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目次とメモを置いとく場

『科学哲学』(Samir Okasha[著] 廣瀬覚[訳] 岩波書店 2008//2002)

原題:Philosophy of Science: A Very Short introduction.
著者:Samir Okasha  生物学の哲学。
訳者:廣瀬 覚[ひろせ・さとる] 哲学。翻訳。 
解説:直江 清隆[なおえ・きよたか](1960-)  哲学。科学技術倫理。
NDC:401 科学理論.科学哲学


科学哲学 - 岩波書店


 2016年に第二版が刊行された。


※目次では(私が新たに)節に「3.5」など番号を振ってある。


【目次】
謝辞 [iii]
目次 [vーvi]


1 科学とは何か 001
  1.1 近代科学の起源 003
  1.2 科学哲学とは何か 012
  1.3 科学と疑似科学 014


2 科学的推論 020
  2.1 演繹と帰納 021
  2.2 ヒュームの問題 027
  2.3 最善の説明を導く推論 033
  2.4 確率と帰納法 039


3 科学における説明 047
  3.1 ヘンペルによる説明の被覆法則モデル 048
  3.2 対称性の問題 054
  3.3 関連性欠如の問題 057
  3.4 説明と因果性 059
  3.5 科学ですべてが説明できるのか 064
  3.6 説明と還元 068


4 実在論反実在論 072
  4.1 科学的実在論反実在論 073
  4.2 奇跡論法 078
  4.3 観察可能と観察不可能の区別 083
  4.4 決定不全性論法 089


5 科学の変化と科学革命 097
  5.1 論理実証主義の科学哲学 098
  5.2 科学革命の構造 101
  5.3 通約不可能性とデータの理論負荷性 107
  5.4 クーンと科学の合理性 115
  5.5 クーンの遺産 118


6 物理学・生物学・心理学における哲学的問題 122
  6.1 絶対空間をめぐるライプニッツニュートンの論争 122
  6.2 生物学的分類の問題 133
  6.3 心はモジュール構造をしているか 143


7 科学とその批判者 153
  7.1 科学至上主義 154
  7.2 科学と宗教 160
  7.3 科学は価値観と無関係か 166


科学哲学によって〈つながる〉こと[直江清隆] [175-188]


日本の読者のための読書案内[廣瀬覚・直江清隆] [189-194]
図版一覧 [5]
読書案内 [1-4]




【メモランダム】
・伊勢田哲司氏の公開しているリスト。本書への言及もある。
科学哲学日本語ブックガイド


・訳者(廣瀬覚)の情報が不足。同姓同名の考古学者(奈良文化財研究所、1929-)、編集者(水声社。1992-)が同時代にいる。



【抜き書き】


□本書における〈多重実現〉についての説明[pp. 68-71]。

 それにもかかわらず、科学の各分野がみな対等というわけではないという意見が一般的である。他よりも基本的な科学があるというのだ。ふつう、物理学は最も基本的な科学と見なされている。どうしてかといえば、その他の科学な研究対象は、究極的には物質粒子によって構成されているからである。たとえば、生物について考えてみよう。生物は細胞から形づくられており、細胞は水と(DNAなどの)核酸とタンパク質と糖質と脂肪からできている。さらに、これらはみな、〔……〕しかし、分子は、物理的粒子である原子からできている。したがって、生物学者の研究対象は、突き詰めていえば、きわめて複雑な物理的対象なのである。同じことは他の科学についてもいえる。社会科学さえ例外ではない。たとえば、経済学が研究するのは、市場における企業や消費者の振る舞いと、そこからもたらされる帰結である。ところで、消費者は人間であり、企業は人間から成っている。人間は生物であり、つまりは、物理的存在である。
 このことは、原理上、物理学がそれより高次のあらゆる科学を包摂しうるということを意味しているのだろうか。すべては物理的粒子から形づくられているわかだから、完全な物理学といったものが手に入って、宇宙のあらゆる物理的粒子の振る舞いを完璧に予測できるならば、それ以外の科学は無用ということになるのではないか。しかし、たいていの哲学者は、こうした考えを認めない。「生物学や経済学によって説明されることを物理学が説明できるようになる日が、いつか来るかもしれない」などと考えるのは、正気の沙汰とは思えないからだ。生物学や経済学の法則を物理学の法則から直接導き出せる見込みは、まずないだろう。未来の物理学がどのようなものになろうと、それが景気の下降を予測するなどということはありえない。生物学や経済学といった科学は、ほぼ自立しているのである。
 ここから哲学の難問が浮かびあがる。究極的には物理的存在にすぎない対象を研究する科学が、どうして物理学に還元できないのだろうか。かりに高次の科学が物理学から自立しているとして、いったいそれはどうして可能なのだろうか。一部の哲学者によれば、その答えは、高次の科学の研究対象が物理的レベルで「多重実現」されているという事実に求めることができる。多重実現のアイデアを理解するために、例として、灰皿の集合を想像してみよう。ひとつひとつの灰皿は、この宇宙にある他のすべてのものと同じく、明らかに物理的存在である。しかし、灰皿の物理的組成は実にさまざまでありうる。ガラス製のものもあれば、アルミニウム製のものも、プラスチック製のものもあるというように。それらはサイズも形も重さもいろいろだろう。灰皿のもちうる物理的性質の多様性には、ほとんど限りがない。したがって、「灰皿」という概念を純粋に物理学の用語だけで定義することは不可能である。「x が灰皿であるのは、x が〜のとき、かつそのときのみである」という形をしていて、空所が物理学の言語に属する表現で埋められるような真なる言明など、けっして見つかりはしない〔定義が必要十分条件の形で与えられる場合、このような言い方が用いられる〕これは、物理的レベルで灰皿が多重実現されていることを意味する――。以上が多重実現のアイデアである。

※〈多重実現〉・〈多重実現可能性〉とは?
多重実現可能性 - 心の哲学まとめWiki - atwiki(アットウィキ)


Multiple Realizability (Stanford Encyclopedia of Philosophy)