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目次とメモを置いとく場

『ゾミア――脱国家の世界史』(James C. Scott[著] 佐藤仁[監訳] 池田一人ほか[訳] みすず書房 2013//2009)

原題:The Art of Not Being Governed: An Anarchist History of Upland Southeast Asia
著者:James C. scott(1936-) 政治学。人類学。
監訳:佐藤 仁[さとう・じん](1968-) 文化人類学、国際関係論。
訳者:池田 一人[いけだ・かずと] 大阪大学大学院言語文化研究科講師。
訳者:今村 真央[いまむら・まさお] シンガポール国立大学地理学部。ハーヴァード・イェンチン研究センターフェロー。
訳者:久保 忠行[くぼ・ただゆき] 日本学術振興会特別研究員(京都大学東南アジア研究所)。
訳者:田崎 郁子[たざき・いくこ] 日本学術振興会特別研究員(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科)。
訳者:内藤 大輔[ないとう・だいすけ] 総合地球環境学研究所特任助教
訳者:中井 仙丈[なかい・せんじょう] チェンマイ大学人文学部講師。同大日本研究センター副所長
カバーデザイン:川添 英昭[かわぞえ・ひであき](1979-) ブックデザイナー/グラフィックデザイナー。 [美術出版社 デザインセンター]
NDC:316.823 民族・人種問題.民族運動.民族政策(東南アジア) 
NDC:382.23 風俗史.民俗誌.民族誌(東南アジア) 


ゾミア | みすず書房


【目次】
題辞 [i]
凡例 [ii]
目次 [iii-vii]
はじめに [ix-xix]


I:山地、盆地、国家――ゾミア序論 001
周縁の世界 003
最後の囲い込み運動 004
臣民を作りだす 009
「ゾミア」――偉大な山の王国、もしくはアジア大陸部の跨境域 013
避難地帯 022
山地と平地の共生史 026
東南アジア大陸部のアナーキズム史観に向けて 033
政治秩序の基本単位 036


II:国家空間――統治と収奪の領域 041
国家空間の地理学と地勢の抵抗 041
東南アジアにおける国家空間のマッピング 051


III:労働力と穀物の集積――農奴と灌漑稲作 065
人口吸引装置としての国家 065
国家景観と臣民の形成 074
「読みにくい」農業の撲滅 078
多様性のなかの統一 ――クレオールセンター 080
人口支配の技術 085
  奴隷制 
  財政面の把握しやすさ 
  自壊する国家空間 


IV:文明とならず者 099
平地国家と山地民――双子の影 100
野蛮人への経済的な需要 106
創られた野蛮人 111
借り物の装飾品をとりこむ 113
文明化という使命 117
規範としての文明 121
国家を去り、野蛮人のほうへ 123


V:国家との距離をとる――山地に移り住む 129
他の避難地域 132
ゾミアに移り住む――長い歩み 139
避難の遍在とその原因 144
  課税と賦役 
  戦争と反乱 
  略奪と奴隷売買 
  山地へ向かう反逆者と分派 
  国家空間における過密、健康、生態環境 
  穀物生産に逆らうように 
  距離という障壁――国家と文化 
  乾燥地の小ゾミア、湿地の小ゾミア 
  野蛮人のほうへ 
  アイデンティティとしての自律、国家をかわす人々


VI:国家をかわし、国家を阻む――逃避の文化と農業 181
ある極端な事例――カレンの「避難村」 182
なにより場所、つぎに移動性 185
逃避農業 190
  新大陸の視点 
  「逃避型農業」としての移動耕作 
  逃避農業としての作物選択 
  東南アジアの逃避焼畑 
  東南アジアの逃避作物
    トウモロコシ
    キャッサバ/マニオカ/ユッカ 
逃避の社会構造 207
  「部族性」 
  国家らしさと永続的上下関係の回避
  国家の影で、山地の影で


VI+1/2:口承、筆記、文書 221
筆記の口承史 222
読み書きの偏狭性と文字喪失の前例 225
  筆記の欠点と口承の利点
  歴史をもたないことの利点


VII:民族創造――ラディカルな構築主義的見解 241
部族と民族性の矛盾 241
他民族を吸収して国家を作る 248
低地をならす 254
いくつものアイデンティティ――穴だらけ、複雑、流動的 256
ラディカルな構築主義――部族よ、永遠なれ 260
部族を作りだす 263
家系の体面を保つ 269
立ち位置 274
平等主義――国家の発生を防ぐ 276


VIII:再生の預言者たち 287
生まれつきの預言者、反乱者――フモン、カレン、ラフ
  フモン
  カレン
  ラフ
周縁と疎外の弁神論 297
無数の預言者たち 299
「遅かれ早かれ」 301 
高地における預言運動 306
対話、模倣、つながり 309
臨機応変――究極の逃避型社会構造 315
民族合作の宇宙論 319
キリスト教――隔たりと近代化のための資源 323


IX:結論 329
国家をかわし、国家を阻む――グローバル-ローカル 333
撤退の諸段階と適応 337
文明への不満分子 340


用語解説 [345-350]
小さき民に学ぶ意味――あとがきに代えて(二〇一三年九月 佐藤仁) [351-363]
  歴史の主人公はだれか
  現場の人、スコット
  『ゾミア』と日本
  文明の鏡
  翻訳の経緯
原注 [viii-lxxvii]
索引 [i-vii]





【メモランダム】
・キーワードが多い本なので分類に迷った。文化人類学、フィールドワーク、政治学アナーキズム、東南アジア史、東南アジア地域研究……。

Wikipediaには本書についての記事があり、末尾には、書評へのリンクが数本だけまとめられている。





【抜き書き】


無文字社会と口伝を扱う「VI+1/2 章」から何箇所か抜き出した。著者の仮説はなかなかスリリング。注釈も面白い。


・イントロ部(pp.225-226

読み書きの偏狭性と文字喪失の前例
  通常、文明の語りにおいては、読み書きの喪失や放棄の話は出てこない。読み書きの習得は、移動農業から水稲耕作への移行や、森に暮らす小集団から村、そして町から都市への移行と同様に、後戻りのできない片道切符のようなものにたとえられている。しかし前近代社会において読み書きができる人口は、最も理想的な環境の下でも一パーセントにも満たなかったことはほぼ確実である。漢民族の場合、読み書きは書記官や高位の聖職者、またはごくわずかな層の学者に限られた社会的資産だった。こう考えると、社会全体に読み書きが普及していたと主張するのは正しくない。すべての前近代社会において圧倒的多数の人々は、文書の影響を受けた口承文化のなかで暮らしていたが、文字を知らなかった。多くの場合、読み書きは一握りの人口によって命脈を保ってきたといっても誇張ではない。読み書きは僅かな数のエリートたちに限られていただけではなく、その社会的価値は出世の手段や地位の証となる国家の官僚制や組織化された僧侶集団、そしてピラミッド型の社会組織に依存していた。つまり、これらの諸制度の構造を脅かす出来事は、それが何であれ読み書きを脅かすものに他ならなかった。


・文字にされた歴史のもつ効用と、(一義的に書かれた文書の)欠点について(pp.228-229)

