衛生組合と聯合組合

 

II 変動する警察 093
一 原敬の警視庁大改革 094
  人事に大なたをふるう
  首相の直接指揮権の停止
  高等課の新設
  「民衆あっての警察」
  「警察思想」の普及をめざす
  典型的警察官=松井茂

二 「細民」対策――貧民警察の登場 104
  急増する犯罪件数
  本所太平署の実験
  警視庁指導下の「細民救護」機関

三 民衆騒擾にどう対応するか――米騒動前後 109
  「社会的犯罪」対策
  「正兵・奇兵」という戦術
  「米騒動」おこる
  「自衛団」の活動
  「国民警察」の提唱

四 巡査の待遇改善と精神的統制 118
  生活難に追いつめられる巡査
  「階下の警察官」精神

 

III 「警察の民衆化」と「民衆の警察化」 121
一 欧米に学ぶ 122
  内務官僚、ヨーロッパへ
  堀田貢のみやげ話
  警察関係の新聞・雑誌

二 宣伝する警察 127
  交通安全キャンペーンの開始
  道路取締令を契機とした活動
  安全週間の実施
  各地の動向
  小学生の警察署参観
  愛知県の警察展覧会
  和歌山県の「社会奉仕日」
  埼玉県の場合
  千葉県の場合
  全国的な展開
  ある教員の感想

三 人事相談所の開設 152
  狙いは何か
  愛宕署がまず開設
  相談内容は何であったか
  「帰るときはぐんにゃりさせる」

四 「自警」の組織化 162
  「自衛自警」の構想
  民間の治安維持組織とは
  警察への共鳴盤づくり

 

IV 「国民警察」のゆくえ 169
一 「帝都の暗黒時代」――関東大震災 170
  戒厳令がしかれる
  流言現象の実態
  「民衆警察=自警団」が行ったこと
  自警団をどう統制したか
  自警団員の裁判

二 自警団とは何であったか 186
  自警団設立は自然発生か
  神奈川県の場合
  埼玉県の場合
  警察関係者の自警団評価

三 「国民皆警察」の構想 194
  松井茂の「国民皆警察」論
  「力」の立場の浮上
  「皇室中心主義」が強調される
  世論はどうであったか
  「力士会」事件にみる世論
  欺瞞と化す便宜的「自治
  日本全国の「警察化」
  「国民警察」構想の到達点

 

終章 戦後警察への軌跡 211
一 近代警察の歩み 212
  警察機構の成立過程
  予防こそが使命
  社会変動のなかの再編成

二 戦後警察の成立と問題点 218
  解体された警察
  ふたたび集権と膨張の道へ
  『警察白書』を読む
  問いつめられるべき「現在」

 

あとがき [227-230]

 

 

 

【抜き書き】
※本書のルビは全括弧[ ]で、二重引用部は二重山括弧《 》で括った。
※著者(大日方純夫)による省略は (中略)で、私(id:Mandarine)による省略は 〔……〕で示した。

 


□181-185頁  やや長め。関東大震災の直後に起きた事件について。

 まず自警団員の裁判(が杜撰という点)について個人が振り返った記録。そして著者が、警察と自警団との関係こそがその一因と指摘する部分。

 

 警備部は〔……〕司法上、「変災」に際して行われた「傷害事件」を放任することはできない、とようやく決定した。しかし、〔……〕取り締まりはするものの、その範囲を最低限にとどめようとしたのである。
 以上のような方針がかたまったことによって、横浜・東京・群馬・埼玉などで、「事件」にくわわった自警団員の検挙がはじまった。

   自警団員の裁判
 検挙者数は、吉河光貞検事の『関東大震災の治安回顧』(一九四三年に調査・研究したもの)によれば、検挙一三九件(検挙者七四五人)、ただし、東京市発行の『東京震災録』では、東京市だけで検挙一三〇〇件となっていて、大きなずれがあり、いずれが正確かはっきりしない。
 検挙者は殺人罪・騒擾罪などで起訴されたものの、裁判には裁判官と被告とのなれあいという色彩が濃かった。当時、埼玉県本庄警察署に勤務していた新井賢次郎巡査はつぎのように証言している。

