英題:Encounter with Japan (1982)
著者:Herbert Passin(1916-2003) 文化人類学。
訳者:加瀬 英明[かせ・ひであき](1936-) 評論。
カバーデザイン:工藤 強勝[くどう・つよかつ](1948-) グラフィックデザイン。
カバーデザイン:勝田 亜加里[かつた・あかり](1988-)
NDC:810.77 日本語 >> 日本語教育・養成機関
件名:軍事教育--アメリカ合衆国
件名:日本語学校--アメリカ合衆国
件名:日本研究
備考:『米陸軍日本語学校――日本との出会い[Books'80シリーズ]』(TBSブリタニカ 1981年)を改題し文庫化。
筑摩書房 米陸軍日本語学校 / ハーバート・パッシン 著, 加瀬 英明 著
【目次】
目次 [003-006]
序にかえて [009-015]
第1章 未知の世界——日本 017
生いたち 017
日露戦争と日本
父母のこと
アメリカ移住
“日本”との出会い 022
バレエと日本
社会人類学の窓から
ソール・ベローと味わった“日本”
戦争の嵐のなかで 029
偽の戦争
パール・ハーバーの衝撃
兵役猶予と浪人
日系アメリカ人 033
デトロイト
日系人との触れ合い
人種差別
日本語への興味
ビル・マロイと日本語学校
陸・海軍の選択
第2章 日本語を学ぶ 045
戦時中の日本における英語 046
英語廃止国語採用論
英語教育の実態
帝国陸・海軍と英語
戦前のアメリカにおける日本語 051
日本と正反対のアメリカ
言語将校海外派遣制度
BIJ[Born In Japan]
緊迫化する日米関係のなかで
戦時中の日本語教育 058
陸・海軍の日本語訓練
強制移住とキャンプ・サヴェッジ
陸軍日本語学校入隊 063
クラスメート 066
IQ一三〇以上
BIJの悩み
BIJ以外の日本体験者
二つのグループ
教師 073
標準語か方言か
教師との交友
暗黙のルール
連帯の意識
日常生活 085
「支那の夜」と李香蘭
A中隊の一日
クラス編成
二世の不満
エンゼル・ホール
第3章 日本語を学んで 093
日本に関する地域研究 093
語学習得を超えて
祖谷〔いや〕の村々への憧憬
「夜這い」
授業 099
基本ルール
平仮名と片仮名
教材
漢字五〇〇〇字丸暗記
日本語にのめり込む 106
自我の再編成
新しいレベルへ
発送法の違い
会話勉強のイロハ
挨拶の言葉
相互恩義の観念
機能か形態か
「渋い」の世界
フラストレーション考
過去・現在・未来
「日本の未来はない」
日本語の奥深く 129
さらに複雑な表現へ
こころとマインド
感じとの出会い
語呂合わせとしゃれ
アーガイル公の煎じ薬
日本語と義務感
大詰め――卒業と終戦 141
フリー・トーキング
帝国陸・海軍軍歌
卒業
戦争集結
フォート・スネリング――最後の研修
第4章 日本の土を踏む 151
墨絵の世界 151
座間へ向かう
座間キャンプ
東京への車中にて
東京から博多へ 160
東京見物
交通整理
焼け野原
やくざ
銀ブラ
それぞれの出会い
歓迎に戸惑う
博多への旅
博多到着
日本の人びとと風物 178
さまざまな日本知識
日本語の壁
和風旅館
大学教授
貞淑な日本婦人
窮乏のなかで
実際の日本語 188
外来語
丁寧語の難しさ
人称代名詞
古い日本語
日本を理解すること 194
農夫と『万葉集』
参与観察
イメージの調和
謙譲の美徳
不可解な日本人
占領のなかで考えたこと
親方=子方制度
第5章 日本語学校卒業生の系譜 209
占領政策と言語将校 209
限られた数の言語将校
言語将校の言語水準
占領に参加した言語将校
フォービアン・バワーズと歌舞伎
カート・スタイナーと法制改革
世論調査と私
農漁村の調査
世論調査の実態
発展する日本研究 231
主流を占める言語将校
コロンビア大学の場合
ワシントン大学の場合
二世卒業生
A中隊出身の学者
海軍日本語学校出身の学者
なぜ隆盛なのか?
「批判的」集団
日米関係と言語将校 245
日本語学校出身の外交官
実業界の言語将校
第二世代から第三世代へ
巨大な権力
日本人を認識する
旧き日本から豊かな日本へ
日本語学校の功罪
訳者あとがき(一九九一年九月 加瀬英明) [259-261]
ちくま学芸文庫版訳者あとがき [263-269]
【関連記事】
・日本研究。
『菊と刀』
『日本人の行動パターン』
『日本人の性格構造とプロパガンダ』
『日本はどのように語られたか――海外の文化人類学的・民俗学的日本研究』
・WW-IIの現代史と政治。
家永『太平洋戦争』
・軍事または人類学
『帰還兵はなぜ自殺するのか』
『戦争がつくった現代の食卓――軍と加工食品の知られざる関係』
・評論
『敗戦後論』
【抜き書き】
序文(pp.14-15)から。
戦争がすべての人びとの生活を変えてしまう、とよくいわれる。一般的には悪いほうへ変わることを暗示してはいるが、ある意味でこれはもちろん真実である。人間は、戦争が人類にとって悲劇であることを理解するのに、死と破壊――数え切れないほどの個人的な悲劇、生活の破壊、非人間性、大量殺戮、気違いじみた傲り――だけを考える。しかし、すべての人にそれが当てはまるわけではない。ある人たちにとっては、戦争は解放の時であり、千載一遇のチャンスでもある。
すなわち、抑圧された民族にとっては解放の機会であり、職業軍人にとってはスピード出世の機会であり、実業家にとっては金もうけの、科学者にとっては平和時には想像もつかないほどの研究費が供される、技術者にとっては新しい技術を発展させる、普通の人びとにとっては日常生活の退屈から脱け出すことのできる、農民にとっては取引条件を好転させる、気の小さい者にとっては手にすることのできなかった権力を振るうことのできる、国家にとっては国家目的を遂行する、絶好の機会なのである。
・言語と創作(p.136)
ある意味で、われわれはみな自分たちの言語、その構文、独特の枠組に押さえ付けられた捕らわれた人である。しかし人間には、その“檻”を逆用してレベルの高い文芸上、美学上の道具を生み出す知恵がある。ただしその成果を味わうことができるのは、同じ言語を共有する者だけである。
ところで一文目の「……られた捕らわれた人で……」という表現は珍しいが本文ママ。もうすこし現実味が高いのは「……られた捕らわれ人」または「……られ捕らわれた人」だろうか?
・個人的メモ(p.260)
加瀬英明による単行本版「訳者あとがき」から、1980年代に「日本人論」が誉め言葉として(も)使われていたという例のひとつ。
ちなみに、現代でも保守派の出版社・評論家は「日本人論」をそのように使っている。しかし、かつての粗製乱造品を知っている人であれば、そのようには使わないし、そもそも言及を避けようとする。結果として、現代の数少ない「日本人論」の用例のなかで誉め言葉の「日本人論」が目立ってしまうという妙な現象も起きている。
日本に関する私的な回想録であるにもかかわらず、巧まずして読む者の眼に新しい視野を拓いてくれる、透徹した「日本論」および「日本人論」となっている。