  ◇筆記の欠点と口承の利点
  筆記の喪失に関するここまでの議論で指摘してきたのは、読み書きができる者の消滅と、彼らの技能に価値を与えていた文脈の消失には表裏一体の関係があった、ということだった。もう一歩踏み込めば、さらに強力な議論を唱えることができると私は考える。つまり、筆記の伝統にくらべて口承文化は、柔軟性と適応力の面で明らかに優れているということである。
  議論の便宜上、秘密の文字と銘文を魔術的効果を狙って利用する場合を除外して考えることにする[15]。魔術的な文字は、ゾミアのいたるところで見られる。まじないや祈蕎に用いられる文字と記号には「世界に対して働きかける」ことが期待された。そうした文字や記号は、身につけられたり、刺青として身体に彫りこまれたり、僧侶や呪術師によって授けられたりすることで、強力な護符として作用する。これらは書きことばの象徴的な力を証明するもので、それ自体研究の価値があるものの、本章で議論される筆記とは異なっている。また口承文化のための覚書としてのみ使われるゾミアの文字も議論の対象から除外する。例えば湖南省南部のヤオ/ミエンは、漢民族による支配以前から、自分たちの悲嘆を忘れないように布にぬいこむ素朴な文字をもっていたとされる。このように耐久性のある文献もなければ、文学や記録文書もない限定されたかたちの読み書きは、口承が支配的な文化のなかに読み書きがとりこまれた例としては魅力的だが(まるでホメーロスが文字をもっていて、『オデュッセイア」のなかの難しい一節を記憶したり、暗唱したりできたようなものだ)、本章では取り上げないことにする。[16]
  特殊で限定された筆記の存在は、文書〔テキスト〕というものが広い意味でさまざまな形態をとりうること、そして書物や書類はそのうちの二つにすぎないことを再認識させてくれる。すべての階級制が世代を超えて持続するには、権威と権力を主張する「文書」が生みだされなければならないと断言したい。そうした文書は筆記以前には、王冠、紋章、トロフィー、マント、頭飾り、王位を表す色、護符、家宝、石碑、記念碑といった物質的な形態で存在したかもしれない。国家は権威と権力を示す文書を最も貪欲に求め、自らの永続性の証として、そうした文書を大量に生みだすのだ。初期国家は、永劫の権力を主張するために、石版に文字や象形文字を刻みこんだ。
  記念碑や書かれた文書の主な欠点は、他の文書より恒久的であることだ。もちろん絶対なわけではないが、そうした文書は石碑としていったん建立されたり書き留められたりすると、いつ何時「掘り起こされる」かわからない不変の社会的化石になる。それが誰かの生誕にまつわる伝説であろうと、移住の物語、系譜、さらに聖書やコーランのような経典であろうと、いかなる文書も書きとめられることで、ある種の正統性を主張できるようになる[17]。もちろん文意が完全に明解であることはありえないので、複数の文書が競合すれば解釈の幅は広がる。とはいえ文書自体は解釈を行う際の定点になる。つまり蓋然性の低い解釈が生まれるのだ。いったん解釈に異論のない文書が現れると、それは正統な解釈からのズレを判定するための目安となる[18]。この過程は、対象となる文書が権威あるものとみなされる場合に最もよくみられる。例えばある文書のなかで、ある人々が特定の場所を発祥地として、低地の王が課した不公平な税を逃れるために脱出し、特定の旅路を経て、特定の守護神を奉り、死者を特定の方法で葬った、と主張されているとしよう。そうした文書の存在そのものが重要な帰結を招くことになる。というのも、こうした文書の存在によって、正統かつ標準的な物語が発達してくるからだ。標準となる物語を文書から直接導くことができるということは、文書を読むことができる識字階級にとって有利である。その後のどんな解釈に対しても、基準となる解釈との整合性によって、異説の幅が規定される。これとは対照的に、口承文化においては、話されたことが信頼できるかどうかを典拠の確かな書かれた文書から導くことができない。
  さらにそのような文書は同類の文書と同じく、作られたときの歴史的背景を反映している。そうした文書は、「ある関心に導かれて」書かれた歴史的な立場を示すものである。文書が作られた当時は、ある集団にとって有利な歴史解釈を認める役割を果たしたものが、状況が一変して、その解釈が不都合になってしまったらどうなるだろうか。もし昨日の敵が今日の味方に変わったとしたら、どうだろうか。文書が十分に多義的であれば、辻褄を合わせるための再解釈が可能だろう。さもなければ、焼却されたり廃棄されたりすることになる。もちろん記念碑の場合にはそうはいかないので、特定の名前や記録されている出来事が削りとられるだろう[19]。固定化された解釈は時間がたつにつれて、外交を成功させるための手段ではなく、落とし穴や障害にもなりうることは容易に想像できる。[20]
  一般的に山地民や国家に属さない人々にとって、筆記と文書の世界は、国家と切り離せない関係にある。

[15]それゆえにヤオ/ミエンは、中国の皇帝ととり交わしたとされる聖なる条約文書と中国の風水に必要なわずかな漢字をもっていた。中国貴州省少数民族である水(スイ)は絵文字をもち、それを占いと風水の儀礼に用いている。Jean Michaud, Historical Dictionary of the Peoples of the Southeast Asian Massif (Lanham, Md.: Scarecrow, 2006), 224.

[16]17世紀初期のポルトガル人は、フィリピン南部、スマトラ島スラウェシ島の住民の識字率が男女を問わず高いことを知った。驚いたのは、彼らが当時のポルトガル人よりはるかに読み書きに通じていたことだけではなかった。この住民たちの読み書きは、宮廷、文献、税制、貿易の記録、公教育、法的な争い、記述された歴史とは関連がなかったのである。彼らの読み書きは、もっぱら口承の伝統に役立つかたちで用いられていたようだ。例えば、呪文や恋人に捧げる詩(両者は本質的に同じもの)を貝葉(ヤシの葉)に書きとめ、記憶したり朗読したり、それを綴ったものを求婚の儀礼として愛する者に送ったりした。これは読み書きの形式として実に興味深い事例であり、通常関連があるはずの国家形成の技術からは完全に独立しているように思われる。以下を参照。Anthony Reid, Southeast Asia in the Age of Commerce, 1450-1680, vol. 1, The Lands Below the Winds (New Haven: Yale University Press, 1988), 215–229.

[17] ロイ・ハリスの説得力ある主張によれば、筆記はたんに発話されたことばを「書き留めた」ものとはまったく異なる。以下を参照。Roy Harris, The Origin of Writing (London: Duckworth, 1986); Rethinking Writing (London: Athlone, 2000). これらの参考文献を教えてくれたジェフリ・ベンジャミンに感謝したい。

[18]そのほとんどが解読されていないとはいえ、イギリス北部にあるピクト人のシンボルストーンにも同じような特徴が見られる。シンボルストーンは明らかに領土に関する恒久的な権限の主張を狙ったものである。当時、それらの石がどのような意味をもっていたのかははっきりしていない。しかし、シンボルストーンの意味を否定するためには、それに対抗するテキスト、つまり反証として解釈できるようなシンボルストーンを生み出さねばならなかったはずだ。

[19]James Collins and Richard Blot, Literacy and Literacies: Text, Power, and Identity (Cambridge: Cambridge University Press, 2003), 50 et seq. 歴史を物理的に消し去ろうとした最近の試みのなかでも最も劇的な事例は、アフガニスタンバーミヤーン渓谷にあった2000年前の仏像がタリバンによって爆破された例である。

[20]都合の悪い物理的な記録を抹消して記述や記念碑を消去する状況の一例が、ローマの記録抹殺刑の伝統である。ローマの元老院は裏切り者や共和国の名誉を傷つけたとされる市民や護民官に関するすべての記述と記念碑を破壊した。しかし当然ながら、記録抹殺刑の存在そのものは公的なので、書き留められ、正式に記録されたのだ! エジプト人は、記録から消し去りたいファラオについて書かれたカルトゥーシュと呼ばれるヒエログリフを破棄した。ソヴィエトでは、1930年代の粛清の際に、スターリンと対立したすべての党員の姿が編集によって写真から削除された。



・口承伝統と筆記伝統の差異(pp. 231-233)