裁判もいいかげんだった。殺人罪ではなくて騒擾罪ということだった。刑を受けたのは何人もいたが、ほとんど執行猶予で、つとめたのは三、四人だったと思う。私も証人として呼ばれたが、検事は虐殺の様子などつとめてさけていたようで、最初から最後まで事件に立合っていた私に何も聞かなかった。そして、安藤刑事課長など、私に本当のことを言うなと差しとめ、実際は鮮人半分、内地人半分だったと証言しろ、それ以上の本当のことは絶対に言うな、と私に強要した。私も言われた通り証言した。
関東大震災五十周年朝鮮人犠牲者調査・追悼事業実行委員会編『かくされていた歴史――関東大震災と埼玉の朝鮮人虐殺事件』)

 このような構えで行なわれた裁判では、いったい、どのような審理となったのか。たとえば一〇月二二日、浦和地方裁判所における熊谷の虐殺事件についての公判はつぎのようであったという(同前)。

裁判長は被告の一人に元に余る日本刀を示して、「夜警の為にはチト大業[おおわざ]ではないか」と笑いかける。被告も笑いながら、「外にいいのがありませんでしたから。(中略)熊谷寺にゆくと誰ともなく「やっちまえ」というから、たおれていた鮮人を刺しました」と述べる。これは予審での申し立てとちがったので、裁判長が「お前は首を落とす積[つ]もりで再びやったというじゃないか」と叱ると、被告は「そうです。そうですが、首は落ちませんでした」という。そして、石を打ちつけたことについて、「黒い石はこの位でした」と大きな輪をつくる。法廷全体にクスクスと笑いがおこる、云々。

 これが虐殺事件の裁判であった。『東京日日新聞』(一〇月二二日付夕刊)がいうように、それはまったくのところ、「事件をさばく廷とは思われぬ光景」だったのである。
 裁判はいずれも、「自警団の傷害罪は悉[ことごと]く之を免ずること」、「過失により犯した自警団の殺人罪は悉く異例の恩典に浴せしめること」という自警団側の要求をいれて、ほとんどが無罪、または執行猶予付となった(姜徳相関東大震災』)。しかも、翌年一月の摂政(昭和天皇)の結婚にともなう減刑と、それを口実とした裁量によってほとんどが実刑をうけなかった(関東大震災五十周年朝鮮人犠牲者追悼行事実行委員会編『歴史の真実――関東大震災朝鮮人虐殺』)。
 こうして、自警団の「犯罪」は免除された。それは、この「犯罪」行為そのものが警察側のあり方と密接にかかわっていたからであった。一〇月二二日の『東京日日新聞』で、東京の三田四国町自警団の一員はいう。

私は三田警察署長に質問する。九月二日の夜、××来襲の警報を、貴下の部下から受けた私どもが、御注意によって自警団を組織した時、「× ×と見たらば本署へつれてこい、抵抗したらば○しても差し支えない」と、親しく貴下からうけたまわった。あの一言は寝言であったのか、それとも、証拠のないのをよいことに、覚えがないと否定さるるか、如何。
(「○○」「× ×」は原文のまま)

 また、巣鴨の住人もいう。

われ/\が竹槍やピストルを持って辻を堅めていると、巡回の警官は禁じもせず、かえって「御苦労様」とあいさつしてあるいた。
 今さら責任を自警団にのみ負わせるとは何事だ。

 このような発言、およびすでにあきらかにした一連の経過からみて、自警団の責任を徹底的に追及すれば、それは当然のことながら警察官憲の責任に及ばざるをえなかった。したがって、「事件」を自警団員の個別的な責任として処理するため、ほどほどのところでお茶をにごしたのである。しかも、自警団と警察のあいだには、つぎにみるように、さらに深い関係があった。

 

 


□205頁(第IV章・第3節)から。松井茂の〈国民皆警察〉論を詳しく見たのち、著者がこの構想が手本にしたものと、実際の中央集権と自治の食い違いについて論じた部分。

