著者:阿部 謹也[あべ・きんや](1935-2006)
件名:日本人
件名:日本--社会--歴史
NDC:210.1 日本史
歴史好きだといわれる日本人だが,その一方で歴史意識の欠如が問われることも多い.日本人にとって歴史とは何だろうか.これまで世間という視角から日本社会・日本人を論じてきた著者が,西欧社会と比較しながら「世間」を歴史的に分析して,日本人の歴史意識を考える.歴史研究の総決算として書き下ろされたもの.
【目次】
目次 [i-v]
はじめに 001
問われる歴史意識の欠如
「世間」という日本独自の生活の形
本音として生き続ける「世間」
本書の方法
「世間」とは何か
本書の構成
第一章 古代の知識人と「世間」 017
『万葉集』に見る「世間」
貧窮問答歌
『今昔物語』『源氏物語』の「世間」
「方丈記』の「世間」
経典に見る「世間」
親鸞の『教行信証』に見る「世間」
『般若心経』
第二章 古代の民衆と「世間」 029
ミクロコスモスとマクロコスモス
因果応報の原理
雷を捕らえた話
狐を妻とした話
亀の恩返しの話
般若心経の不思議
寺の薪を盗んだ僧の話
悪い死に方をした非道の男の話
伊勢行幸をやめさせた話
虎になった役優婆塞の話
牡蠣の恩返しの話
石を産んだ女の話
生霊と怨霊
怨霊としての菅原道真
御霊信仰
「世間」の構造
「世間」の中の呪術の支配
第三章 呪術を否定した親鸞 051
呪術的思考の否定
真宗と民俗
蓮如と真宗教団
親鸞の弟子達の特異な集団
第四章 「世間」における歴史の位置 063
「世間」と歴史
親鸞と歴史
「御消息集」から
第五章 「世間」の世俗化 075
「世間」にとらわれない商人の誕生
『徒然草』の大福長者
「世間」=無常の否定
西鶴の「世間」
『日本永代蔵』
「世間」が神――『西鶴諸国ばなし』
ポトラッチ的意識――『仮名草子』
社会契約的意識――『心中天の網島』
近代化と二元的社会の形成
「社会」と「個人」という訳語の成立
教育勅語の発布
「世間」に関する書物の出版
抜け目なく生きる人々
巌谷小波の『世間学』
第六章 西欧における近代の始まり 097
『奇跡を巡る対話』
西欧の人間と動物
地上の秩序と天国
貪欲の罪
教会の秩序が来世への保障
贈与・互酬関係の転換―西欧の場合
中世の宇宙観
「贖罪規定書」における呪術の否定
告白と個人の成立
巌谷小波の『世間学』再論
日本における自画像の問題
第七章 日本近代の二重構造制度と人間関係 121
新しい制度と旧来の人間関係
藤村の『破戒』と「世間」
国家の暦と「世間」の暦
一般の家庭
成人とは何か
「世間」の中の付合い
大学における人事
「世間」における評価
少年法の問題
「世間」の中の歴史
官学アカデミズムの成立
『日本国史絵物語』
個人という言葉の理解
学者達の日常生活
第八章 西欧における歴史意識と歴史学 153
近代的歴史学の成立
東京商科大学の歴史学
西洋史、国史、東洋史の区分の成立
西欧における歴史意識の問題
協会の成立
ハインペルの歴史学
小さなヴァイオリン
日常生活の小秩序
ヨーロッパにおける歴史学の闘い
歴史的神話の形成
スメタナのリブシェ
事実の探求と意味の探求
教科書問題
欧米人にとって歴史とは何か
カーの『歴史とは何か』
歴史における方向感覚
第九章 日本人にとって歴史とは何か 187
吉田松陰と天誅組
観客として眺める歴史
「世間」に起こった現象としての関心
「世間」体験からものを考える
歴史家と「世間」
日本における歴史学の将来
歴史は「世間」と闘う者にその姿を現す
「世間」を歴史として対象化する
あとがき(二〇〇三年九月二十日 阿部謹也) [205-208]
【関連記事】
・歴史学者による(メタレベルの)「日本」論。
『近代化と世間――私が見たヨーロッパと日本』(阿部謹也 朝日文庫 2014//2006) - contents memorandum はてな
『死産される日本語・日本人――「日本」の歴史‐地政的配置』(酒井直樹 講談社学術文庫 2015//1996) - contents memorandum はてな
『日本人はなぜ存在するか』(與那覇潤 集英社 2013) - contents memorandum はてな