  国家をもたない読み書き以前の状態、またはそれを棄て去った後の状態にいる多くの人々にとって、読み書きと筆記の世界は、たんに自分たちの無力と無知とそれに伴う負の烙印を想起させるだけではない。それは同時に差し迫った危機をも示していた。国家権力と密に結びついた筆記の習得は権力を強化する一方で、簡単に無力化されてしまう。筆記と識字を拒絶したり捨てることは、多くの民族にとって国家の手の届かないところに留まるための戦略のひとつである。書きことばより「官僚に成文化させない知識」に頼るほうがはるかに賢明というわけだ。[26]
  国家なき人々は強力な低地国家の隙間に入り込むように暮らしているので、適応力、模倣力、再発明力、順応力が生き残りのための重要な技術になる。そのため口承に基づくその土地の文化はかなり魅力的な選択肢だ。口承文化においては、権威のある系譜や歴史的な正統性を保証する絶対的な基準がひとつであることはない。口承による描写に複数の解釈ができる場合、そのうちのどれを信じるべきかは、それを語る「語り部」の地位と説明が聞き手の利害と趣向にどれだけ一致しているかに左右される。
  口承の伝統は、少なくとも二つの理由から、筆記の伝統よりも本質的に民主的である。まず読み書きの能力は、語る能力の分布にくらべ狭く偏っていることが多い[26]。さまざまな口述史のどれが正当であるかを容易に「裁定する」手立てはまずない。書かれることで固定化され、語りの真実性を比較可能にしてくれるような文書も存在しない。口承による意思疎通の対象範囲は、「公認」の語り部によるものでも、その場に集まって顔をつき合わせられるくらいの規模の聴衆に限られる。発話された言葉は、言語がそうであるようにある種の集団的活動の産物であり、伝達された時点ですぐに「その「意味」が世の中の人々に行き渡るには、さまざまな大きさの社会的集団全体に言葉を介したやりとりが習慣としてあらかじめ共有されていなければならない」[28]。ある種のパフォーマンスである発話されたテキストは、保存されて書きことばに閉じこめられた瞬間から、元々の意味に不可欠なリズム、音調、小休止、伴奏される音楽やダンス、聴衆の反応、肉体や顔の表情といった発話特有の性質をほとんど失ってしまう[29]。
  実際、口承史と語りには「原型〔オリジナル〕」という観念が全く当てはまらない[30]。口承文化は、聴衆に対して特定の時間と場所で演じられる一回かぎりのパフォーマンスのなかにのみ存在し、それを通じてのみ維持されてゆく。もちろん、口承を語って聞かせることがパフォーマンスのすべてというわけではない。パフォーマンスには、舞台、身振り手振り、語り部の表情、聴衆の反応、その場の雰囲気が含まれている。そのため口承文化には、放っておくと消えてしまうその場かぎりの現時性がある。もしそれが聞き手にとって関心の対象ではなく、何の役にも立たないのであれば、語りはそもそも成立しないだろう。これとは全く対照的に、書かれた記録は千年のあいだひっそりと存在していても、突然掘り起こされて、権威づけに利用されることがある。
  このように、口承伝統と筆記の伝統との関係は、焼畑農業と灌漑水田稲作の関係や、小規模で拡散した親族集団と人口が密集した定住社会との関係と同じようなものである。口承伝統は「クラゲ」のように姿かたちを変え、柔軟な形態の習慣、歴史、規則をもっているのだ。口承伝統は、長い時間の流れのなかで内容や強調点を変化させるという、ある種の「ゆらぎ」を許容する。いうならば、利害関係に基づく集団史の戦略的再調整を可能にする幅があり、その幅のなかで、省略される出来事や強調される出来事、そしてただ「記憶される」出来事が作り出されていく。共通の背景をもつ集団が二、三のグループに分裂し、それぞれが異なる物質的環境におかれれば、口承史も同様に多様化すると想像できる。異なる口承伝統は、互いの影響が感じられないほど離ればなれになるにつれて、共有された筆記による文書ならば示すことのできる参照点を失ってしまう。つまりそれに基づいてそれぞれの伝統がかつての共通の物語からどれほど離れ、お互いがどのような違いをもつに至ったかを測る基準を失うことになる。口承伝統は、繰り返し語られることで受け継がれ、伝達される過程で様々な解釈を上塗りしてゆく。物語は、その時々の関心、権力関係、隣接する社会や血縁集団に対する見方に影響される。バーバラ・アンダヤのスマトラ(ジャンビとパレンバン)における口承伝統の研究は、このような自己調節と修正の過程をとらえている。「共同体における暗黙の合意のもとに、現在と関係のない詳細は伝説から抜け落ち、先祖に関する伝承として新たに統合された要素にとって代わられる。こうして過去は継続的に意味をもちつづけることになる」[31]。
  口承であっても、集団が望むなら、何世代にもわたり忠実に情報を伝達できる。セルビアの口承史詩、さらにはホバーロスの叙事詩に関する画期的な研究によって、吟遊詩人の伝統が明らかにされている。それによれば吟遊詩人は、韻、韻律をそらんじ、徒弟関係のなかで長いあいだ修業することによって、非常に長い文節を原文に忠実に伝承することができる[32]。アカには、教師であり語り部でもあるピマという特殊な階級があり、彼らは儀礼の際に非常に詳細な物語を唱えることで、長い系譜、歴史的な大事件、慣習法を保存している。かなり異なる方言をもち、広域に散らばっているアカの諸グループが、ほとんど同一の口承による物語を守ってきたという事実が、そうした技術の有効性を物語っている。さらに驚くべきことだが、アカとハニは八〇〇年以上も前に分裂したにもかかわらず、お互いに容易に理解可能な口承の物語を保存してきた。[33]

[26]Mandy Joanne Sadan, History and Ethnicity in Burma: Cultural Contexts of the Ethnic Category “Kachin" in the Colonial and Postcolonial Strate, 1824-2004 ([Bangkok], 2005), 38. 以下を引用。T. Richards, "Archive and Utopia," Representations 37 (1992), special issue: Imperial Fantasies and Post-Colonial Histories, 104-35. 引用は108、111ページ。

[27] 明らかな例外については本章の後半で検証する。歴史、伝説、系譜がある特定の小規模集団のあいだでのみ語られる場合である。

[28] Eric A. Havelock, The Muse Learns to Write: Reflections on Orality and Literacy from Antiquity to the Present (New Haven: Yale University Press, 1986), 54. ハブロックは付け加える。「聞き手が芸術家をコントロールしているというのは、つまり、芸術家は聞き手が記憶でき、さらに日常的な言葉で繰り返すことができるように話を構成しなければならないからだ……ギリシア古典劇で用いられる言葉は、娯楽であるだけでなく、その社会を支えていた……言葉遣いがその機能的な目的を雄弁に語っている。つまり目的は共通のコミュニケーションを提供することであって、しかもそのコミュニケーションはその場かぎりのものではなく、歴史的、倫理的、政治的に重要なものだったのだ」(93ページ)。

[29] ソクラテスは自分の教えを書き留めると、その意味と価値が失われてしまうと考えた。それに対してプラトンは、発話を不安定で、自然発生的で、即興的なものだと考えたため、劇や詩に対して非常に懐疑的であった。

[30] Jan Vansina, Oral Tradition as History (London: James Currey, 1985),51-52. セルビア叙事詩に関する古典的資料は以下。この資料から、叙事詩の詠唱について多くのことを知ることができるし、古代ギリシア叙事詩にについて推測することもできる。Alfred Lord, The Singer of Tales (New York: Atheneum, 1960).

[31] Barbara Watson Andaya, To Live as Brothers: Southeast Sumatra in the Seventeenth and Eighteenth Centuries (Honolulu: University of Hawai'i Press, 1993), 8.

[32] リチャード・ジャンコによれば、「読み書きのできないボスニア吟遊詩人」が1950年代にはまだ1550年代のスレイマン大帝の業績を歌っており、ケオス島の吟遊詩人は、西暦1627年に隣りのサントリーニ島が大噴火した(が、ケア島の住人は無事だった)ことを覚えていたという。Richard Janko, "Born of Rhubarb," review of M. L. West, Indo-European Poetry and Myth (Oxford: Oxford University Press, 2008), Times Literary Supplement, February 22, 2008, 10.

[33] Von Geusau, "Akha Internal History," 132.



・(pp. 234-236)

  口承伝統のわずかなゆらぎは、けっして皮肉っぽく加工されたわけでも丸々でっちあげられるわけでもなく、信憑性なと気にも留めない吟遊詩人が無自覚に引き起こすことが多い。このゆらぎは、その時点で重要だったり関連が強い叙述を、選択的に強調または省略することで生じる。口承伝統は、しはしば同じ基本要素を共有しつつも、組み合わせ方、強調の直き方、道徳的な意味合いの違いによって異なる意味になるため、ありあわせのものを器用に組み合わせるブリコラージだと呼ぶことができる[37]。〔……〕ここで言いたいのは、戦略的に特定の先祖を選択し強調するだけで、現在の同盟を正当化する血縁関係を成立させてしまうことができるということだ。このように考えると、込みいった系譜というのは、通常は隠れているものを必要とあれば呼び覚ますことができる縁故を記した膨大な目録なのである。社会環境が不安定になるほど、集団間の軋轢と組み換えは頻繁になり、普段は陰に隠れている先祖が呼び覚まされて利用されるようになる。ベルベル人は、政治、放牧の権利を正当化する場合にはもちろんのこと、戦争に必要なほとんどいかなる同盟を正当化する際にも、自由自在に系譜上の根拠を作り出すことができるという[38]。
  これとは対照的に、書き記された系譜とは、口承系譜のなかのひとつを時間から切り離して固定化し、将来の世代が利用できるようにしたものである。日本で初めて書かれた政治的記録である古事記は「真実ではないこと」が取り除かれて記憶された上で公式の伝統の礎となる文書として書き残されたものである。古事記は神話と天皇家の系譜史である。その目的は間違いなく、多くの口承伝統から選択的に都合のよいものを成文化し、それを不変で神聖な歴史として布告することであった[39]。これによって、異なる解釈をとる物語は異端とみなされただろう。公式な王朝の系譜の創出は、他の地域でも政治的中央集権化の動きと軌を一にしてきた。マカッサルにあった多くの弱小王国のひとつが覇権にまでのぼりつめたのは、戦いに勝利したことがきっかけだったが、その後、彼らは一族の半神半人性の証を書き記し、系譜として公布し、覇権を強化した[40]。古代に書き記されたほとんど系譜は、口承だけでは揺らいでしまう主張を安定化させるために用いられた。古代スコットランドで初めて文書化された系譜を調べたマーガレット・ニーケは、口承による系譜と記述された系譜のあいだの違いを次のように捉えている。

