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『ヒトの本性――なぜ殺し、なぜ助け合うのか』(川合伸幸 講談社現代新書 2015)

著者:川合 伸幸[かわい・のぶゆき] (1966-) 比較認知科学
 

【目次】
はじめに 003
  ヒトだけが仲間を殺す
  ヒトは獰猛なサルなのか?
  攻撃性が殺人に直結するという誤解
  最古の殺人
  ヒトだけが仲間の気持ちをわかる
  援助はヒトの本能?
  ヒトを知るための比較認知科学の視点

目次 [015-019]


第一章 テレビ・ビデオゲームと暴力 021
  テレビ放送開始時からあった懸念
  ビデオ収集マニアが起こした猟奇的連続殺人事件
  バンデューラの模倣学習実験の反響
  まねるためには学習経験が必要
  厳しく罰するほど、子どもは攻撃的になる
  赤ちゃんのころに家庭内暴力を目撃した子ども
  怒鳴られるのは、叩かれることに匹敵する
  「正の罰」「負の罰」
  テレビをよく観る人は暴力的か?
  テレビが先か? 性格が先か?
  暴力映像を多く観た子どもの追跡調査
  暴力シーンの描写の仕方が鍵
  「セサミストリート」と語彙能力
  暴力的なビデオゲームは人を攻撃的にさせるか?
  他人への援助行動の減少
  脳の前帯状皮質への影響
  もっとも少なかった若者の暴力事件
  ビデオゲームの功罪


第ニ章 暴力を生み出す脳と遺伝子 049
  衝動性と前頭葉仮説
  前頭葉と暴力犯罪
  衝動を抑える脳の領域
  ヒトの選択はそれほど「合理的」ではない
  「何となくよくない感じ」
  性格は遺伝するか
  性格遺伝子とは
  幸福の神経伝達物質セロトニン
  それは遺伝子のせい?
  闘争遺伝子
  非科学的な主張
  くりかえされる「闘争遺伝子」説


第三章 性と攻撃性――男性の暴力、女性の仲間はずれ 073
  生物的な要因か社会的な規範か
  男と女の身体のはじまり
  アクセル役とブレーキ役
  セロトニン濃度が低いと無謀な行動をする
  攻撃中枢はどこにあるか
  無鉄砲さは三つのバランスで決まる
  男と女の心を作る脳領域
  攻撃と愛情はコインの裏表
  美人を見ると好戦的になる?
  女性のほうが仲間はずれをしやすい理由
  チンパンジーの仲間はずれ
  自分が排除されてしまうのを嫌う女性
  集団の内か外か


第四章 ヒトはなぜ殺し合って絶滅しなかったのか 099
  いつ人殺しを抑制するようになったのか
  過密状態がネズミの暴力を生む
  ヒトでは過密度と殺人件数は関連しない
  過密状態のサルは気を使う
  エレベーター効果
  自己家畜化仮説
  シベリアキツネの家畜化実験
  気性の荒い人は排除されていった
  「もっとも血が流された世紀」?
  減少する暴力や殺人事件
  暴力を抑制する理性
  コスタリカと日本の平和と繁栄
  世界は平和になりつつある


第五章 「身内」と「よそ者」 125
  仲間の発生
  なわばり争い が怒りの起源か
  「我とそれ」、「我と汝」
  あくびと共感
  「身内」と「よそ者」
  寄付をする理由
  ヒトは多数派に同調する
  ネットでの炎上といじめのメカニズム
  同調したときの脳の活動
  仲間はずれと心の痛み
  わずか二分間の仲間はずれとPTSD
  いじめの長期的な影響
  ネグレクトが脳や行動に与える影響
  愛着が社会性を育てる
  「LINEはずし」の深刻さ
  悪名高いスタンフォード監獄実験
  アブグレイブ虐待事件
  集団意識と正義
  個人に突出した力を与えないシステム
  ミルグラム服従実験の残虐さ
  他人を傷つけると心が痛む