 

  欺瞞と化す便宜的「自治
 ところで、「警察の民衆化と民衆の警察化」が提唱される際、つねにひきあいにだされたのはイギリスやアメリカであり、両国における警察と民衆の関係が羨望をこめてしきりに紹介されていた。しかし、日本警察の中央集権性を変えようという主張はあらわれなかった。この点ではイギリス、アメリカにならおうとはしない。フランスやドイツにならってつくり上げた大陸型警察の基本構造をそのままにして、イギリスやアメリカの自治的警察のもとでの警察と国民の関係をまねようというのである。中央集権性を誇り、自治的な警察のあり方を否定しつつ、「自治」が要求される。とすれば、それはもっぱら中央集権的警察の下支えとしての官治的「自治」、警察にとって役だっかぎりでの便宜的「自治」でしかない。したがって、それは一種の欺瞞に化するのである。
 一九二二年三月、自由主義的な言論人石橋湛山は、『東洋経済新報』誌上で、労働運動・政治運動に対する警察の干渉を批判しつつ、これを正すためには警察制度を根本的に改造して、政府の手から警察を奪い、地方自治体の管轄に移す以外にないと主張していた。同様な意味で、警察を民衆が支持し、後援するためには、本来、その根本的改造がなければならなかったはずである。民衆が自らの警察を回復するためには、国家の警察から自治体の警察へと転換させることが前提でなければならなかった。しかし、それは警察当局者によってはまったくかえりみられることがなかったのである。

 

 

 

『キレイならいいのか――ビューティ・バイアス』(Deborah L. Rhode[著] 栗原泉[訳] 亜紀書房 2012//2010)

原題:The Beauty Bias: The Injustice of Appearance in Life and Law
著者:Deborah L. Rhode(1952-) 法曹倫理。
訳者:栗原 泉  翻訳家。
NDC:367.1 女性.女性論
件名:身体像

 

亜紀書房 - 亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズⅠ-8 キレイならいいのか ビューティ・バイアス

キレイならいいのか――ビューティ・バイアス (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)

キレイならいいのか――ビューティ・バイアス (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)

 



【目次】

凡例 [002]
はじめに フェミニストで、知を求める学者……のはずが…… [003-016]
目次 [017-024]


第一章 些末なことが大事なこと――女たちが支払っている代償 025
個人的なことは政治的なこと――靴の問題 029
容姿――代償とその結果 034
根幹をさぐる 037
フェミニストたちの挑戦と反応 041
容姿差別――社会の不正と法的権利 044
「くだらない訴訟」で裁判所が一杯に? 048
大事なのはルックではなくクック 051
容姿差別を禁じる州と都市 054
多額の費用に立証の難しさ 056
改革への行程表 060


第二章 容姿の重要性と、ひとをマネる代償 065
「魅力的」の定義とさまざまな差別 067
対人関係と経済的機会 071
容姿と生活の質の関連 075
ジェンダーによる違い 077
現状維持の代償――時間と金 080
考えられる健康リスク 085
化粧と整形手術の害 088
摂食障害と無食欲症 092
バイアスがかかる 095


第三章 美の追求は割に合う? 101
社会生物学的な基礎 103
三つの圧力 106
市場の力 108
幼児への接近 112
テクノロジーの力 116
メディアの力 118
各種美人コンテスト 120
テレビの影響――フィジーでも「この体形になりたい」 124
やり玉に挙げられる有名人の容姿 128
女子スポーツ選手の場合―― 一度も優勝なしで最も収入の多い女子テニスプロ 134
広告が作り出した数十億ドルの産業 136
満足度とは遠い美を求める努力 141


第四章 際限のない批判合戦 143
一九世紀~二〇世紀初頭の評論家たち 148
現代の女性運動 151
批判、そして批判 154
フェミニストたちの反応 158
個人的なことと政治的なことの間 162
二重の敗北感 168
袋小路を抜けて 173
新たなスタートライン 176