口承社会の伝統のなかでは……どんな主張でも、外部にはその正当性を立証する術がほとんどなかったため、意図的に証拠を粉飾することで、自分たちに都合のよい系譜を簡単に作成できた。特定の個人や家族の権力を維持するには、文書として記録することが必要で、そうすれば系譜はそれまでよりずっと確かになった。そのため、そうした個人の権力と地位に反する主張を捏造しようとすれば、現状の系譜リストとともに、別の系譜を作るための技術も入手する必要があった。[41]

  系譜と同じように、歴史にも取捨選択があるといえるだろう。選択、強調、省略の可能性は無数にある。ありきたりな例だが、米国と英国の関係をとりあげてみよう。実際には、米国は英国と二度戦っているが(独立戦争と一八一二年の米英戦争)、二〇世紀以降の両国は世界大戦と冷戦で同盟国であったため、この事実は一般には強調されない。もし現在、米国が英国の敵であれば、二国の関係史は現在とは違ったかたちで描かれただろうことは想像に難くない。
  このように、記述された歴史と系譜を解釈する際にも、口承による歴史や系譜がそうであるように、選択の余地は多くある。両者の違いは、口承伝統でみられる選択的な忘却と記憶が、書かれた歴史で同じことをするのにくらべて、目立たず自然に感じられることである。口承伝統では新しいものに対する抵抗が少なく、実際にはかなり目新しいことでも、伝統的な語りとしてやすやすと取りこまれ、矛盾を感じさせない。

[37] マレー世界になじみがあればご存知だろうが、同じようなことはハン・トゥアとハン・ジエバットというマレー人兄弟に関する古典的な物語でもみられる。それぞれが現在のマレー国家に対して根本的に異なった政治的な意味あいをもっているハン・トゥアとハン・ジェバットはともにマレー世界の英雄。ハン・トゥアは15世紀のムラカ王国の勇猛な将軍。ハン・トゥアの幼馴染で部下でもあるハン・ジェバットは、スルタンに抵抗してハン・トゥアに殺された)。

[38]焼畑農民も同様に、隣の焼畑民に同盟できる仲間を多くもっていた。これらの関係は長いあいだの農業生活のなかで形作られた。これもある種の影の共同体であり、必要もしくは有用とあらば、同盟関係を新たに結んで、貿易や政治上の利益が追求された。

[39] Vansina, Oral Tradition as History, 58. イゴー・コピトフによれば、アフリカの「書かれた歴史をもたない社会では、多くの集団が王家の血統を引いていると主張できる……アフリカ人はそれを「奴隷はときどき主人になり、主人もときどき奴隷になる」と表現している」。 Igor Kopytoff, The African Frontier: The Reproduction of Traditional African Societies (Bloomington: Indiana University Press, 1987), 47.

[40] William Cummings, Making Blood White: Historical Transformations in Early Modern Makassar (Honolulu: University of Hawai'i Press, 2002).

[41] Margaret R. Nieke, "Literacy and Power: The Introduction and Use of Writing in Early Historic Scotland." 以下に所収。Gledhill, Bender, and Larsen, State and Society, 237-52. 引用は245ページ。

『人類学の歴史と理論』(Alan Barnard[著] 鈴木清史[訳] 明石書店 2005//2000)

原題:History and Theory in Anthropology
著者:Alan Barnard  社会人類学
訳者:鈴木 清史(1956-)
シリーズ:明石ライブラリー;73
NDC:389 民族学文化人類学


人類学の歴史と理論 - 株式会社 明石書店

現代イギリスを代表する社会人類学者が、人類学と民族学・生物学との関係、欧州を代表する人類学者の理論をもとに、進化論の変化、機能主義と構造機能主義、マルクス主義相対主義ポスト構造主義ポストモダニズムへと変化する理論構造を簡明に展開する。

【目次】
日本語版への序文 [003-006]
目次 [007-014]
凡例 [016]


第一章 人類学への展望 017
人類学と民族学 018
「四つの分野」 020
理論と民族誌 022
人類学的パラダイム 026
  「パラダイム」の概念
  通時的、共時的そして相互作用的視点
  社会と文化 
人類学の歴史に関わる展望 033
まとめ 036
  参考文献 036


第二章 先駆者たち 039
自然法と社会契約 040
  一七世紀
  一八世紀
  一八世紀ヨーロッパにおける人間性の定義 044
  野生の子供たち
  オラン・ウータン
  「野蛮人」にまつわる考え方
社会学的、人類学的思考 051
  社会学的伝統
  人類の起源と進化をめぐる二つの説
まとめ 056
  参考文献 057


第三章 進化論の変化 059
生物学と人類学の流れ 060
単系進化論 063
  メーン、ラボック、モルガン
  母系制と父系制
  「トーテミズム」理論
  「原始」宗教をめぐるタイラーとフレイザー
一般進化論 077
  V・ゴードン・チャイルド
  レズリー・A・ホワイト
多系進化論と文化生態学 080
  ジュリアン・H・スチュアード
  ジョージ・ピーター・マードック
ダーウィン主義 083
  社会生物学
  象徴的革命?
  最近の傾向
まとめ 088
  参考文献 089


第四章 伝播主義と文化領域理論 091
伝播主義の先行的学問 092
  伝播主義者登場以前
伝播主義の本元 095
  ドイツ=オーストリアの伝播主義
  英国の伝播主義
  今日の伝播主義?
文化領域と地域研究 
  アメリカ人類学における文化領域研究
  地域比較、国民的伝統そして地域的伝統
まとめ 110
  参考文献 111


第五章 機能主義と構造機能主義 113
進化主義の先行研究者たち 114
デュルケム社会学 117
マリノフスキーの機能主義 120
  機能主義とフィールドワーク  文化に関わる科学的理論?
ラドクリフ=ブラウンの構造機能主義 127
  社会の自然科学
  機能、構造そして構造形体
  意味論的構造か、社会構造か
  トーテミズムの二つの理論
マリノフスキーとラドクリフ=ブラウンの影響 
まとめ 140
  参考文献 141


第六章 行為中心主義、過程論そしてマルクス主義的視点 143
行為中心主義と過程論 145
  社会学的起源
  人類学の起源
  トランザクショナリズム
  マンチェスター学派
マルクス主義的研究 154
  マルクス主義的人類学の主要概念
  ゴドリエの構造主義マルクス主義
  「土地と労働」:メイヤスー
  政治経済とグローバル化理論
三つの論争 161
  フリードマン対リーチ:カチンの政治経済
  ウィルムセン対リー:カラハリの歴史と民族誌
  オベーセーカラ対サーリンズ:キャプテン・クックの死をめぐって
まとめ 170
  参考文献 171


第七章 相対主義から認識科学へ 173
ボアズと文化相対主義の台頭 175
文化とパーソナリティ 178
未開の思考? 183
  レヴィ=ブリュルの反相対主義
  ウォーフの言語相対主義
  ウォーフ批判
  合理性論争
認識科学に向けて 195
  構造的意味論
  認識人類学
  エスノ・サイエンス
まとめ 203
  参考文献 204


第八章 構造主義 言語学から人類学へ 205
ソシュールと構造言語学 206
  ソシュールと「講義」
  主要な四区分
  ソシュール以降
レヴィ=ストロース構造人類学 212
  構造主義、様式、思想
  親族の基本構造
  料理の三角形
  オイディプス神話
構造主義と国ごとの人類学的伝統 227
まとめ 230
  参考文献 230


第九章 ポスト構造主義フェミニストおよび独歩派 233
ポスト構造主義と人類学 235
  デリダアルチュセールそしてラカン 
  ブルデューの実践理論 
  フーコー:知識と権力に関する理論 
人類学とフェミニスト研究 242
  ジェンダー研究からフェミニスト人類学へ
  象徴的構築としてのジェンダー
  社会関係の複合体としてのジェンダー
  エンボディメント
二人の独歩派 251
  構造と葛藤:ベイトソンと国民性
  構造と行動:ダグラスのグリッド・グループの枠組み
まとめ 260
  参考文献 261


第十章 解釈主義とポストモダニズム 263
エヴァンス=プリチャードの解釈的手法 265
ギアツの解釈主義 271
変革期の諸概念 274
  再帰主義
東洋、西洋そしてグローバル化 278
ポストモダン主義とポストモダン人類学 281
  相対主義への回帰
  「文化を書く」
  ポストモダン主義に関わる問題
  混在する手法:妥協なのか
まとめ 293
  参考文献 295