第六章 他人を援助するヒト 167
  助け合うヒト
  手助けをする赤ちゃん
  他人を援助するのは生まれつき
  ほうびをあげると、むしろ勉強意欲は下がる
  チンパンジーも自発的に他者を援助する
  赤ちゃんは「正義の味方」を好む
  社会性の維持に欠かせない「互恵性
  サルも公平な人を好む
  協力する心
  お金を他人にあげると幸せになる
  「お金をどう使うか」
  与えることによる喜びは世界共通
  お金をあげても、もらっても脳は同じ反応をする
  お金を払ってまでウサギにエサをあげたい理由
  協力することと分配することの進化
  分配に寛容なヒト
  独占的な個体は罰せられる
  協力と期待


第七章 ヒトとは 191
  ほかの動物には見られない協力行動
  評判と仲間はずれが協力の原動力
  他人を仲間はずれにすると、自分も傷つく
  あなたの痛みはわたしの痛み
  脳は「不公正な者への罰」に快感をおぼえる
  しっぺ返しの連鎖を止めるのは女性?
  「公平性」と「同情・共感」
  助けようとする心
  ヒトは攻撃的で争いを好む生き物ではない
  ヒトとは


参考文献 [212]
あとがき(二〇一五年一〇月 川合伸幸) [213-216]




【関連記事】
『攻撃――悪の自然誌[新装版]』(Konrad Lorenz[著] 日高敏隆, 久保和彦[訳] みすず書房 1985//1970//1963)
https://contents-memo.hatenablog.com/entry/20110217/1297868400

『人類の自己家畜化と現代』(尾本恵市[編] 人文書院 2002)
https://contents-memo.hatenablog.com/entry/20090725/1248506924

『暴力の人類史』(Steven Pinker[著] 幾島幸子,塩原通緒[訳] 青土社 2015//2011)
https://contents-memo.hatenablog.com/entry/20170401/1490064062


『暴力の解剖学――神経犯罪学への招待』(Adrian Raine[著] 高橋洋[訳] 紀伊國屋書店 2015//2013)
https://contents-memo.hatenablog.com/entry/20161209/1480414672


『殺人ザルはいかにして経済に目覚めたか?――ヒトの進化からみた経済学』(Paul Seabright[著] 山形浩生,森本正史[訳] みすず書房 2014//2005)
https://contents-memo.hatenablog.com/entry/20161105/1476958590


『進化は万能である』(Matt Ridley[著] 大田直子ほか[訳] 早川書房 2016//2015)
https://contents-memo.hatenablog.com/entry/20170513/1493750011


『モラルの起源――実験社会科学からの問い』(亀田達也 岩波新書 2017)
https://contents-memo.hatenablog.com/entry/20190929/1569682800




【抜き書き】


□212頁。本書の巻末にて挙げられた、本書に関連したテキストやビッグネームによる(日本語で読める)研究。

  参考文献

『カールソン神経科学テキスト――脳と行動』(第二版)ニール・R・カールソン[著] 泰羅雅登・中村克樹 [監訳] 丸善、二〇〇八年

『共感の時代へ――――動物行動学が教えてくれること』フランス・ドゥ・ヴァール[著] 柴田裕之[訳] 紀伊國屋書店、二〇一〇年

『攻撃――悪の自然誌』コンラート・ローレンツ日高敏隆・久保和彦 訳 みすず書房、一九八六年

『ヒトはなぜ協力するのか』マイケル・トマセロ[著] 橋彌和秀 訳 勁草書房、二〇一三年

『暴力の人類史(上・下)』スティーブン・ピンカー 著(幾島幸子・塩原通緒 訳)青土社、二〇一五年

『暴力はどこからきたか――人間性の起源を探る』山極寿一 著、NHKブックス、二〇〇七年

『社会性と知能の進化――チンパンジーからハダカデバネズミまで』〈別冊日経サイエンス:『SCIENTIFIC AMERICAN』日本版〉日経サイエンス編集部[編]、日本経済新聞出版社、二〇〇七年


※別冊 日経サイエンス;155
版元のサイトには、それぞれの号のためのページが作られておらず、過去号のタイトルの羅列ページしかないようだ。
https://www.nikkei-science.com/bessatu_backnumber