第五章 外見で人を判断するな――不当な差別 181
ステレオタイプで差別 185
二重の差別への異議申し立て 188
思わぬダブルスタンダードの弊害――同性愛者の直面する問題 190
自己表現の権利を守る――個人の自由と文化的アイデンティティ 193
コントロールできるものは自己責任? 197
太り過ぎインストラクターの出世 202
セクシーな子を雇って何が悪い? 203
雇用者の論理と懸念 206
実利的な面からの反論 208
法律の効果 213
性的嫌がらせとの類似 216
法律の貢献 218


第六章 新しく作るか、あるものを使うか――法の枠組み 221
現行の法的枠組みの限界 225
容姿差別の禁止 250
取り組み方の比較――ヨーロッパの対応 255
容姿差別の法的禁止――その力と限界 259
消費者保護――詐欺まがいの販売行為の禁止 262
改革への方向づけ 265


第七章 改革に向けての戦略 267
目標設定 270
個人ができること 275
業界・メディアの役割 277
法律と政策 282
ジャンクフード漬けの子ども対策 284
栄養素表示の効果 288
問題を矮小化する法案 290
パーティのあとの救急センター 293

 

 

 

【抜き書き】
・ルビは全括弧[ ]に示した。
・引用者による中略は〔……〕。
・以下の抜き書きは、冒頭のやや長い「はじめに」から数か所。あとの方には本書中盤から一か所。


・地位の上昇につれ浮上した、自らの「服装」問題。

 はじめに  フェミニストで、知を求める学者……のはずが……

 容姿のことで私はこれまでずっと問題を抱えてきた〔……〕。我々の文化のなかでは、そんな話をすることに多少なりとも不安を覚えずにはいられないのだ。
 フェミニズム創始者の一人、スーザン・ブラウンミラーは次のような言葉でこの問題の一端を明らかにしている。「『服装とは一つの意見表明だ』なんて言ったのはだれ? そんな生易しいもんじゃないわ。服というものは一時[いっとき]も黙っちゃいない。際限もなくがなり立ててるのよ。着ている本人が意識しようとしまいと、いろんな主張をね」
 体重やヘアスタイル、化粧などについても同じことがいえる。そこで、主張のまったくない私のような人間は困ってしまう。私はただ周囲に溶け込みたいだけだ〔……〕。
 他人のまねをしていればいちばん安全だと私は信じていたのだが、一九七九年にスタンフォード大学で働き始めるとそうはいかなくなった〔……〕。
 一方、私の服はといえばセーターとコール天パンツばかり。私は職場の進歩主義的な男性同僚たちと同じような格好をしていたのだ。それでまったく問題はないと思っていた。なんといっても私はフェミニストで、知を求める学者なのだ。時間と金をファッションなんかに浪費したくない。
 私は、とっかえひっかえ三通りのカラーコーディネートで通していた〔……〕。
 私がスタンフォード大学「女性とジェンダー研究所」の所長に就任するや、服装の問題は一層深刻になった。仕事柄、大学のお偉方や財団理事や裕福な寄付者たちと定期的に接触しなければならなくなったのだ〔……〕。
 職場の人たちは、まるでキリスト教の伝道師さながら、熱意を込めて私の改造計画に乗り出した。私は当面、彼女たちの監督のもとにクレジットカードを使い、彼女たちのお許しの出た店で服を買うことになった。



□体験談その2。

 ほっとしたのも束の間だった。数年後、私はアメリカ法曹協会(ABA)女性法律家委員会の委員長に就任し、研究者と著名職業人とでは服装の基準がまるで違うと思い知ったのだった〔……〕。
私はABAの広報担当者の親切な申し出を受けた。いわく、大スクリーンに映し出される私の「見栄え」が「問題になって」おり、協会は「メイクとヘアの専門家の助言と買い物代行サービスを利用する費用を負担したい」のだそうだ〔……〕。
 こうしてABAの広報担当スタッフとの一連の交渉が始まった。スタッフは私の洋服ダンスの中身をすべて調べ上げた。どの服が着用可能かは、私の「パーソナルカラー」を踏まえて考えなければならない〔……〕。こうしたことがすべて、職業上の男女平等を推進する委員会の仕事として進められたとは、なんとも皮肉である。ABAに数多[あまた]いる男性の会長や委員長のなかで、パーソナルカラーは「春色」か「秋色」か、あるいは「ちゃんとした」ネクタイはそろっているかなどと訊かれた人がいるだろうか。