第十一章 まとめ 297
各国の伝統と人類学理論の将来 297
人類学の歴史:再考 302
まとめにかえて 304


訳者あとがき(二〇〇五年一月一一日 鈴木清史) [309-315]
邦訳文献 [316-326]
参考文献 [327-360]
人名索引 [362-363]
事項索引 [364-368]

『民俗学への招待』(宮田登 ちくま新書 1996)

著者:宮田 登[みやた・のぼる](1936-2000)
装幀:間村 俊一[まむら・しゅんいち](1954-) 装丁、俳句
オブジェ撮影(章扉):田島 昭[たじま・あきら]
写真(部扉):林 朋彦[はやし・ともひこ]


筑摩書房 民俗学への招待 / 宮田 登 著


【目次】
目次 [003-005]


第I部 民俗学のまなざし 007

第一章 正月の神々――睦月・如月 009
  民俗学の四大人
  コメの力
  餅搗かぬ家
  福の神
  私年号
  神の舟
  ハレとケ
  晴れ着
  寝宿
  若者組
  エビス神
  ゴジラ
  月の暦
  鬼は内
  悪神を祀る
  災厄払い
  旧暦(陰暦)を想う


第二章 震災とユートピア――弥生・卯月 045
  物言う魚
  震災と新しい学問
  震災と世直し
  非常時の仲間
  風呂仲間
  夫婦の再編
  大地を支える柱
  税のルーツ
  男子の三月節供
  庚申は更新
  聴耳頭巾
  太陽のお伴
  お彼岸
  桜の木
  旅は他火
  旅人とまれびと
  船再考
  東京大地震
  災害ユートピア――鯰絵の詞書から


第三章 富士信仰――皐月・水無月 087
  移風の兆候
  弥勒
  噂
  うそ
  日本のメシア
  毒の発生
  山岳修行者
  迷信
  富士塚
  上九一色村
  八十八
  茶と日本人
  生まれ清まり
  白山
  ハヤリ正月
  炎暑の雪
  富士見


第四章 幽霊と妖怪――文月・葉月 121
  盆と霊魂
  化物問答
  稲生物怪録
  タマオクリ
  浮遊する霊魂
  幽霊と妖怪
  古道具の霊
  鳥山石燕
  水木しげる
  ゲゲゲの鬼太郎
  学校の怪談
  いじめ


第五章 都市のフォークロア――長月・神無月 145
  性文化論
  山の神と性
  陰と陽の和合
  富士講の性
  胴上げ
  都市と農村
  都市の増殖
  都市のフォークロア
  孤独な老人
  七不思議
  韓国の都市伝説
  ふるさと再興
  狸の妖怪学
  親指を隠す
  町おこしのイベント
  地域博物館


第六章 民俗学と世相史――霜月・師走 177
  師走
  カワッペリ餅
  ネズミの年
  富士山
  パソコンのフォークロア
  クリスマス・ツリー
  延喜式博物館
  昨日の夜
  鐘の音
  橋の下から
  二つのミンゾク学
  世相の根っこ


第II部 日本文化へのアプローチ 203

一、柳田民俗学の視点 204

二、南方熊楠の視点 209

三、折口民俗学の視点 212

四、日本文化の多元論的観点 214


あとがき(一九九六年二月 宮田 登) [218-219]
事項索引 [220-222]





【関連記事】
・黎明期の民俗学民族学、人類学など含む)について記述のある本。


柳田國男 経世済民の学――経済・倫理・教育』(藤井隆名古屋大学出版会 1995)
https://contents-memo.hatenablog.com/entry/20131013/1500546506


『帝国日本と人類学者―― 一八八四‐一九五二年』(坂野徹 勁草書房 2005)
https://contents-memo.hatenablog.com/entry/20140205/1491849519


『妖怪の理 妖怪の檻』(京極夏彦 角川書店 2007)
https://contents-memo.hatenablog.com/entry/20120609/1339167600


柳田国男――知と社会構想の全貌』(川田稔 ちくま新書 2016)
https://contents-memo.hatenablog.com/entry/20170101/1482407134





【抜き書き】
・初出情報(「あとがき」より)。

  本書第1部は、一九九五年一月より十二月まで隔月に『読売新聞』夕刊の文化欄にのせた「民俗学のまなざし」という記事にもとづいている。当初はこれまでの民俗的知識を紹介するつもりだったのが、阪神大震災オウム真理教などの驚天動地の大事件が連発し、そうした世相に直面して生じたイメージを重視することにした。なお同時期に雑誌『うえの』に連載していた「江戸東京歳時記」四篇(「東京大地震」一九九五年三月号、「鯰絵再考」同年十月号、「災害ユートピア」同年十一月号、「富士見」同年十二月号)と『経済往来』一九九五年三月号所収の随筆一篇(「旧暦(陰暦)を想う」)も収載した。第II部は岩波講座10『転換期における人間』(一九八九年八月十一日)所収の「文化研究の方法」の一部を改稿したものである。

・伝統的な共同体における“若者組”について。

若者組に入るのは、15、6歳であり、若者組への参加をもって一人前の男とみなされた。これが元服であり、成人式に相当している。伊豆半島の膨大な若者組の史料が『静岡県史』民俗編に収められているが、それらをみると、きわめて厳しい生活律が定められていることが分かる。掟を破れば当然制裁をうける。自主的な集団であったわけで、家長からは独立した若者の世界をもっており、かれらは家の仕事と村の仕事とを両立させ、年長者によって統率されていた。仲間同士の階級秩序もきちんとしており、一致団結、天災人災に備えた。夜警、消防、難破船の救助活動、村祭り、祝儀不祝儀の手伝いなどあり、また漁村の場合共同でする網漁には先頭に立って働いている。その一方で婚姻の媒介も行っていたのである。寝宿のある地域では、宿親が仲人をつとめて、仲間の友だちが中心となる結婚式だった

/
「第二章 震災とユートピア――弥生・卯月」から。

災害がもたらすなんともいえない不可思議さの1つに、明らかに災害は非常な喪失であるにもかかわらず、時に至福感に近い快い感覚をもたらすという点がある。これはしばしば災害ユートピアと呼ばれる」と社会学者マイケル・バークンは指摘している。生存者と救助に来た局外者との間に善意にあふれる人間関係が生まれ、それが一種の「至福感」を与えるのだろうか。

……Michael Barkun(1938-)のことを私は政治学者にカテゴライズしていた。



・第二部。

柳田自身の方法が結実した成果の1つに『先祖の話』がある。柳田は日本文化あるいは日本人の個性、特殊性をこの書物で力説した。具体的には祖先崇拝のカテゴリーにおける祖霊信仰であり、これはごく普通の農民生活の中で、農家が家ごとに祀っている家の神の伝承の実態を究明して、結局同族の先祖の霊を代々祀るという本来の祖霊信仰を摘出したのである

『みんなの民俗学――ヴァナキュラーってなんだ?』(島村恭則 平凡社新書 2020)

著者:島村 恭則しまむら・たかのり](1967-) 民俗学
NDC:380.1 民俗学


みんなの民俗学 - 平凡社


【目次】
目次 [003-008]


序章 ヴァナキュラーとは〈俗〉である 009
1 私と民俗学 009
  お祈り癖
  ごみ収集車の調査
  死が怖い
  民俗学と出会う
  沖縄に行く
  韓国で暮らす
  日本での研究
2 民俗学とはどのような学問か? 016
  民俗学はドイツで生まれた
  対覇権主義の学問
  日本の民俗学
3 ヴァナキュラー 030
  ヴァナキュラーとは?
  フォークロアからヴァナキュラーへ
  民俗学は現代学


  第1部 身近なヴァナキュラー 036

第1章 知られざる「家庭の中のヴァナキュラー」 040
  お母さんが創り出した化け物
  気仙沼の海神様
  わが家だけのルール
  靴のおまじない


第2章 キャンパスのヴァナキュラー 055
  関学七不思議
  キャンパス用語
  運動部の曲がり角の挨拶
  「こんにちはです」
  目覚ましは「ごみの歌」


第3章 働く人たちのヴァナキュラー 073
1 消防士のヴァナキュラー 073
  アメリカの消防署
  消防うどん
  消防めし
2 トラックドライバーのヴァナキュラー 082
  トラックドライバーの挨拶
  CB無線での会話
3 鉄道民俗学 088
  駅の池庭
  段四郎大明神
  特急「はと」と青葉荘
  切符売りおばさん
4 水道マンのヴァナキュラー 099
5 裁判官にもあるヴァナキュラー 104
  裁判官の口頭伝承
  「伝承」と民俗学
6 OLの抵抗行為 108

