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『現代たばこ戦争』(伊佐山芳郎 岩波新書 1999)

著者:伊佐山 芳郎[いさやま・よしお] 弁護士。 市民運動

現代たばこ戦争 (岩波新書)

現代たばこ戦争 (岩波新書)

【目次】
まえがき [i-iii]
目次 [v-ix]


第1章 最新版 世界たばこ情報 001
  WHO(世界保健機構)新事務総長の登場  世界の喫煙者率  たばこの値段  たばこの警告表示  警告表示とたばこ製造者の責任  外圧に屈した日本  台湾、韓国への圧力  外圧と闘ったタイ  中国が標的  アメリカ下院たばこ輸出促進策禁止法案可決  アメリカ、スーパー三〇一条復活  たばこか健康か  ベルギー議会、たばこ広告禁止法可決  たばこと環境破壊


第2章 現代人とたばこ病 029
  たばこ病で倒れた人々  たばこは毒の缶詰  ニコチンの依存性  ダイオキシンを考える  たばこ三大病  肺がん  喉頭がん  肺気腫  難聴の危険性  成人病から生活習慣病へ  がん検診の見直し  ライフスタイルと喫煙


第3章 受動喫煙の被害 059
  赤ちゃんの突然死  たばこの誤飲  受動喫煙を考える  受動喫煙の急性被害  受動喫煙の慢性被害  最新の受動喫煙に関する情報  『厚生白書』で喫煙対策の方針  職場の契煙対策実態調査  禁煙・分煙実現の企業、自治体  労働省ガイドラインを考える  職場喫煙対策とモデルケース  裁判例概観  嫌煙権訴訟判決の“受忍限度論”批判  嫌煙権批判のあれこれ  嫌煙ファシズム


第4章 子どもたちとたばこ 097
  中学生・高校生に蔓延  初めての喫煙経験  子どもたちは自動販売機から入手  喫煙を煽る? 電車内の広告  たばこ産業や大蔵省の詭弁  驚くべき未成年喫煙の試算数字  未成年者喫煙禁止法を蘇らせよう  子どもの喫煙補導の実態  感受性の窓が開いている  「成人病」は子どもの時期に芽生える  WHOの一九九八年世界禁煙デーメッセージ  ついに登場、日本に青少年無煙の町宣言


第5章 たばこ宣伝マンの罪と罰 123
  ボストン法律家会議から  アメリカたばこ会社宣伝マン、ゴーリッツの転向  マルボロマン、肺がん死  日本の俳優、タレントのたばこ宣伝


第6章 アメリカのたばこ裁判では何が起こっているのか 135
  アメリカたばこ会社の巨額和解  アメリカたばこ訴訟概観  主任弁護士との会見から  たばこ会社の内部秘密文書の暴露  個人訴訟の勝利評決  医療費求償訴訟の激震  世界を駆け巡った連邦包括和解  ついに二四兆円和解  フロリダ州、医療費求償の州法制定  クラス・アクションに対する裁判所の変化  受動喫煙被害のクラス・アクション  アメリカたばこ訴訟の展開とたばこ政策  日本たばこ、アメリカ巨額和解に参加  中南米諸国もアメリカたばこ会社を提訴  アメリカ司法省も訴訟準備  カナダでも


第7章 現代の死の商人 159
  たばこ会社のターゲット  たばこ会社の陰謀と策略  大蔵省の茶番劇  たばこ事業法が元凶  予算の締めつけ  大蔵省、厚生行政に圧力  日本たばこのアメリカたばこ会社買収!  たばこの社会的損失  たばこが出火原因  アメリカの試算


第8章 日本たばこ病訴訟の意義と展望 181
  たばこ病一一〇番  がん患者ら、ついに立ち上がる  たばこ病訴訟提訴までのいきさつ  ついに提訴  原告・弁護団の主張の骨子  因果関係の証明  判例は因果関係を肯定  被告らの責任  被告日本たばこの対応  被告国のジレンマ  自業自得論は誤り  市民運動との連携  たばこ病を支える会の勝手連  分煙市民運動との関係