□pp.12-13 本書の新奇性

   ヒトを知るための比較認知科学の視点
  これまでに動物行動学や霊長類学の立場から、ヒトの攻撃性や暴力を論じた本が書かれてきました。それらは霊長類の社会に、現代の社会の起源を読み取ろうとするもので、現代社会に生きるわたしたちの心や行動を直接吟味したものではありませんでした。
  一方で脳科学の立場から、ヒトの攻撃性や暴力を論じるものもありますが、犯罪者の脳の画像診断にもとづいて脳の損傷と犯罪の関係を議論するものが多く、ヒトの心の成り立ち、すなわち進化や発達を射程に入れたものはありません。
  わたしが研究してきたのは、ヒトの心や行動を動物と比較するということでした。ヒトをほかの動物の心や行動と比較することで、ヒトの心の進化的な連続性や、ヒトに固有なところを浮き彫りにしようとする学問領域を比較認知科学といいます。神経科学や心理学、認知科学、動物行動学、霊長類学などが少しずつ重なる領域です。
  この研究領域の醍醐味は、ヒトの心はどのようにできあがってきたのかを考えられることです。「ヒトはどこから来たのか?」や「ヒトはどこに行くのか?」という問いに、実験によって答えていくのです。
  わたしは、本書でヒトの本性とはどのようなものか、ということについて、自身の研究も含めてこれまでの知見を渉猟〔しゅりょう〕し、一つの答えを導き出したいと考えています。
  そのために本書は、わたしの研究室でおこなった実験のほかにも、霊長類学、心理学、行動科学、認知科学神経科学、犯罪学などの知見を盛り込み、なるべく多角的にヒトの性質がわかるように意図しました。
  これは、わたしがヒトという生物の心と行動の特徴についての思索の足跡といえるかもしれません。
  ヒトの本性について思いを巡らせていただければ幸いです。


□pp. 186-187

  分配に寛容なヒト
  ヒトが食物分配に寛容になった背景については、いくつかの仮説があります。一つは、協力が当たり前になるにしたがって食物を巡る競合が穏やかになり、他者に対して寛容な個体が集団のなかで重要な地位をしめ、結果的に多くの子どもを残すことで、しだいに寛容な個体が増えてきたとの考えです。
  自己家畜化仮説を少し変えて考えれば、農耕社会よりも狩猟採集社会のほうが平等に分配していたはずなので、獲物を占有しようとする「ならず者」が追放されたり殺されたりした結果として、分配に寛容な個体が生き残ってきたと考えることができます。
  また、ヒトがおこなう協力的な子育てが重要だと指摘する研究者もいます。ほとんどの霊長類では、子育てのほぼ一〇〇パーセントを母親が担っていますが、ヒトではおよそ五〇パーセントとされています。残り五〇パーセントの協力をするのは父親だけでなく、子どもの祖母やヘルパー(祖母・姉・おばなど家族の女系の親類のこと)が、食物供給や基本的な世話などといった向社会的な行動を取ります。協力的な子育てをする霊長類(オマキザルやマーモセット)は、食物分配に寛容なことが知られています。そしてこれらの霊長類(ヒト、オマキザル、マーモセット)は、自分とは関係ない第三者同士のやり取りを見て、そのヒト(サル)が独占する傾向があるかどうかを判断することができます。つまり、そのような高度な社会認知能力は、緊密な親子・社会関係によって進化した可能性が考えられます。
  どの考えが正しいかは、いまの時点ではわかりません。



□207-208

  ヒトは攻撃的で争いを好む生き物ではない
  生物学の世界では、人類を「争いを好み、攻撃的で野蛮」とする見方が主流でした。これは一九世紀に英国の生物学者トマス・ハクスリーが「道徳とは人類が勝手に創り出したもので、自然界には存在しない」という説を唱えたことから広まったものとされています。そしてローレンツが、人類は攻撃の本能を抑える術を持っていないと主張したことで広く信じられるようになりました。しかし、その考えは誤りであることが証明されつつあります。
 先に紹介したエモリー大学のフランス・ドゥ・ヴァールは、著書(『(共感の時代へ――動物行動学が教えてくれること』)で、霊長類だけでなくゾウ からネズミまで、さまざまな動物が積極的に協力し、他個体の苦痛に共感する能力を持っている証拠を示しています。これらの実験は科学的な方法を用いたもので、動物好きの学者の思い込みではありめせん。