【コラム①】ヴァナキュラーな時間 112


  第2部 ローカルとグローバル 117

第4章 喫茶店モーニング習慣の謎 118
1 日本各地のモーニング 118
  愛知県豊橋市
  名古屋市
  愛知県一宮市
  大阪府東大阪市
  大阪市生野区
  大阪市西区
  兵庫県尼崎市
  神戸市長田区
  広島市中区
  愛媛県松山市

2 アジアの「モーニング」 143
  香港は飲茶
  ベトナムはフォーやソイ
  プノンペンはかゆ
  バンコクはいつも外食
  シンガポールのセルフカフェ

3 モーニングをめぐる考察 153
  なぜ行われるのか?
  日本での分布
  モーニングの歴史
  アジアの中のモーニング
  「ヴァナキュラーな公共圏」 としてのモーニング


第5章 B級グルメはどこから来たか? 164
  引揚者の円盤餃子
  じゃじゃ麵
  別府冷麵
  遠野のジンギスカン
  芦別のガタタン
  室蘭のやきとり
  みそ焼きうどん
  モーレツ紅茶

【コラム②】なぜ大晦日の夜に「おせち料理」を食べるのか? 189


第6章 水の上で暮らす人びと 192
  香港の水上レストラン
  家船の暮らし
  行商船と運搬船
  家船の陸上がり
  艀乗りからバスの運転手へ
  かき船
  かき船の陸上がり
  ロンドンの運河と水上生活者


第7章 宗教的ヴァナキュラー 216
1 パワーストーンとパワースポット 217
  パワーストーンを信じるか?
  個人的パワースポット
2 フォークロレスクとオステンション 227
  ぼんぼり祭り
  肘神様
  アマビエ・ブーム
3 グローバル・ヴァナキュラーとしてのイナリ信仰 241

【コラム③】現代の「座敷わらし」 246
【コラム④】初詣で並ぶ必要はあるのか? 251


おわりに 255
  次に何を読んだらよいか
  民俗学を大学・大学院で学ぶには
  地域で民俗学を学びたい場合


注 [263-271]





【抜き書き】

民俗学の“対啓蒙主義的、対覇権主義的、対普遍主義的、対主流的、対中心的な学問”さについて(pp. 19-23)。そういえば、文化人類学の入門書でも、"文化人類学における相対主義の意義"を強調していた。

  ここで注目したいのは、右にあげた民俗学がさかんな国や地域は、どちらかというと、大国よりは小国である。また大きな国であっても、西欧との関係性の中で、自らの文化的アイデンティティを確立する必要性を強く認識した国、あるいは大国の中でも非主流的な位置にある地域だという点だ。
  こうした国や地域の人びとは、民俗学の研究と普及を通して、自分たちの暮らしのあり方を内省し、その上で自分たちの生き方を構築することで、自分たちを取り巻く大きな存在、覇権(強大な支配的権力)、「普遍」や「主流」、「中心」とされるものに飲み込まれてしまうのを回避しようとしてきたといえる。
  このようにいうと、ドイツやアメリカ合衆国は大国ではないかと反論が返ってくるが、アメリカはもともとイギリスの植民地から出発した新興国で、またドイツも後発近代化国家であった。つまり、いまから見れば覇権を持った大国だが、その形成史の内側には、非主流性や、新興国ならではのアイデンティティを希求する意識が存在していたのである。
  また、フランスやイギリスでも民俗学の研究がはじまったが、とくにさかんに行われたのは、フランスの中でも周辺部に位置するブルターニュ地方であり、イギリスの場合は、スコットランドウェールズであった。
  さて、ここに見られるように、民俗学は、覇権、普遍、主流、中心といったものへの人びとの違和感とともに成長してきた。民俗学が持つこうした特徴は、ヘルダーの場合に典型的に見られた「対啓蒙主義」に加え、「対覇権主義」という言葉で表せる。民俗学は、覇権主義を相対化し、批判する姿勢を強く持った学問である。強い立場にあるものや、自らが「主流」「中心」の立場にあると信じ、自分たちの論理を普遍的だとして押しつけてくるものに対し、それとは異なる位相から、それらを相対化したり、超克したりする知見を生み出そうとするところに、民俗学の最大の特徴があるのだ。


◆日本の民俗学 
  民俗学が、対啓蒙主義的、対覇権主義的、対普遍主義的、対主流的、対中心的な学問であることは、日本の民俗学でも同様である。日本の民俗学者たちは、啓蒙主義的世界観では切り捨てられ、覇権主義的世界観では支配の対象とされる、非主流、非中心の世界こそが民俗学の対象であると考え、これに正面から向き合ってきた。
  柳田國男の初期の作品に、一九一二(明治四三)年に刊行された『遠野物語』がある。この本は、岩手県遠野地方で伝承されてきたさまざまな話、多くは不思議な話を収録したものだが、その冒頭には次の言葉が書かれている。

願はくは之〔これ〕を語りて平地人を戦慄せしめよ

  ここでいう「之」とは、岩手県遠野地方の人びとが語り伝えてきた物語の世界であり、「平地人」とは、啓蒙主義的思考のもとで近代化に邁進する都市住民のことだといってよい。現代語訳すれば「この物語を語って平地の人を戦慄させることを願っている」となるこの一文からわかることは、柳田が、啓蒙主義的世界観では非合理的なものとして切り捨てられてしまう世界の存在を、本書によって、「平地人」に突きつけようとしたことだ。啓蒙主義的世界観に対する、対啓蒙主義からの挑戦だといえる。


民俗学の来し方(pp. 29-30)

  民俗学の持つ対啓蒙主義的、対覇権主義的、対普遍主義的、対主流的、対中心的志向は、日本の民俗学の基底部に確実に存在しているのである。
  さて、ここで「民俗学とは何か」をまとめておこう。


  民俗学は、一八世紀のフランスを中心とする啓蒙主義や、一九世紀初頭にヨーロッパ支配をめざしたナポレオンの覇権主義に対抗するかたちで、ドイツのヘルダー、グリム兄弟によって土台がつくられた。そしてその後、世界各地に拡散し、それぞれの地域において独自に発展した学問である。
  啓蒙主義的合理性や覇権・普遍・主流・中心とされる社会的位相〉とは異なる次元で展開する人間の生を、啓蒙主義的合理性や覇権・普遍・主流・中心とされる社会的位相〉と、それらとは異なる次元〉との間の関係性も含めて内在的に理解する。
  これにより、啓蒙主義的合理性や覇権・普遍・主流・中心とされる社会的位相〉の側の基準によって形成された知識体系を相対化し、超克する知見を生み出そうとする学問である。

 



・序章第3節「ヴァナキュラー」から、新しい述語としての“vernacular” の概要を述べた部分(pp. 30-32)。この後には“folklore”との対比もされている。

民俗学の持つ、対覇権主義的、対啓蒙主義的、対普遍主義的、対主流的、対中心的な観点を集約的に表現したものが、〈俗〉なのである。そして、この〈俗〉は、観点であると同時に、この観点によって切り取られた研究対象のことをも表している。〔……〕ここであらためて〈俗〉を定義すると、以下のようになる。すなわち、〈俗〉とは、

① 支配的権力になじまないもの
啓蒙主義的な合理性では必ずしも割り切れないもの
③ 「普遍」「主流」「中心」とされる立場にはなじまないもの
④ (支配的権力、啓蒙主義的合理性、普遍主義、主流・中心意識を成立基盤として構築される)公式的な制度からは距離があるもの