 〔……〕

 ここで私がこのばかげた体験を語るのは、その重要性をことさら強調したいからではない〔……〕。私の見かけがどうであれ、それで世の中が変わるわけはない。だが、この事例からくっきりと浮かび上がるのは、容姿に関して男性と女性は別々の基準が適用される、つまりダブルスタンダードがあるということだ。

 

 

・著者の体験談を離れ、女性一般の問題に。

 男性は容姿による偏見を受けないなどというつもりは決してない(*身長が一七五センチに満たない男性に訊いてみればわかることだ)。だが、女性は男性の何倍も努力しなければならない。最低限の身なりを整えるだけでも、女性は男性よりもはるかに手数をかけなければならない。旅行するとき、夫が持っていくのは着替えのシャツ一枚と下着と制汗剤だけ。朝起きてシャワーを浴び、ひげを剃れば身支度はおしまいだ。一方、私はあれこれと携行品が多いのに、それでもだらしなく見えるかもしれない。
 さらに昔からの年齢差別の問題がある。これは男性よりも女性にとってはるかに大きな問題だ〔……〕。こんなダブルスタンダードがあるから、女性は絶えず容姿を気にすることになる。おまけに、気にすること自体を気にするのだ。

 

 

□116-117頁。美容の技術進歩と、要求の高まりについて。

  テクノロジーの力
 テクノロジーの進歩によって人は容姿を改善することができるようになり、それでますます容姿 気にかけるようになった。著名な文化人類学者マーガレット・ミードは指摘している。「欠陥は修正できるという可能性がひとたび生まれると、私たちの考え方が変わる。なにか手を下さなければならない、と思うのだ。なんでも悪い点はなおすべきだと」
 その最もわかりやすい例は美容整形手術であろう。再建術の歴史は古く、紀元前六〇〇年のインドにまでさかのぼる〔……〕。
 こうした技術のおかげで、すでに二〇世紀の初めには、実入りのいい一つの専門分野が発展の兆しを見せ始めていた。さらに、写真術をはじめクローズアップ撮影技術の進歩は、もっと魅力的な容貌になりたいという欲求を掻き立ててきた。写真加工術が進歩し、最近の消費者は手術によってどのような顔になれるかを簡単に想像できる。また、肌や爪や髪の毛の手入れのためのより優れた商品も、さまざまな分野の研究から生まれている。
 しかし、こうした研究が商品に関する似非科学的な主張の基礎を築き販売担当者がそれらを巧みに利用してきたことを無視するわけにはいかない〔……〕。
 インターネットによって、美しさやボディイメージの重要性を強調するさまざまなサイトをだれでも閲覧できるようになった。「最もダサいネットワーク」の一つに選ばれた「ビューティフル・ピープル」は、会員一二万人を誇るネットコミュニティーだ。〔……〕このサイトは「外見が重要だといってしまえば、道徳的には正しくないかもしれない。だが、それは真実だ」との前提で動いている。
 また、「痩せる努力を鼓舞する」サイトもたくさんあり、自分たちは一つの生活様式を選んでいるのであって、摂食障害ではないと信じ込んでいる拒食症や過食症の患者を支えている〔……〕。
 いまやインターネットを開けば、美容関連の広告や有名人の姿が目に飛び込んでくる。結果として外見の重要性はさらに強調される。テレビ会議フェイスブックなどを通して、視覚映像を簡単に入手することができるし、写真修正技術を使えば映像に簡単に手を加えることもできる。こうして実現不可能な理想的容姿がますます独り歩きする。このエレクトロニクス時代、美しさはただちに、しかも際限もなく手に入れることができるものになった。しかし、それは自然が与えてくれた肉体からかけ離れたものになっていく。