□209 -211

   ヒトとは
  ローレンツは、動物には攻撃本能があるが、同時にそれを抑制する術(儀式的な闘争など)を身につけていると考えていました。彼の著書(『攻撃――悪の自然誌』)の有名なことばに、つぎのようなものがあります。

攻撃欲を持たない動物には友情を生み出す能力がない

  つまり、動物は善悪の両面を備えた存在と考えていたのです。しかし、ローレンツは、人類は攻撃性を抑制する術を持たない存在と考えました。いまから考えればヒトの悪しき面を強調したところが、正しくありませんでした。
  狩猟採集生活をしていたヒトの祖先はそれほど大きな集団では暮らしていませんでした。貴重な資源は、ほかの集団から守り、集団内で分配しなければなりません。そのため、ほかの集団に対して自分の集団とは異なった感情を持つようになり、ほかの集団にはやや攻撃的な態度を取るようになったのかもしれません。
  また同じ集団内でも、ズルをする人や秩序を乱す人は罰する必要があったでしょう。そうすることで集団内の利益が守られました。そのため、誰かを罰すること、つまり攻撃することが脳のなかで報酬とつながったのかもしれません。罰は合法的に誰かを攻撃できる機会といえます。悪事を働く者に正義の鉄槌を下すのを見てスカッとするのは、そのせいかもしれません。
  しかし、ヒトには攻撃的な面もあるかもしれませんが、攻撃性が過ぎる人は集団から排除されたはずです。自己家畜化仮説が唱えるように、そのような攻撃的な人は、子孫を残す機会を失い、やがて集団から攻撃性の高い人は減少していったということは、ありそうです。
  このように、ヒトは集団から排除されると、自身が生存することも子孫を残すことも危うくなります。そのために、仲間はずれにされることを極端に怖れ、(自分が正しいと思っていなかったことでも)他人の考えに同調し、それが極端になった結果として、いじめにつきあったり攻撃的になったりするのかもしれません。
  集団から攻撃的な人が排除される過程で、それとは逆の過程、つまり集団内での融和的な態度が重視されるようになったとしても不思議はありません。
  衝動性が高く、目先の利益のためにズルをしたり、高い攻撃性を発揮したりする人が排除されるならば、それとは逆の態度の人は、集団内で大事にされた可能性が考えられます。つまり集団内で融和的な、援助し共感する心を持つ人たちです。
  ローレンツは、ヒトは善悪のうち、悪の側面の抑制が弱いと考えていましたが、むしろ逆にヒトは悪の側面を抑制していった結果、善の側面の価値が相対的に高まっていったのではないでしょうか。
  人間は生まれてからの経験によって、思考や認知が大きく変容するので、環境の要因によって暴力的になることもあるかもしれません。また、遺伝子の変異や神経系の構造によって攻撃的な気質を持つ人もいます。しかし、人類全体で考えたときには、ヒトという生き物は、進化の過程で「善」を選択してきたからこそ、大きな集団を維持しつつも生活を向上させながら暮らしてこられたのではないでしょうか。
  わたしたちが教育によって高い「理性」を身につけることで、やがては各地で起こっている紛争を解決する術をみいだすことができるかもしれません。
  いまのわたしたちが中世のことを考えると、身分制度があり、刀を持ち歩いては「切り捨てごめん」と人を切りつけていた人たちを野蛮だと感じるように、何百年か後の人たちから見れば、わたしたちは、まだまだヒトの本性を発揮していない野蛮な時代だったと思われるかもしれません。
  現代は、世界中に紛争や犯罪が氾濫しているように見えるかもしれませんが、ヒトは殺人を減らしつづけており、世界は少しずつ平和になりつつあるのです。
  多くの人が、お互いを思いやる気持ちを大事に、とくに弱い立場にある人をいたわり、痛みをわかちあいながら手を携えて歩んでいく気持ちと意識を持てば、ヒトの本性が発揮され互いに助け合う社会にますます近づくのではないでしょうか。