のいずれか、もしくはその組み合わせのことである。
  さて、この〈俗〉を、現代のアメリ民俗学では、ヴァナキュラー(vernacular)と呼んでいる。ヴァナキュラーとは、言語学をはじめとする人文社会科学で、「権威ある正統的な言語に対する俗語」を意味するものとして用いられてきた言葉である。
  たとえば、著名な社会言語学者ウィリアム・ラボフは、アフリカ系アメリカ人が話す英語を、「ブラック・イングリッシュ・ヴァナキュラー」と名付け、「正統的な英語」とどのように異なるのかを研究した(William Labov, Language in the Inner City: Studies in Black English Vernacular, University of Pennsylvania Press, 1972)。
  あるいは、政治学者のベネディクト・アンダーソンは、ある国の「国語」が、その国の「正統的な言語」として体系化される以前は、ヴァナキュラー=「俗語」という状態にあり、文法や辞典の整備をはじめとする国家による制度化を経て、「国語」になってゆく過程を明らかにした(ベネディクト・アンダーソン想像の共同体――ナショナリズムの起源と流行白石隆・白石さや訳、リブロポート、一九八七年)。
  このようなヴァナキュラー=俗語という認識は、この語が「権威ある正統的なラテン語」に対する「崩れたラテン語」の意味で長く使われてきたことに由来する。〔……〕一般人が使った「俗語」としての「俗ラテン語」がヴァナキュラーである[注 vernacularは、さらに、「土着的(native, domestic, indigenous)」 を意味する vernaculus、「地元で生まれた奴隷(homeborn slave)」を意味するverna にまで語源を遡ることができる。]。
  第二次世界大戦後、〔……〕ヴァナキュラーという言葉は、建築の世界でも用いられるようになった〔……〕。さらにその後は、言語、建築のみならず、芸能、工芸、食、音楽などさまざまな対象を表す語としても用いられるようになっていった。また並行して、この語の持つ学問的意義の理論的な洞察も深められていく。二〇〇〇年代に入ると、ヴァナキュラーは、アメリ民俗学における最重要のキーワードにまで成長した。


p.38 以下の約600字の文章を要約すると、「一般の人々が民俗学と「民俗」という語に対して誤解を既に抱いているので、一般向けの本書では「民俗」という語を使わずに民俗の内実について書く。この工夫によって、読者をしてさきの誤解に気づかせることができると著者は思っている」。

  本書は、この誤解を払拭すべく、「現代学」としての民俗学、すなわち「現代民俗学」とはいかなるものか、その一端を紹介する。そしてこの場合〔……〕現代民俗学の研究対象を、「ヴァナキュラー」という英語由来の言葉で表現する。
  もっとも、このようにいうと、なぜ、日本語の「民俗」の語ではなく、英語由来の「ヴァナキュラー」の語を使うのか、疑問に思う方もおられるだろう。
  私は、民俗学のキーワードである「民俗」という言葉を否定して、ヴァナキュラーという語に置き換えようと思っているわけではない〔……〕。「民俗」とは「人びと(〈民〉)の〈俗〉」のことであり、「人びと(〈民〉)の〈ヴァナキュラー〉」と同義であるからだ。
  ただ、世の中の一部で、民俗学と同様に「民俗」も、何となく「古くさい」過去志向の概念だと誤解されているきらいがないわけではない。そのため、このような誤解に対して警鐘を鳴らし、誤解なき「民俗」概念の存在に人びとの意識を向けさせるための方便として、あえて、本書では「ヴァナキュラー」という目新しい語を用いるのである。
  ヴァナキュラーの語を使ったからといって、「人びと(〈民〉)の〈俗〉」としての(誤解なき)「民俗」の語を消し去ろうとしているわけではない。また、「民俗学」という学問名称を、何か別の名称に替える必要があるなどと考えているわけでもないのである。


・日本のスピ・ブーム(pp. 226-227)

  「パワースポット」という考え方の普及過程は、さきに見たパワーストーンの場合とよく似ている。パワースポットをめぐる観念や実践は、一九八〇年代から見られたが、当時は、ニューエイジ関係者の間での浸透であった。それに対して、二〇〇〇年代に入ってからは、スピリチュアル・ブームの展開の中で、世の中に広がっていったのである(堀江宗正『ポップ・スピリチュアリティ――メディア化された宗教性岩波書店、二〇一九年)。
  もっとも、パワースポットについても、伝統的な宗教的ヴァナキュラーとの類似性を指摘できる。民俗学者の野本寛一は、文字どおり全国津々浦々を歩き回った「現代の宮本常一」といってよい研究者だが、彼の著作の一つに『神と自然の景観論――信仰環境を読む』(講談社、二〇〇六年)という本がある。
  この本で野本は、長年の民俗調査で蓄積した事例の中から、現地の人びとが神を感じ、神聖感を抱いてきた場所を取り上げて分析を行い、その結果、岬、浜、洞窟、渕、滝、池、山、峠、森、川中島、島、温泉、磐座など、一定の特徴ある地形の場所が、いくつかの諸条件と連動した場合、そこが「聖地」とされていくことを論証している。
  野本が取り上げている膨大な「聖地」の事例を見ていくと、「パワースポット」とは、日本に社らす人びとが長い年月を通して伝承してきた「聖地」信仰の一形にすぎないともっとも、パワースポットの場合には、メディアとマーケットの強力な介在がある。そして、パワースポットの存在を認めるか否かはもちろん、何をパワースポットとするのかも、個人による差が大きい。このことは、パワーストーンの箇所ですでに指摘したことと一致する。現代の宗教的ヴァナキュラーを分析する上で、メディア、マーケット、「個人による多様性」の視点は欠かせない。

『文化人類学のエッセンス――世界をみる/変える』(春日直樹,竹沢尚一郎[編] 有斐閣アルマ 2021)

編著者:春日 直樹
編著者:竹沢 尚一郎
著者:森田 良成
著者:金谷 美和
著者:北中 淳子
著者:浜田 明範
著者:深海 菊絵
著者:兼松 芽永
著者:奥野 克巳
著者:松田 素二
著者:中川 理
著者:西 真如
著者:久保 明教
著者:小川 さやか


文化人類学のエッセンス | 有斐閣



【目次】
序(2020年10月 春日直樹 竹沢尚一郎) [i-viii]
執筆者紹介 [ix-xii]
目次 [xiii-xviii]


  第I部 傷つきやすいものとしての人間 

第1章 貧困 003
1 貧困への恐怖 004
  「いつか自分もこうなるかも」
  「きっと自分はこうはならない」
2 2つの貧困 
  どちらがまだ「まし」なのか
  貧困の「違い」
3 お金と人生 
  「ただお金だけがない」
  貧困と社会的排除
4 貧困の多様さと,そこからの自由のあり方 018


第2章 自然災害――被災地における手仕事支援の意義 023
1 自然災害の被災地をフィールドにする 024
  インドの被災地
  手仕事を介した支援
  手仕事は生活を支える仕事になった
2 日本が被災地になった 030
  日本でも手仕事を介した支援がひろがった
  仮設住宅の集会所で手仕事をする
  インドとは異なる点
3 経済的自立と支援の意味 035
  ささやかな収入でも意味がある
  手仕事によって,辛い時をやりすごすことができた


第3章 うつ 043
1 新健康主義:心のスクリーニング 044
2 心の病はどうとらえられてきたか 046
  伝統的災厄論
  20 世紀の日本におけるうつ病
  バイオロジカルな災厄論:グローバル化する21世紀のうつ
  日本のうつ病
3 心と脳の監視社会? 055


第4章 感染症 061
1 数字と人生 062
  数百万人のうちの1人
  感染症とともに生きる人々の苦しみと力
  環境の一部としての数字
2 多様なバイオソーシャリティ 069
  市民であることの前提としての生物学的なもの
  政策のなかの生物学的なもの
  臨床と疫学
  バイオソーシャルな世界を生きる


第5章 性愛――他者と向き合う 079
1 他者との遭遇 
  私の「愛」とあなたの「愛」
  愛する人は他者
  モノガミー
  「奇妙」な関係
  ポリアモリーとは?
  ポリアモリーに至る背景
  意識的な関係構築:感情管理を中心に
2 「厄介な」他者 
  「夢中になる」ことの両義性
  性愛における暴力
  愛撫
3 他者への接近 093
  性愛と他者
  他者と向き合う


  第II部 文化批判としての人類学

第6章 アート 099
1 開かれゆくアートとイメージの拡張 100
  なにが「アート」にするのか?
  開かれていくアート
  加速するイメージの拡張
2 フィクションと現実の相互生成 105
  社会モデルとしてのアート?
  新しいお祭りをつくる
  還るところ
  アートの道具化
  不可避な「距離」がもたらすもの   
3 複数の現実を照らし返すイメージ 113
  100年を架ける大凧
  消えゆくイメージと現実の複数性


第8章 食と農 119
1 なぜ日本の有機農業は少ないのか 120
  2種類の食パン
  農薬の危険
  有機農業教室の教え
  有機農業の割合
  農業の多面的機能
2 農業による環境保全 125
  豊かな農業を維持する仕組み
  農業者の誇り
  コウノトリを育む農業
  アフリカの農業と「緑の革命」の功罪
3 グルメブームとスローフード 132
  マクドナルドとスローフード
  グルメブームの陰で
  食べることは私たちの内なる自然を再確認すること


第9章 自分 137
1 誰もが自分ネイティブ 138
2 自閉スペクトラム症と診断される人々 139
  ずっと「普通」になりたかった
  欠陥か才能か
  自他の思考と感情
  生き方の模索
3 霊とともに生きる人々 145
  生者の魂,死後の霊
  霊力をそなえた自分
  霊力への配慮
4 2つの人々が共有するもの 149
  彼らにはあり,私たちにはない
  気持ちも感情も
5 知覚できないもの 152