あとがき(一九九九年四月 伊佐山芳郎) [207-209]
参考文献 [5-9]
アメリカ政府の取り組み [1-4]





【抜き書き】


pp. 93-95

  嫌煙ファシズム


 一九八七年三月二七日付朝日新聞は、東京地裁嫌煙権訴訟判決を報じる記事の中で、二人の作曲家の談話を紹介している。「雪のふるまちを」「夏の思い出」「めだかの学校」などで知られる中田喜直氏のコメント(抜粋)。

「飲料水や食物に毒性のあるものを投入することが悪であるのなら、みんなが吸っている空気を汚すのはもっと悪いはず。そういうことがわからない人が多いので嫌煙権という言葉ができたのだが、それは言葉の問題でなく、常識の問題といえよう」


 他方、『パイプのけむり』などのエッセーで有名な團伊玖磨氏のコメント(抜粋)。
「身体に悪いなどと言い出せば、世のなかのすべてのものは身体に悪い。冷め切って言えば生きていることが一番身体に悪い。この問題は市民生活のマナーの問題であり、差し止めとか慰謝料とか裁判に持ち込むことがおかしかったと思う。一斉禁煙などはファシズムにつながるのではないか」

 中田氏は、『音楽と人生』(音楽之友社)の中でこう言っている。
團伊玖磨氏も随分考え違いをしているようだ。もし團氏が列車で長時間旅行していた時、隣の席の人がラジカセでガンガン音楽を鳴らしたら、やめて欲しいとか、イヤフォーンできいてくれと言うだろう。ききたくない音をきかされるのは苦痛であるし、静かにして欲しいという権利はあるはずで、それは当然のことである。タバコの場合も同じで、隣の席でタバコを吸われたら吸いたくない煙を無理に吸わされ大変な苦痛になる」


 さて、氏のファシズム発言について考える。こういう有名人の一言は案外俗耳に入りやすく、公共の場所の分煙がすすむのを苦々しく思うヘビースモーカーの一部の者は、この有名人の一言に飛びつき、“嫌煙権はファッショだ” とか“禁煙はファシズムにつながる” などと軽々しく言うことになる。
 この種の非難は、大抵嫌煙権に対する無理解や誤解にもとづくことが少なくないが、それにしても、嫌煙権はファッショなどという非難は、歴史認識のない人間による言葉の誤用であって、感情論にすぎない。政治学・政治思想史が専門の佐竹寛氏(中央大学教授)は、嫌煙ファシズム論に対し、次のように書いている。「そもそも嫌煙権運動というものは、間接喫煙によって健康を害ないたくないという、弱い立場の人間による切なる願いの運動なのである。そのような人権主義者がいくら多数集まってみても、異質の民族主義的・国家主義ファシズムになどなりえようがないことは、論理的にも現実的にも明らかではあるまいか」(『ジュリスト』一九八七年五月一五日号)。
 そもそもファシズムは、第一次世界大戦後に資本主義体制が危機に陥ってから、イタリア、ドイツ、日本などの資本主義国に台頭した一党専制、国粋思想の全体主義の政治的イデオロギーであり、対外的な侵略政策が特徴である。このようなファシズム嫌煙権批判のためにもってくることは、それ自体的外れであってこれ以上議論するに値しないであろう。


・分かりやすい説明。この点では私も著者(伊佐山芳郎)に賛同する。
 本来ファシズムとは関係のない文脈で発言に「ファシズム」「ナチス」を織り交ぜるのは、論壇ではたまに使われる手法。タバコ文化が生き残っても文句はないが、この無駄でお手軽な修辞はぜひ滅んでほしい。

 なお養老孟司をはじめ、“喫煙文化研究会”メンバーの著名人が、この“嫌煙ファシズム論”を、20年経っても未だにひねりもなく繰り返している。まともな議論には寄与しないので残念だ。
 といっても、その発言が掲載されるのは、週刊誌や『愛煙家通信』等の一部の喫煙者向けの媒体(もしくは、せいぜい個人サイト)なので、悪影響は小さい。