第10章 政治 157
1 集団の意思を決定する方法 158
  政治とは何だろう
  他者(違い)と向き合う作法
  多数決:意思決定の常識
  全員一致:もう1つの方法
2 アフリカ社会の合意形成の知恵 163
  雄弁術
  パラヴァー:「全員一致」の知恵
3 社会の分裂と破局を乗り越える方法 
  破局的対立:ルワンダのジェノサイド
  ジェノサイド問題の解決法
  ガチャチャとパラヴァー
4 「文化人類学する」ことの醍醐味 173


  第III部 人類学が構想する未来 

第11章 自由 179
1 自由のとらえ方 180
  とらえどころのない自由
  解放としての自由 181
  結びつきがつくる自由
2 忘却と自由 185
  結びつきの忘却
  忘れないなら不自由?
3 もう1つの自由 189
  遠くの自由
  ケアと自由
4 身近な自由をとらえなおす 195


第12章 分配と価値 199
1 権原とシチズンシップ 200
  治療のシチズンシップ
  正当な分け前
  豊かさが雇用に結びつかない世界
2 新しい分配の政治 206
  就労や家族制と切り離された給付
  人々を選別する装置
  ベーシック・インカムの可能性
3 家父長制が終わった世界を生きる 210
  家父長制の揺らぎ
  父親の不在
  ケアの関係から疎外されていること
  人はなんで生きるか


第13章 SNS 219
1 それは何か? 220
  仮想空間の解体
2 仮想と現実 
  変容と矛盾
  矛盾の乗り越え
3 記号と情報 225
  人称と非人称
  誰のものかわからない発話 228
4  半人称的発話 230
  コンテクストの分裂
  SNS
  多様性と標準化


第14章 エスノグラフィ 239
1 新たなエスノグラフィの兆し 240
  新型コロナ禍のなかで
  リモート・エスノグラフィの兆し
2 エスノグラフィをめぐる問いとICT 246
  『文化を書く』が投げかけた問いとICT
  方法としてのエスノグラフィにおけるコラボレーション
3 ICT が切り開く新たなエスノグラフィ 251
  ハイパーメディア・エスノグラフィ
  プロトタイプ駆動


引用文献一覧 [259-265]
事項索引 [266-271]
人名索引 [272-273]


第7章 人間と動物(MOSA/奥野克巳) [1-16]





【抜き書き】
・本書のねらい(一般的な概説書とは異なっている)。
 また本書における文化人類学の基本的な想定4つを最初に示している。抜粋するついでにメモがてら、自分なりの言葉に変換してみる。

 序

 この本は大学の 1,2年生や専門課程の初年度ではじめて文化人類学を学ぶ学生を対象としている。〔……〕とはいっても,本書がめざしているのは,文化人類学の基礎的な考え方を伝えることではない。この学問の最新の成果を知らせることであり,その見方を学ぶことで世界がいかに違ってみえてくるかを示すことである。〔……〕
  本書は以下の4つの基本的な認識にもとづいて構成されている。

・一。グローバリゼーションとユビキタス社会の到来により変わるフィールド調査。

1. 世界中でグローバル化が猛烈な勢いで進行しており,日本でも世界の他のどの地域でも急速な変化が同時並行的に生じている

 本書を編集するふたりがそれぞれ最初の現地調査に行ったのは,1980年代のことである。インターネットや携帯電話などない時代だったから,日本に住む家族や友人とのやりとりは,フィールドの村に週に1度来る郵便に頼るしかなかった。〔……〕
  ところが今では,〔……〕過去には手紙でしか連絡のできなかった人類学者も,帰国後に資料をまとめる段階で疑問があればフィールドの友人に連絡して確認することができるようになっている。文化人類学という学問の最大の特徴とされてきたフィールドワークのあり方が,これまでとは大きく変わってきているのである。

・二。フィールドワークの意義は残る。

2. それでも人類学の核心部分は相変わらず,他の人々と直接に出会う経験としてのフィールドワークであり続ける

  テクノロジーの発達によってフィールドワークのあり方が大きく変わったからといって,私たちは文化人類学という学問にとってそれが不要になったとは思わない。
 〔……〕判断や理解のための枠組みは,地域や集団や時代によって共通する部分と違う部分とがある。とすれば,自分たちと異なる枠組みを理解するには,私たちが今まで身につけた殻をいったん脱ぎ捨てて,彼らのものの考え方や判断基準を学んでいくしかない。〔……〕人類学者は無知の自分をさらけ出しながら相手にぶつかり,彼らの考え方や生き方を学んでいかなくてはならないのであり,本書はそのようにして得られた理解にもとづいて書かれたものである。
  もっとも,理想とする調査がいつもできるわけではない。〔……〕しかしながら,どのような事態になろうとも,人類学者は人々の生き方や考え方にできるかぎり近づこうとし,与えられた環境下での最善の方法を人々とともにみいだそうと努めるだろう。

・三。他者への関心が、文化人類学者を動かしている。

3. フィールドワークの根底にあるのは他者と直接的に向かい合うことであり,文化人類学では困難や苦しみを抱えながら生きている人々への関心が大きな位置を占めるようになっている

  文化人類学は書物を通じてではなく,人々と直接に相対することで彼らについて学ぼうとする学問だから、その彼らのあり方が変化するにつれて,研究関心や方法も変わらざるをえない。
  〔……〕1980年代まで一般的であったこうしたフィールドワークのあり方――人類学者が遠く離れた調査地で,異なる生活様式を学んでいくという様相――は21世紀の今日ではすっかり変わってしまった。〔……〕1992年に難民研究に焦点を当てた人類学者のジョン・デービスが,従来の安定的な社会構造や文化形態の研究に加えて,「混乱と絶望に満ちた人類学」,すなわち「苦難の人類学」の必要性を訴えたのは(Davis 1992),こうした経緯を反映したものであった。
  ところがその20年後,工場閉鎖,失業,短期雇用,疾病,戦争,災害といった,人々が直面する苦難をテーマにした「暗い人類学」は,著名な人類学者シェリー・オートナーが指摘するように人類学の一大テーマになっていた (Ortner 2016)。本書の第1部の各章が,貧困,災害,うつ,病気,性的マイノリティといった困難な状況のなかで生きている人々を扱っているのは,こうした近年の傾向を反映しているのである。〔……〕今日の人類学は文化的な差異の理解だけでなく,「傷つきやすい存在としての人間の共通の性質」(Robbins 2013:450)に強い関心を向けているのである。

・四。社会問題を考えるとき、文化の次元に着目する。

4. 世界各地で生じている困難の多くは,社会経済的なだけでなく文化的な問題であり,文化人類学は人々がそれらの問題にどのように対処しているかを知ることで,困難の克服に貢献しようと努める

  文化人類学は困難や苦難を抱える人々を,主観と客観との往復運動のなかで理解しようとするだけでなく,そうした課題を生み出した世界のあり方を問い直そうとする。そのとき文化人類学は,社会や経済を私たちの外部にある完全に客観的な制度ではなく,つねに私たちが意味を与えることによって機能する主観性を帯びた実在としてとらえる点に特徴がある(このような観点を私たちは文化論的な観点と呼んでいる)。〔……〕
  本書の第II部は,こうした観点に立つ章によって構成されている。ここでとりあげるのは,アート,人間と動物,食と農,自分,政治といった私たちに身近なテーマだが,実際に論じているのは社会経済的な側面だけでなく,人々の認識や価値判断までを含む複雑な現象であることがわかるだろう。そして,私たちがあたりまえとしている見方や考え方が,じつは世界にたくさんある見方や考え方の1つでしかないことが理解できるようになるだろう。
  〔……〕世界には多様な文化,多様な意味の体系が存在するのだから,困難や苦難を乗り越えようとする試みも多様なはずである。そうした人々の試みのなかには,明日を切り開いていく可能性をもつものもあるのではないか。最後の第IⅡ部では,この視点からさまざまなテーマを議論する。
  第III部を構成するのは,自由,分配と価値,SNSエスノグラフィなどの章である。〔……〕具体的な事例から出発しつつ,そこから可能な未来を想定することは,私たちの生きている現在を批判的に見直すために有効だろう。それもまた,人類学のつとめであり可能性なのである

  この本のなかで提示されているさまざまな事例と解釈,構想は、あなたがこれまで親しんできたものとは異なるかもしれない。しかし,それこそ私たちの望むところである。新しい姿で登場する世界の諸問題に出会うことで,あなた方自身のものの見方や判断のあり方が少しでも変わるように,と私たちは願っている。